星那と、混浴

 瀬織家の掃除は、もともと手入れが行き届いていた事もあって、予想よりもずっとスムーズに進んでいた。


 家屋内の空気の入れ替えや掃除、屋外の煤払いは午前中で終わった。

 星那が用意したランチボックスのサンドイッチで昼食を済ませて、午後は皆で運び出した家具を拭き清めたり、窓を磨いたりを手分けしながら進め……それも、すでにひと段落し、今は陸と一夜が綺麗にした家具を元の場所へと戻し始めている。


 すっかりと綺麗になった建物に、皆、充足感に浸っていた頃。


「みんな、お疲れ様。まだ予約したレストランの時間には余裕がありますし、お風呂の用意してありますあら、手の空いている人からどうぞ?」


 にこやかに、そう皆に告げる杏那。

 その言葉によって、思いがけず、手の空いた者から順番に温泉を満喫していく運びとなったのだった。






 才蔵と杏那は、ホストとして最後に入ると言って、細かな作業へと戻っていった。


 そのため、数人ごとに入れ替わりながら掃除で身に付着した汗や埃を流し……やがて、こちらもあちこち気になる細かな箇所を掃除して回っていた星那と夜凪の番が回ってくる。



 入り口のあるリビングから、階段を下りた先にある地階にある、瀬織家別荘自慢の大浴場。


 男女分けられた脱衣所で服を脱ぎ、中に入ると、そこには小さな銭湯もかくやという、年季が入り味のある黒色に変色した、木組みの浴槽が広がっていた。




「……ふぁあ……んっ……」


 身体を洗い終えた星那が、爪先で湯の温度を確かめた後、ゆっくりと湯に身体を沈める。


 やや熱めな湯に腰のあたりまで浸かると、その心地良さに、たまらず艶っぽい声がその喉から漏れ出た。


「はー……こんな大きなお風呂があるなんて、凄いですね……」


 先に湯に浸かっていた夜凪へと、仕切り越しに語り掛ける。


「うん。なんでも、元は貸しペンションだったらしいよ。管理していた会社が維持できなくて、安く売りに出されていた建物を父さんが気に入って購入、別荘に改装したんだって」

「あー……それでこんな大きなお風呂があるんだ」


 個人用の邸宅にしては本格的な温泉に驚いていたが、そんな事情ならば納得だ。


 だいぶ体も湯の温度に慣れてきて、今度こそ肩まで身体を沈める。

 再度、その喉からたまらず快楽の吐息が漏れ出た。


 ――ああ、幸せだなあ……


 湯の浮力に半ば身体を預け、ふよふよと浮かぶように脱力してほぅ……と息をつく。


 ぴちょん、ぴちょん、と水滴が水面を叩く音に、半分微睡んだ状態で、温泉らしく少しとろみと濁りのある湯の感触を楽しんでいると。


「それで……星那君、もし良ければなんだけど。折角だから、奥に行かない?」

「え……?」


 夜凪の言葉に、目をパチパチと瞬かせる星那。


 今二人が湯に浸かっている入り口に近い側は、仕切りがあるためお互いが見えないが……この浴室、両方の浴室が奥で繋がっている「凹」の形状をしている。

 奥に行かないか……というのは、つまりはで……ボッと、星那が湯に火照ったのとまた違う要因によって真っ赤になる。


「……ごめん、忘れて。何かあったら困るのは星那君だもんね」

「いや……それはまぁ」


 いいんだけど、と思わず言いそうになった口を、なんとかギリギリのところで閉じる。




 スキンシップこそ激しいものの、夜凪がこちらを大事にしてくれていることは、今まででよく分かっている。星那が嫌がっているならば、無理に行為に及ぶ事はおそらく無いだろうとは信じられる。


 それに……両親との約束はきちんと遵守したい一方で、実のところ、好きな人とを結ぶ事に興味や願望が無い訳ではない。

 少し怖さはあるが……もしそういう事になったらという覚悟も、星那の側から交際を申し込んだあの日には、すでに完了している。


 もっとも……それを夜凪へ伝えてしまうとその日のうちに美味しく食べられてしまう気がするため、伝えてはいないが。


 覚悟はさておき、しばらくの間はまだまだゆっくりと、徐々に距離を縮めていく今の関係を楽しみたいのである。



 しばらく、葛藤した末に……



「そ……それじゃ、行きます」


 そう、肩のあたりまで真っ赤にしながらも言うのだった。




 ――やめておけばよかった。


 そう後悔したのは、お互い肩をくっつけて湯に改めて浸かった十秒後くらいであった。


「うぅ……やっぱりこれ、恥ずかしいよ……」


 すっかり茹だった状態で、両腕で胸を隠しながら呟く星那。

 一緒にお風呂は体の洗い方のレクチャーを受けた時に一度済ませているけれど、何故か今回はあの時の比ではない羞恥に駆られていた。


 ――あの時は、まだ自分の体って実感が薄かったもんね。


 今はすっかり星那の肢体に慣れたせいで、あられもない姿を見られている事にバクバクと心臓が大暴れしていた。


 そんな風に恥ずかしがりながら、チラっと夜凪の方を見て……嫌でも目に入ってきたのは、その腹部の真新しい銃による傷跡。


「……やっぱり、少し傷、残っちゃったね。まだ痛む?」

「うーん……痛いってほどではないけど、少し引き攣った感じはまだあるかな」


 でも大丈夫だよ、と夜凪にポンポン頭を叩かれて、星那はホッと安堵の息を吐く。


「旅行までに間に合って、良かったね?」

「そうだねぇ……皆が遊んでいる時に、海も温泉も駄目は辛すぎる……」


 そう、こちらも深々と安堵を漏らしている夜凪に、ふふっと星那の口から笑い声が漏れた。


「海といえば……この前柚夏ちゃん達と買った水着、持って来ているんだよね?」

「うん、明日着るから、それまで秘密だけど……って、今水着より凄い格好を見られちゃっているけど」


 一糸纏わずに混浴していて今更だよね、と苦笑した星那だったが……


「嫌だな」

「え?」


 ポツリと真顔で呟いた夜凪の言葉に、ぽかんと間の抜けた声が漏れた。


「君の水着姿を、他の男に見せたくない」

「ひゃ……っ!?」


 突如、星那の首筋、鎖骨との中間に強く吸い付くような口付けの感触。


「……ん、良し」

「な……何、したの?」


 訳も分からず聞き返す星那だったが……夜凪は、ただ悪戯っぽく笑っただけだった。

そんな、怪しい彼の笑みに星那が一抹の不安を覚え始めた時。




「……あら、星那ちゃん、いるの?」




 カラカラと脱衣所へと続く戸が開き、突如乱入してきた杏那の声――刹那、二人とも一瞬で我に返り、バシャバシャと派手な水飛沫を上げて離れる星那と夜凪なのだった。

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