星那、ダウンする。
――生理二日目。
「――女の子やめたい……」
二時限目の終わったインターバル、星那は昨夜の思いをさっくりと手のひら返しして、机に伏せて呟く。
二日目が一番つらいと聞いていたが、これは本当に、無い。
昨夜から、夜用ですら数時間で溢れ、そのせいで目覚めては交換のためトイレへ駆け込む。
パンツがすぐ減ると言っていた夜凪の言葉を、ここに来て痛感する羽目となった。おかげですっかり寝不足だ。
それでも、なんとかフラフラ登校したは良いが……とにかくお腹が痛い。男だった時には感じ様がない、耐え難いギリギリと内臓を絞られている痛み。
さらに、頭痛なども酷く……見かねた隣の席の子が、遠慮する星那に飲んだ方がいいよと力説し、鎮痛薬を譲ってくれた。
それをありがたく飲み、ようやく少し楽になったものの……今度は、寝不足と薬の副作用の相乗効果でとにかく眠い。
「瀬織さん、大丈夫……?」
うつらうつらとしている星那を見かねたのか、薬をくれた隣の席の女子……吉田さんが、心配そうに尋ねてくる。
「うん……ありがとう、お薬を貰ったおかげでだいぶマシにはなったんだけど……今は、とにかく眠くて……」
「あまり悪いようなら、保健室に……」
「うん、でももう少し頑張って……」
身を起こしたところで、ギクリと硬直する。嫌な汗がツッ……と額から流れ落ちた。
「瀬織さん?」
「……ごめん、ちょっと席を外すね」
心配そうな吉田さんに一言断って、ポシェットを一つ掴み、席を立つ星那。
――本当に、大変な事ばかりだった。
結局……三限目が始まってすぐ。
「あー……瀬織、いいから保健室で寝てろ、この時間は出席にしといてやるから。白山お前の婚約者だろ、任せた」
どうやらよっぽど酷い顔だったらしく、そんな現国の先生の一言で、保健室へと強制連行されてしまった。
「全く……こんなギリギリまで頑張らなくて良かったのに」
保健室へ向かう廊下で、眠気にふらつく星那の体を支えながら、呆れたような夜凪の言葉。
「いや、でも……」
「言っておくけど、『私』だって最初からこんなキツかった訳じゃないんだからね。初めはそれこそ軽く症状が出たくらいで、その後成長するにあたって酷くなるのに合わせて、徐々に慣れてきたんだから」
「……本当に、今更ながら女の子を尊敬するよ」
はぁぁ……と深々と溜息を吐く。
そうこうしているうちに、保健室に着いた。
「すみません、具合悪くなった女の子がいるんですけど……」
「あらあら……随分と辛そうね、今日はベッド全部空いてるから、好きなところに寝かせてちょうだい」
ほわほわ優しそうな養護教諭のおばさんの指示で、空いているベッドに寝かされる星那。
「とりあえず、暖かくしてちゃんと寝ておくように。君が眠ったら僕も戻るけど、また今の授業が終わったら、様子見に来るから」
「うん……ごめん」
眠るまでの間と星那の手を握りながら、真剣な表情で何かをスマートフォンに入力している夜凪。
何だろう……そう思いながらも睡魔には勝てず、やがて星那はすぐに、深い眠りに落ちるのだった。
◇
――そっと、部屋のドアを開ける。
部屋……保健室には見た感じ、ベッドの仕切りがいくつか閉まっている以外、人は居ない。
それを確認して部屋の中に滑り込むと、仕切りの中を確認する。
……居た。
顔こそここからでは掛布で隠れていて見えないものの、目標はとても綺麗な漆黒の髪をしている事で有名で、一目でわかる。
そっと様子を伺いながらカーテンの中に滑り込む。
果たしてベッドの中には……驚くほどに綺麗な下級生の少女が、青い顔をしつつも静かな寝息を立てて熟睡していた。
よほど深い眠りに就いているのだろう。目を覚ます様子は、全く無い。
……事前情報通り、養護教諭はこの時間職員室へと行っている。十分程度の短い時間であるが、席を外しているようだ。
それだけの時間では大した事は出来ないが……少しだけ服を乱し、決して人前に晒す事など出来ないような画像を数枚撮るくらいならば。
……何という事もない、ただの遠くから撮影した画像ですら、この美少女の姿をたまたま見つけたネット掲示板にアップした時の反応は、とても好評だった。
頼まれた事とは違う用途ではあるが、それをこなした後にどうすればいいかまでは何も言われていない。
