【屋敷内を散策するルート】

 風呂を出たおれは宛てもなくぶらぶら歩き回っていた。


 それにしても本当に広い屋敷だ。月乃が迷路みたいというのも頷ける。

 ここで月乃はお母さんと暮らしていたのか。所謂いわゆる思い出の場所なんだろう。


 大丈夫なのかな。


「……と、ここどこだ?」


 まずい、テキトウに歩き回っていたせいで迷子になってしまった。

 風呂上がりなのでスマホも持っていない。


 心細さのせいだろうか、急に怖くなってきた。

 この前動画サイトで見た心霊ホラーゲームが脳裏にさっとよみがえる。


 庭先でぼんやり浮かび上がる灯篭、急に聞こえなくなる虫の音、月は雲に覆い隠され、廊下を照らす蛍光灯のあかりは不安定に揺らめいている。


 すっ、とうなじのあたりを冷たい風が通りすぎていく。


 こわくないこわくない、全っ然こわくない。

 自分を鼓舞しながら前に足を進めた。


 だけど突き当たりの廊下が見えたところで足が止まってしまった。

 まずい。まずいぞ。

 確かホラーゲームにもこんなシーンがあった。

 突き当たりの廊下をさぁっと霊が横切って――。


 そのときだ、本当に白い影が見えのだ。

 直後、冷たいものが肩を掴んでくる。


「ぎゃああああ!!!」


 絶叫して腰を抜かしてしまった。


「どうしたの? 大声出して」


 廊下に面した襖の向こうで目を丸くしていたのは月乃だ。


「なんだ、おどかさないでくれよ……心臓、止まるかと思った……」


 本気でビビっていたおれを見下ろして月乃は小さく笑う。


「もしかしてオバケだと思ったの? 涼太君は意外と怖がりなんだね」


「だっていま白い影が通ったんですよよマジで」


「んー?」


 月乃は廊下に出て突き当たりを確認してくれる。


「あ、もしかしてこれじゃない? 電話のメモ用紙」


 見れば廊下に白いメモ用紙が散乱している。風で舞い上がったところをおれが見間違いしてしまったようだ。


 なんだ。ただのメモ帳にあんなにビビってたのか、バカみたいだ。


「はぁー、良かった。気になってマジで今夜寝られないところだった」


「幽霊の正体見たり枯れ尾花ってやつね。――でももし幽霊が本当にいるなら会ってみたいけどなぁ」


 ここは月乃と母親にとっての思い出の地。

 月乃が会いたい幽霊はきっと母親だろう。


「ところでルナっちさんはここで何してたんですか?」


「べつに。みんなと一緒にお風呂を出て、ひとりで夕涼みしようと思って歩いていたら無意識にここに着いちゃっただけ」


「ここ?」


「うん。見ていく?」


 誘われるまま中に入るとフローリングになっていた。窓際には小学生が使うような学習机と赤いランドセル。壁側にはベッドが置かれている。


「わたしの部屋だったの。当時使っていたものとかもそのまま置いてあるんだよ」


「へぇー。あ、写真だ」


 机の上の写真立てにはランドセルを背負った月乃が映っている。入学式に撮ったものだろうか。隣でほほ笑んでいる女性は月乃によく似ている。母親だろう。


「感傷に浸るなんてらしくないけど、ここに来るとどうしても思い出しちゃうね。わたし子どものころは喘息持ちだったから畳からフローリングに変えてもらったの。その他にも結構病気がちで、その度にお母さんがここで看病してくれた。懐かしい。あの頃と全然変わってない」


 月乃は笑顔こそ浮かべているが次第に瞳に涙がたまっていく。


「小さいころはこの部屋で佳乃ともよく遊んでいたんだよ。同い年の従姉妹だと思っていたからあの子が来るときは嬉しくて嬉しくて。お母さんはニコニコしながら自分が焼いたアップルパイやジュースを出してくれたなぁ。なのにわたしは生意気なガキだったから、佳乃に出されたアップルパイが自分より大きくてズルいって怒ってお皿ごとひっくり返し――」


 はげしく肩が震えた。


「ごめんねお母さん、ごめんね……ごめんなさい……」


 頬を伝ってぽろぽろと涙が流れ落ちる。

 崩れ落ちるように膝をついて泣く月乃。おれはどうしたらいいのか分からずにそっと背中をさすってやった。


「ごめんね。いまだけ、いまだけだから」


 しぼり出すような声と、小刻みに震える肩。

 おれはなにもできずに彼女の嗚咽を聞いていた。




「ごめん。もう平気。みんなのところに戻ろうか」


 月乃は鼻をすすりながら目元を拭う。


「あ、でも二人で戻るか怪しまれるから先に戻ってていいよ。だから、お願い、ここで泣いていたことは――」


「言いませんよ、だれにも」


「ありがと。涼太君はいい人だね。なっちゃんの彼氏がきみで本当に良かった」


 精いっぱいの笑顔かと思うと胸が痛くなる。


「佳乃には感謝してるんだ。ここ、本当は取り壊して会社を建てる計画があったんだけど、わたしとお母さんの思い出の土地だと知っていたからおじい様に直接かけあって残してくれたの。それなのにいがみ合って涼太君やなっちゃんに迷惑かけているんだから、わたしって本当にダメな女だよねぇ」


「そんなことないですよ。ルナっちさんはおれたちの交際を後押ししてくれてる。すごく感謝しているんです、ありがとうございます」


「どういたしまして。……ほら、もう行って。じゃないと本当に幽霊出てくるかもよ?」


「幽霊だっておれよりルナっちさんに会いたいはずですよ。だからさっきみたいに急に肩掴んだりしないでくださいね?」


「肩?」


 月乃が首を傾げた。


「ほらさっき白い影に驚いて叫んだとき、後ろから肩掴んだでしょう?」


 月乃は無言になる。

 え、ちょっと待てよ。


「いやいやいや、冗談ですよね。なんかこう冷たいものがおれの肩をぐっと掴んだんですよ。あれがルナっちさんじゃなければ誰が……」


 恐る恐る肩に触れてみた。

 濡れている。ぐっしょりと。


「まさか涼太君ほんとうに……」


 神妙な顔立ちになる月乃。

 待て待て待て、もし本当に幽霊だったとしたらおれが一人になったときに襲ってこないとも限らない(ゲーム脳)。


 風が吹いた。

 ガサガサガサと庭木が鳴る。


「ひぃいいい! ルナっちさんお願いです、一緒に戻ってくださいー!!!」


 こうして土下座して頼み込む羽目になったのだった。

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