第35話 花束
「おめでとう!」
「お幸せに!」
翁のしわくちゃな顔に微笑が絶えることの無い今日は黒鷹と紫音の婚礼の日だった。三軒両隣の家と翁、白虎の十名に満たない人数のささやかな式だが幸せに包まれた十六歳の花嫁は質素な白いドレスを身にまといこの上なく幸せそうな笑みを浮かべて黒鷹のそばに寄り添っている。黒鷹はちょっと緊張した面持ちだがやはり微笑みの耐えない顔で翁と酒を酌み交わしていた。近所の人々は持ち寄った食事をつまみながらそれぞれが結婚に対する心構えや経験を語りながらところどころで笑いが沸き起こっている。そんな中白虎は一人作り笑いを浮かべながら黒鷹と紫音から少し離れた位置で二人を見つめていた。
隣夫婦の娘でまだ五歳になったばかりのミニヨンが白虎の上着のすそを引っ張ってつついている。ミニヨンに気が付いた白虎は彼女の視線の位置までしゃがみこんで「やあ」と言った。ミニヨンは「ハーイ」と挨拶をすると白虎の耳元に唇を近づけてささやいた。
「白のおにいちゃまはシオンおねえちゃんのことが好きだったのよね?」
白虎は驚くと同時にたじろいでミニヨンの顔を見詰めた。
「あら驚くこと無いわ。みんな知ってることよ。でもシオンおねえちゃんはクロのお兄ちゃんのことがズット好きだったでしょ。クロのお兄ちゃんもシオンおねえちゃんのことが大好きで、それって“リョウオモイ”っていうんだって。ママが言ってた。でもシロのおにいちゃんのは“カタオモイ”っていうんだって。でも大丈夫よ!私がいるから元気出して!」
白虎は呆れた表情を浮かべ、ミニヨンを座ったままでだっこしてつぶやいた。
「みんなそんなこと噂してたの?」
ミニヨンが抱きか抱えられた白虎の腕を振り解こうともがきながら白虎に答える。
「そーよ。シロのお兄ちゃんは解りやすいのがいい所だってうちのパパも言ってたわ。」
白虎はミニヨンが自分の手を振り解くたびにまた捕まえて自分の方へ向かせて掲げ上げて言った。
「 “カタオモイ”か・・・そんなんじゃ・・」
「ウフフ・・・ミニヨンもシロのお兄ちゃんに“カタオモイ”だから解るのー!“カタオモイ”って楽しい!」
高い高いをされてはしゃぐミニヨンを下ろすと白虎はこの結婚の話の口火を切った翁のあの日の表情を思い出していた。
その日は黒鷹の十八回目の誕生を祝う日だった。紫音の作った小さなケーキを囲んで翁と白虎、黒鷹、紫音が集ったテーブルで夕食を終え、皆ほっと一息ついていたところだった。翁はケーキの最後の一口をほおばるとフキンで口の周りを拭いコーヒーを一口飲んで白虎、黒鷹、紫音の三人の顔を順に見詰めた。やがてひとつ咳払いをしてゆっくりと話し始めた。
「どうじゃ黒鷹も十八になったことじゃし、所帯をもってみるというのは?」
翁のあまりに唐突な話に三人は手を止め目を丸くしたまま翁を見詰めていた。フォフォと翁はその顔を見返しながら笑い続けた。
「黒鷹と紫音様とで家庭を作りなされ。わしは白虎とここに残ろう。家は隣のフォードさんに聞いてその離れのを借りてもいいじゃろう。とにかく・・」
その言いかけた翁をあわててさえぎったのは白虎だった。
「翁!おっしゃる意味が解りません!ミコとクロコは交わってはならぬ掟が!」
翁はまたコーヒーを一口飲むとその白虎をまっすぐ見据えて言った。
「ミコもクロコもどこにおるのじゃ。ここにおるのは年老いた老人と愛し合う二人の若者そして前途ある有望な白虎お前じゃ。もはや我等は民という形はとっておらん。紫音さまもその責務はとうに卸されておる。消えないのはかの大国が紫音様を追い続けているという事実だけじゃ。それはこの先どうなるかは神様しかわからんことじゃろう。しかしわれらが今この時を現に生きておることは確かなことなのじゃ。」
そう言うと翁は紫音と黒鷹を呼び寄せて自分の前で両者の手を取り重ね合わせた。