ならば、好きに使用して構わない筈だ、きっと今度はもっと反響が……いや、それよりもその画像をうまく使えば……そんな期待にゴクリと唾を飲み込み、掛布をめくろうとした――その瞬間。
「何を、しているのかな?」
仕切り越しの声に、ビクッと全身が硬直した。
隣のベッドを仕切るカーテンがシャッと引かれる。そこには……
「そんな……なんで、別のクラスの……」
よっ、と掛け声を上げて、ベッドから飛び降りる女生徒……浅葱柚夏。
その可愛らしい容姿と、それとは裏腹に狼藉者に対しての苛烈な対応に有名な少女だった。
実際に、タチの悪いナンパから少女を救った数は数知れない。
そんな正義側に属する彼女が、このような現場を見たらどうするか。そんな物は考えるまでもない。
その目は怒りを湛えて真っ直ぐに侵入者を見つめており、逃がすつもりはないと雄弁に語っていた。
マズい……彼はそう焦るも、もはや全て、後の祭りだった。
◇
星那が保健室へ行った事は、つい先程夜凪に聞いた。
それをグループチャットで確認した柚夏は、教師に「急にお腹が痛くなった」と告げ、呆気にとられる教師の視線も無視して、教室を飛び出し保健室へと潜んでいたのだ。
一人になったらきっと犯人は動く筈だと言う陸の言は、確かに的中した。
……ここまで、全て仕込み。
知らないのは星那だけであり、黙っていた事に内心で謝る。
「センパイ……確か陸君やなっちゃんの同級生の子のお兄さんよね? 妹さんから、今は保健室になっちゃん一人だって聞いて来ましたかぁ?」
これは、陸から提供された情報だった。
例の転落事故を引き起こした先輩……その友人、あるいは腰巾着の妹が、星那たちのクラスに居る。そして、彼女は今はおとなしくしている、星那を良く思っていないグループだと。
という事は……目の前の彼がその友人なのだろう。
「あはは、他のクラスまで考えが及ばないあたり、妹さん共々、実に浅慮ですねぇ、お兄さん?」
からからと笑っている柚夏だったが……その目はまるで笑っていない。
その迫力に、顔を蒼ざめてジリジリと退がる男子の先輩。
そのまま保健室の外まで後退した彼は、咄嗟に背を向けて逃げ出そうとした。しかし……
「よっ、と」
「あ、待っ……」
スパッと、素早く踏み込んだ柚夏の手がスマートフォンを掴んでいた先輩の手首を掴む。その手から力が抜け、スマートフォンが溢れ落ちたところで、さっと柚夏の手がそれを奪い取った。
まだロックが掛かっていないその端末を操作して、画像ファイルを開いたそこには……
「……ふぅん。どうやら、言い逃れは出来なさそうね」
何枚もの、星那の写真がそこにあった。
そのほとんどが遠景だが……中には、階段下などで撮られている、明らかな盗撮と思われるローアングルの写真まで存在している。
「こちらは、証拠品として先生方に提出させていただきますね」
「ま、待って! お、俺はただ、あいつに頼まれただけで……」
そこまで言った瞬間、柚夏が先輩を壁に押し付けて、下から覗き込むように睨みつける。
「……でもそれ、断ればいいだけですよね?」
「う……ぐ……」
「そうしなかったのは何故ですか? お兄さんも楽しんで加担していたんじゃないですか?」
「ち、違……」
ひらひらと、盗撮の動かぬ証拠が入っているスマートフォンをこれ見よがしに振ってみせる柚夏。
その冷たい目をした柚夏の様子に、もやは弁明は不可能と察した先輩が、真っ青になる。
「まぁ、いいです。弁明は、多分警察の方で聞かれると思いますのでそちらでどうぞ」
「え……」
「問題をネットという学外に持ち出したのは失敗でしたね。事はとっくに『外』に行っているんですよ」
既に、掲示板を見て実行に移した者達は瀬織家の者達によって、強制猥褻の罪で刑事告訴されている。
ならば、その原因の一端となっている盗撮写真を撮り、アップロードした者が無関係とはなるまい。
「……間接的にとはいえ、あなたが原因の一つとなってなっちゃんが危ない目に遭ったんです。私は決して貴方を許しませんよ、センパイ?」
虫を見るような目で睨む柚夏に……彼はただ、がっくりと項垂れるのだった。
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