第42話 起点

 夏のすがすがしく晴れ渡った空に筋状の雲が浮かんでいる。その青い空をバックにかつての白いリンカーン記念碑がキリリと聳え立っている。しかし今のアメリカ国民の中にはその白い建物がかつての大統領リンカーンの記念碑だということを知っているものは誰一人としていなかった。建物の三十六という大理石の円柱の本数はリンカーンが暗殺された一八六五年の当時の州の数を表しているということはもちろん知る由も無かったし、中の椅子に座ったリンカーンの銅像もすっかり取り除かれ現在では単なる集会用の建物としてそこに存在しているのだった。しかし今日、この場所でフレデリック王が大統領への出馬宣言をするのである。白い階段にはブルーの絨毯が敷き詰められ周りは白いユリの花と緑の葉によってデコレーションされていた。品のいいしかし艶やかさを失わない装飾はフレデリックの王族たる品格を一層引き立てるよう計算されつくされた演出されたものだった。フレデリックの立つ演台を映し出せるよう下手と上手の両サイドにはマスコミ用の雛台も作られ、そこには所狭しとTVカメラが犇いて並んでいる。空からも本日の様子を映そうとヘリコプターが数台、円を描きながら飛び回っている。会場にはすでに今日のこの場面を実際に見定めようとかなりの人が集まっていた。中には一週間も前から陣取っていたという気の早いフレデリックファンも見受けられたようだった。マスコミは宣言までの時間つなぎにこのような人々へのインタビューを流しながらその場を取りつないでいるようだった。


当のフレデリックは控えの部屋で一人そんな会場の様子を窓越しに見下ろしていた。

(三万人・・・いや四万人位集まっていようか・・・)

見えていた窓の横のボタンを押すとガラスがすっと曇り外の様子が見えなくなった。フレデリックはゆっくり歩いてソファーに腰掛けると熱い紅茶を一口飲んだ。お祭り騒ぎの様相を呈してきた外の様子をよそに思いの他フレデリックは冷静だった。フレデリックは自分でも不思議だったが重要な場面や盛大な式典になればなるほど冷静に落ち着いていく自分をいつも感じていた。周りの人間が浮き足立てば立つほど自分の心が冷めていく・・・そんなあまのじゃくな性格を持つ自分を素直では無いと感じながらも公の場所になればなるほどその性格に助けられているのもまた事実だった。

幼い頃から心を許せる人間が周りに一人もいなかったフレデリックには自分で自分の行動言動を事前にチェックし人に評価される前に自分で評価を下し合格点が出たものだけを瞬時に発表しなければならないという癖のようなものが付いていたこともその性格を形付ける一要因となっていた。しかし要求されたからと言ってそれが出来る人間と何年たっても出来ない人間はあるものだ。現に弟はどんなに教え込まれようと一度たりともそれが出来たことは無かった。ある意味今の自分の仕事がさほど重要だと感じていないフレデリックだからこそ冷静に見極め人々が望む姿を演じきることが出来るのかも知れないと感じていた。

本日の演説も大まかな原稿は用意してあるしその内容についてはサイモンをはじめ関係ある人々の了承はとってある。しかしフレデリックは聴衆の対応いかんによりその内容は多少変化させることを前もって考えていた。これは幾度と無く公の場に立って公演や演説をしてきたフレデリック自身の得た経験に基づくものだった。人が多ければ多いほどその判断は瞬時に下さなければならないし、それを読み取り掴み上げ率いていくには大量の機転と動物的カンさらには大量のパワーを必要とすることをフレデリックは体感し知っていた。そしてその瞬間を間違えなく掴み取るためには精神力と集中力に加え、今この時に自分で自分を支配しているかという冷静さが何より大切だということも・・・・

フレデリックは目を閉じゆっくりと自分自身と向き合った。フレデリックが落ち着いている時気分がいい時フレデリックの脳裏には澄んだ水の音と共にあのシオンと出会ったあの森に浮かぶ湖面が瞼に浮かんでくるのだった。ゆうるりとしかしまっすぐに水をたたえたあの水面が瞼に浮かび、聞こえるか聞こえないか位のサラリとした水の音がフレデリックの脳裏に響いた。フレデリックはゆっくりと眼を開いた。その冷たく澄んだブルーの瞳は凍てついた北海の様な青をたたえながら輝いていた。やがてドアにノックの音が聞こえ振り向くと迎えの者が立っていた。

「フレデリック王お時間です。」

ドアの方に面を向けたフレデリックの顔はいつもの凛々しくもすがすがしい、すこし正直すぎる眼差しを持った王の表情に代わっていた。フレデリックは立ち上がり背筋を伸ばして部屋を後にした。


フレデリックの退出した部屋のテーブルには白い一輪のバラの花が生けられておりその横でティーカップからまだ温かい紅茶の湯気が立ち上っていた。数分後にメイドが入ってきて部屋の片づけを始めた。カップを片付け手早くテーブルの上をふき取ると空気を入れ替えるため窓を開け放った。とたんに外の群集が今や遅しとフレデリックを待ち望んでいる声援とフレデリックを呼び込むコールが部屋中に響き渡った。メイドはしばらく階下の様子を窓越しに眺めていたがやがて他の部屋の掃除へと移動した。開け放たれた窓には四角に切り取られたような青い空に浮かんだ白い昼間の月影が雲間に隠れながら恥ずかしそうにうっすらと浮かんでいた。

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