第57話 ニア、悶える


「………………」


 重苦しい気配を感じて、ゆっくりと目を開く。


「お兄様っ!」


 すると、漆黒のドレスを身にまとった少女――ニアが抱きついてきた。


 逃げようにも、僕の両腕には手枷がはめられていて身動きが取れない。


 …………ここまではいつも通りの光景だ。動揺する必要はない。平常心を保て僕。


「……ニアに会いに来てくれたんだね……! とっても嬉しい……!」


 そう、今日は別に対価を支払うわけではない。ニアと話しに来たのだ。


「うん。……だから、その……これを外してくれないかな?」


 僕は、手枷の方へ目をやりながら言う。


「……だ、だめっ」

「どうして?」

「お兄様は……ずっとニアの側にいないとだめなの……あれに飲み込まれちゃうから……!」 

「あれ?」

「このお部屋の外にあれがいるの……安全な場所はここだけだから、何かの間違いでお兄様が外に出てちゃわないように、繋いでおかないとだめなの……!」


 ニアは必死な様子で僕にそう説明する。いまいちよく分からないけど、この部屋の外に出てはいけないということだろうか?


 僕はそんなことを考えながら周囲を見渡す。


 そもそも、この場所はどこなのだろうか? ベッドにはぬいぐるみが置いてあって、ぼろぼろの椅子や机、箪笥たんすなんかが置いてある。


 窓の外の景色は、真っ暗で確認できない。


 どう見てもヴァレイユにいた時の僕の部屋じゃないし、エリー達の部屋とも少し違う。


 そうなると、やっぱりオリヴィアが昔暮らしていたレスター家のお屋敷の部屋……?


 以前ニアに聞いたら、「ニアのお部屋だよ」と言われたが、僕が知りたいのはそういうことではない。


「お兄様……どうかしたの?」


 僕が何も言わずにいると、ニアが不安そうな顔をしながら問いかけてきた。


「ううん、何でもない。とにかく、僕が部屋の外に出なければ問題ないんでしょ?」

「そうだよ……」

「じゃあ大丈夫。こっちに居る間は、ニアのそばを離れないから」

「ほんとに……?」

「もしかして僕、あまり信用されてない?」

「ち、違うの! ただ……」


 そこまで言いかけて俯いてしまうニア。僕は何も言わずに言葉の続きを待つ。


「あのね…………ニアはお兄様のことだいすきだけど……お兄様はそうじゃないのかなって思って…………ニアの言うこと、あまり聞いてくれないから……」

「だから僕をこんな風にしてるの?」


 僕の問いかけに黙って頷くニア。


 だって耳とか舐めてくるし。可愛い妹だとは思っているけど、正直ちょっと苦手だ。


「……そっか……両腕が自由に出来たらニアの頭をなでてあげようと思ったんだけど……これが外せないなら無理だね」

「えっ?!」


 僕が何気なく口にした一言に、予想以上に食いついてくるニア。


「お兄様が……ニアの頭を撫でてくれるの?! ニアが何もお願いしてないのに……?」

「うん…………でも、これを外せないならやっぱり――「今すぐ外すからね! 絶対にお部屋の外に出ちゃだめだよお兄様っ!」

「そんなに念を押さなくても大丈夫だよ……」


 やっぱりニアのことはよく分からない。


 ……とはいえ、こうして僕は自由になることができたのだ。


「ありがとうニア」

「お兄様ぁっ!」


 再び僕に抱き着いてくるニア。


「あの……?」

「このままなでて欲しいの……!」


 ニアは、僕のお腹に顔をうずめたまま言った。


「よ……よしよし……」

「~~~~~~~~~~~~~~~~っ!」


 僕が頭をなでると、ニアは足をばたばたさせながら悶える。


 これ……喜んでるのかな……?


「お兄様……お兄様お兄様お兄様お兄様お兄様お兄様お兄様お兄様ぁっ!」


 それからニアは、何度も僕のことを呼んできた。


 怖すぎる。


「ニア……寂しかったっ……! ここにお兄様がいないときは……ずっとこうしてるの……っ!」

「寂しい思いをさせてごめんね……ニア」


 …………ん? 待てよ? 


 その時、僕はふとあることに対して疑問を抱いた。


「あの…………ニア。一つだけ聞いてもいいかな?」

「ニアに何でも聞いてねお兄様……♪」

「僕が起きてる時って……こっちの身体はどうなってるの……? やっぱり消えてるんだよね……?」

「違うよ……お兄様の身体だけ残るの」


 ニアは顔を上げながらそう答える。かなり衝撃の事実だ。


「お兄様にそっと耳を当ててみると……向こうからお兄様の声が聞こえてくるから、一人の時はずっとそうしてるよ……」

「そうだったんだ……」


 僕はもう一度だけニアの頭をなでる。


「……抱きつくくらいなら良いけど……それ以外は何もしてないよね……?」

「しっ、してないよ……!」


 明らかに顔色を変えるニア。


「……………………………………」

「……ほ、ほんとに何もしてないよっ!」

「……………………………………………………」


 僕が無言で圧力をかけ続けると、ニアは観念したように話し始めた。


「…………えっと、お兄様のふとももを枕にしたり……お兄様のお口にキスしたり」

「キス!?」


 ニアは恥ずかしそうに顔を赤らめながら頷く。しかし、まだ終わらない。


「あと……お兄様の首をちょっと噛んだり……お兄様の指を舐めたり……それからお兄様の服を――」

「ごめん、聞いた僕が悪かった。もう何も言わないでっ!」


 予想以上の返事に動揺した僕は、思わずニアの話を遮る。


「……これからはなるべくニアに寂しい思いをさせないようにするから……だからもうそういうことは止めて……お願い……」

「ご、ごめんね……。やらないように頑張る……」


 ――その返事を聞く限りだめそうだ。僕は絶望的な気持ちになった。


 これからは、じっくりと時間をかけてニアの依存を治していくしかない。


 きっと、ニアと向き合うことを避け続けたつけが回ってきたのだろう。

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