ライバル宣言

「なぁ鈴木、わたしは一体どうしてしまったのだろう? この胸の痛みはなんだ……」


 佳乃は心底弱り果てた様子で目蓋を拭っている。

 泣きたいのはおれも同じで、どう宥めたものかと途方に暮れている。


「カノちゃん、それは恋だよ」


 階段のところから月乃となぎさがひょこっと顔を出していた。床から顔が生えているみたいで若干シュールな絵面だ。


「恋……? わたしが恋をしたというのか月乃!?」


「当たり前でしょう、どんなに心を殺そうとしてもカノちゃんは機械でもロボットでもないんだからだれかに惹かれる気持ちは止められない。よっこいしょ」


 床板を踏みしめて近づいてきた月乃は顔を強ばらせている佳乃の頭をぽんぽんと撫でた。まるで母が子どもを見守るような優しい表情だ。


「たまには自分に正直になったら? 簪家のことを自分ひとりで背負おうとしなくてもいい、わたしたちは姉妹なんだから二人で分け合おうよ。ね? おねーちゃん」


「月乃……!」


 感極まった佳乃が月乃の胸に飛び込んだ。


「よしよし、いい子いい子」


 大声で泣く義姉あねを月乃は優しく包み込んでいる。


「……ぐすっ」


 鼻をすすったのはおれの元に近づいてきたなぎさだ。うっすらと目が赤くなっている。


 二人はいま、本当の意味で和解したのかもしれない。

 一組と二組、簪家……様々なしがらみから解放されて姉と妹になれたんだ。


「良かったね、仲直りできて」


「だな。おれは特になにもしていないけど」


「なに言ってるの、涼ちゃんが佳乃さんの心を解きほぐしたからこそ二人は本心で向き合えたんだよ。涼ちゃんのお陰だよ」


「実感ないけど……そうなのかな?」


「そうだよ。さすが涼ちゃん!」


 なぎさが言うのならそういうことにしておこう。


 子どもみたいに泣きじゃくっていた佳乃はしばらくすると落ち着きを取り戻したらしく、恥ずかしそうに月乃から離れた。月乃はちょっぴり残念そう。


「もういいの? もうちょっと甘えていてもいいのに~」


「そういうわけにはいかない。──だが、折り入って頼みがある」


 ぐいっと目元を拭った佳乃はすでに簪家の次期当主の顔を取り戻している。


「良ければ今度化粧の仕方などを教えてくれないか? ニキビや肌あれが気になっているのだがどうしたらいいのか分からなくて」


「なんだぁそんなのお安い御用だよ♪」


 月乃がぱっと笑顔になる。


「おねーちゃん敏感肌っぽいもんね。化粧水や乳液も大事だけどちゃんとした素材のものを選ばないと荒れちゃうの。あと眉毛も軽くして形を整えて眉マスカラ使った方がいいと思ってたんだぁ」


「お、おお……」


「髪はきれいな黒髪だからそのままが一番。でも服装は少し変えた方がいいと思うの。せっかくキメ細かい肌なんだから透け素材の……」


 女子トークが止まらない。

 佳乃は終始圧倒されながらも満更でもなさそうに頷いている。あんな佳乃を見るのは初めてだ。


「自分の好きなファッションもいいけどお手本があるといいかも。おねーちゃん誰か目標にしたい人いる? 女優さんとかモデルさんとか」


「そうだな……。いるぞ、すぐそこに」


 佳乃が指し示したのはなぎさだ。


「私!?」


 まさか自分が名指しされるとは思いもしなかったなぎさは目をぱちくりさせている。


「わたしは鈴木に好意を抱いている。桜庭とは恋のライバルだ。鈴木が桜庭と恋仲だというのなら、まずは桜庭を目指すべきだろう」


「私が、恋のライバル……」


 なぎさの表情が固まる。

 にわかに雲行きがあやしくなってきたぞ。


「なにをボケッとしている、鈴木!」


 佳乃はおれに近づいてきたかと思うと胸倉をぐっと掴んで自分の側に引き寄せた。

 赤く泣きはらした目は爛々と輝いている。


「わたしはきっとビューティフルな女になる。そのときにまた告白するから覚悟しておけよ」


「え……と、え?」


 状況についていけない。

 一体どうしてこうなった。


「だめだよ、おねーちゃん。変なこと言って困らせちゃあ」


 ぽんと肩を叩いてなだめる月乃。

 さすがなぎさの友人だ。なぎさが悲しむことにならないようフォローしてくれているんだな。


「わたしだって涼太君を狙っているんだから」


 オイ! おまえもか!


「ちょっと待つれしゅ!」

「っす」


 どこからか湧き出してきたポプラと矢島がそれぞれ佳乃と月乃の腰にタックルをかける。


「涼太しゃんはうちの大事な部員れしゅ。将来にわたってあたしがお世話するんれしゅ! ね、瞳しゃん!」

「な、なんか分かんないけどムカつくっす」


 どうしよう、大混乱カオスになってきた。


 ……あ、なぎさは大丈夫かな。


 ふと心配になって視線を向けると、女四人が揉める中でなぎさはただひとり沈黙している。


 さすがはおれの彼女だ。

 ちょっとやそっとのことじゃ揺らぐことなく堂々としている。


 ──と思ったら、


「だめーっ! 涼ちゃんは私の彼氏なんだからー!」


 バタフライ並みの勢いで四人の中に飛び込んだ。


 女五人でわーわーきゃーきゃー。おれだけは完全に蚊帳の外だ。



 …………もう帰っていいかな。

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