「黒鷹は大きくたくましくなった。紫音様は美しゅうおなりになった。明日の不安を打ち消すためには今をしっかりと生き抜くこと。意味はもう充分に解っておられることじゃろう。ミコとクロコが交わってはならぬという掟ははるか昔そのミコの能力を高めるための血を濃くする目的で定められたもの。ミコの予知能力すなわち天変地異の予告や他部族からの攻撃に前もって備えるためのものだったと考えられておる。ヤマトとしての民を持ち少なからず国もどきの形態を保っていた頃の話じゃ。大勢を守るためには約束事も必要じゃが、その掟を守ることが今の我々に必要か?」
翁は白虎の目を覗き込んだ。思わず白虎が目を伏せる。白虎は何か言い返したかったが言葉が思い浮かばなかった。その白虎を一瞬黒鷹が見詰めた。黒鷹はそのまま視線を左側にいる紫音に向けしばらく考えていたがやがて顔を上げると翁をまっすぐに見据えて口を開いた。
「翁言わんとされることは俺にも解ります。少し・・・少し時間をください。」
そう言う黒鷹を横から紫音が不安そうに見詰めていた。その紫音の視線に気が付いた黒鷹が紫音の肩を左手で抱きしめた。その手のぬくもりを感じた紫音は安心したように黒鷹に向けて微笑み返す。そんな二人を翁はほほえましく見詰めていた。
どっと沸き起こった会の声援に白虎はふと我にかえった。
「シロのおにいちゃま!シロのおにいちゃま!」
ミニヨンが白虎の周りではしゃいでいる。ミニヨンをあやしながら白虎はぼんやり思いをめぐらせていた。
(あの時自分が言い返していれば二人が結ばれることも無かったんだろうか?二人の結婚を勧めた翁に自分は何を言い返したかったんだろう?翁へさえ腹を立てていた自分それは民として守ってきたルールを破られたことへの憤りだったのか?)
そこまで考えたとき口からポツリと言葉が出た。
「いや・・・そうじゃないな・・・」
白虎のその言葉にびっくりした表情のミニヨンが白虎にここぞとばかりにまとわり付いてきた。
「なにがそうじゃないの!ねえ!おにいちゃま!」
白虎は照れ笑いでミニヨンをあやしながら自分で自分の押し殺していた気持ちに気が付き始めていた。
(この気持ちは青兄と黒兄においてきぼりにされた時と似ている。けどもっと欠けたような、さみしい辛い悲しい、もう紫音様を守らなくていい・・・それが悲しくて辛いんだ。私はやっぱり・・・)
そこまで思ったとき白虎はミニヨンを抱き上げた。上を向いた白虎の目には涙が浮かんでいた。
「ミニヨン。そうだね。シロのお兄ちゃんはカタオモイだったよ。」
高く掲げられたミニヨンがはしゃぐそのもっと上空からまぶしい日の光が降り注ぎ白虎は思わず目を細めた。まぶたから流れ出た涙は頬に伝い光をはじいてキラキラと光って見えた。ミニヨンを下ろすと白虎は片手で頬の涙を拭い黒鷹と紫音の方へ歩き出した。
(翁の話があって次の日だったかな・・・クロ兄が私に話をしてくれたのは・・・)
歩きながら前方の微笑んでいる黒鷹とは別人のようなあの日の黒鷹の表情を白虎は思い浮かべていた。
翁の話があってから白虎は黒鷹とも紫音ともなるべく顔を合わさないようにしていた。自分でも何故だか解らなかったがなんとなくバツが悪いというか話をするのも聞くのも恐いといったような気まずい気持ちになっていたのだった。そんな白虎の様子をみて午後一番で黒鷹が白虎を捕まえて話を切り出した。白虎は捕まえられてしぶしぶ話を聞いているといった様子だったが黒鷹の真剣な眼差しに本当は逃げ出したいような気持ちだった。
「昨日の翁の話だが・・・」
黒鷹はらしくストレートに話を切り出した。白虎は胸がズキリと痛むのを感じながら黒鷹を直視することが出来なかった。いつも自分を守ってくれるか上から指示を出してくれる立場だった黒鷹が自分に対面する同等な立場で話をしているそのスチュエーションが白虎には落ち着かないものだったし、出来ることなら逃げ去りたい気持ちでいっぱいだった。
「白虎、俺は紫音様・・いやシオを愛している。散ったヤマトのこと、これからあるかもしれないアメリカからの攻撃や亡くなった緑尽様、青兄、赤姉・・・それら全てを背負って今をシオと生きて明日へ紡ぎたいんだ。白虎お前のことも俺は本当の弟だと思って大切に思っている。翁もそうだ。だから」
白虎はこらえきれずに取り繕うような引きつった笑顔を浮かべて黒鷹の話をさえぎった。
「いいんだクロ兄!私は・・・何とも思っていない!紫音様にもうプロポーズしたの?よかったね。これからは私じゃなくってクロ兄が紫音様をお守りして」
白虎の話を今度は黒鷹がさえぎった。
「シオにはこれから申し込むつもりだ。その前に白虎お前にちゃんと話をしたかったんだ。聞いてほしい。白虎お前とシオの母上は双子の姉妹だったろう。つまりお前にもシオにも血を分けた肉親はもうお前たち二人きりだ。シオもお前のことを本当の兄のように慕っている。もちろん俺にとっても実の弟以上に大切に思っている存在だ。だからそのお前に一番わかって欲しくて話してるんだ。」
白虎は黒鷹が紫音に申し込む前にまず自分の気持ちを聞きに来てくれたことに感動していた。紫音の返事はわかっているものの筋を通してくれている黒鷹の気持ちがうれしかった。それと同時にミコとクロコという関係だけを拡大視していた自分が恥ずかしく思えてきた。
(そうだった。紫音様と自分は血縁関係にあるんだ)
そのつながりは白虎の心の中に暖かいろうそくの炎のような灯火を生んだ。照れ笑いでごまかしながら白虎は黒鷹に言った。
「ああ本当だ・・・私は赤姉との血のつながりしか考えて無かったよ。ほんとだ。紫音様と血が繋がってるよ。バカだな何で今まで深く考えたことがなかったんだろう?」
そう言う白虎の瞳からは何時しか一筋の涙がこぼれていた。黒鷹がその頬のしずくを拭うと白虎を見詰めて少し困ったような表情を浮かべて言った。
「赤姉のことを思い出したか?泣いてもいいぞ。俺も青兄のことを思い出した時は時々泣いてるんだ。ほら!」
そう言って両手を広げた黒鷹の胸に白虎は飛び込んで声を上げて泣いた。青兄、赤姉、緑尽様おぼろげに覚えている両親そして今はなきヤマトの人々の顔が白虎の脳裏に順に浮かんでは消えていった。幼い頃友達にいじめられて黒鷹が助けに来てくれた後いつも黒鷹の胸や背中にしがみついて泣いていた。その時の白虎に戻ったように何時までも何時までも声を上げて泣いた。
「白虎!」
紫音の珍しく大きな声に呼び止められ白虎は現実に引き戻された。紫音は白いブーケをかざして白虎に向けて手を振っている。その傍で黒鷹が白虎の方を見て目を細めている。白虎が二人に駆け寄ろうとしたとき紫音が白虎に向けてブーケを放り投げた。
「白虎!とって!」
紫音の声に白虎は天高く投げられた白いブーケを目で追った。青く高く澄んだ空に昼間の白い月が浮かんでいた。その月に向かって白い花束がゆっくりと放射線を描いて重なり、やがて白虎の方へ落ちてくる。白虎は走り出しジャンプしてブーケを掴んだ。会場に集まった人々からどっと歓声がわき拍手が起こる。白虎は照れくさそうに掴んだブーケに目をやった。緑の葉に引き立てられた白い小さな花々はそれぞれが可憐に生き生きと咲き誇っていた。それはまるで今を懸命に生きている紫音や黒鷹そして自分のようにはかなくまた同時に凛とした強さを見せていた。白虎はブーケを手にし紫音と黒鷹へ向けて笑顔を見せた。白虎の視線の先には黒鷹の横で安心した笑顔を浮かべ白虎を手招きしている紫音が映っていた。一瞬白虎は戻れない三人の関係に切なさを覚え胸がキリっと痛んだ。しかしそれと同時に自分の足だけで踏み出す初めての経験を大切に感じてもいた。紫音と黒鷹の待つその場所へ白虎は恐る恐る一歩を踏み出した。自分で自分を勇気付けながら「えいっ」と次の歩を踏み出すと左手のブーケがしゃらりと音を立てるのが解った。落とさないようにしっかりと握り締めながら白虎は新たな未来へ足を踏み出していた。
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