159 動き出すウォーレッド国
ツバキのいうように、イーシェアは魔の力に対する抵抗力が人よりも弱い。しかしそれ以外にも、イーシェアにかけられた魔術は、厄介な闇魔術だったのだ。
少しでも体内にその闇が残れば、その者を蝕み、膨らみ続け、やがては死に至らしめる。
じわじわと効いてくる、毒のような効力を発揮する魔術だった。
ロゼスは指輪を嵌めていたこともあり、彼は闇の魔術はそれほど重大な事柄にはならずに済んだ。
「……駄目、です。このままでは……。アルタイア王子、すぐに、メイクール国に戻りましょう」
意識を取り戻したイーシェアは、まだ万全ではないようだ。途切れ途切れにアルに言った。
「イーシェア、どういうことだ?」
アルがイーシェアの前に来て、厳しい顔で訊ねる。
「ウォーレッド国の魔族は、恐らくこれから、メイクール国へ向かうでしょう。ウォーレッド国の魔族が私を殺したかった訳は、一つです。メイクール国に入るのに、私がいては邪魔なのです。私が結界を張れば、例え高位魔族でも、メイクール国に手出しができませんから」
イーシェアはロゼスに支えられながら、ゆっくりと説明する。
普段は、イーシェアはそれほど大きな、力のある結界をメイクール国に張っている訳ではない。よって、力の弱い魔物や魔族は、国に入り込むこともできる。
しかし、高位魔族ほどの強い力のものが、ひとたびメイクール国に入り込もうとすれば、イーシェアはすぐにでも強い結界を張り巡らせ、入り込めないようにすることが可能だった。
高位魔族であるミザリーがメイクール国に入り込めたのは、彼女は特殊な魔術で結界を無効化していた。それでも、その時入り込めたのはミザリーだけだが――。
確かめる術はないが、他にも、特殊な魔術を持つ高位魔族は自らの力を隠してメイクール国へ入っていたかも知れない。
「私の結界が消えた今、彼らはすぐに、メイクール国を襲うでしょう……」
傍で聞いていたアルもロゼスも、顔がさっと蒼褪めていた。
「イーシェア、なぜ、魔族はそれほどメイクール国を狙うんだ?」
今度はロゼスが訊ねる。
「その訳を、私は気付いていました。メイクール国には、恐ろしく魔素の濃い場所があります。……魔王が通れるほどに」
「魔王が――」
イーシェアが言ったことに反応したのはクルミだった。
「ツバキ、魔素の濃い最後の場所が分かったって言ってたよね?」
クルミの問いにツバキは頷く。
「ああ、そうだ、メイクール国だ。やっぱり、奴ら、魔王を地上に呼び込む気かよ」
ツバキが言ったと同時に、船の上空を、ウォオオン、という幾つもの機械音が響いた。
それらはウォーレッド国の飛行船、数機だ。
アルは窓に寄り、上空を見上げる。
「あれはウォーレッド国の飛行船……、あれが全てメイクール国に……?」
不安からか、アルは片手を耳の傍に当て、髪の毛をくしゃりと掴んでいた。
「飛行船だけじゃない。ウォーレッドの船も、幾つも動き出してるぞ! こっちに向かっている訳じゃねえが、方角は、北西大陸だ!」
ダンが叫んだ。
アルは、一旦目を閉じたが、すぐに開くと、決意を固めたように、すぐ近くの二人を見た。
「ロゼス、イーシェア、すぐに戻ろう。メイクール国へ――」
アルは決意に満ちた眼で、きっぱりと言った。
クルミの近くに座り込んだパティは、イーシェアを救った時からずっと具合が悪かったが、アルがそう言ったすぐ後、彼女は隣のクルミに寄りかかった。
「パティ、大丈夫!?」
クルミが驚いて言った。
「ええ、少し、疲れただけです。きっと、眠れば、回復します……」
と言い残し、パティは完全にクルミに体を預け、意識を失った。
時を、ウォーレッド国からパティたちが逃げた時に遡る――。
彼らが逃げ、およそ三分と経たぬ内に、シュナイゼとカルファのいる訓練部屋に、ウォーレッド国兵士隊長、リオン・クルセルが訪れた。
リオンは二十代後半の、優れた剣術使いだ。
リオンが王と宰相のいる訓練部屋に付いた頃には、二人の魔族の姿は元の人の形に戻っており、リオンは片膝を付き、頭を垂れた。
「リオン、入り込んだ輩は捕らえたか?」
「王……、いえ、それが、奴らは煙のように消えまして――」
リオンは叱咤されるだろうと予想していたが、気の短い王は、しかし、怒ってはいないようだった。
「もういい。その代わり、すぐに兵を集めろ」
「その者らを追わないのですか?」
「あいつらの正体は分かっている。マディウス王が寄越した、メイクール国の兵士や、仲間の族だ」
「メイクール国の……?」
しかし、天使の少女もいたと報告があったが――、という言葉をリオンは飲み込んだ。
「奴らは、友好の証として、布教のために招待した巫女を奪っていった。そればかりか、巫女も、メイクール国の族も、この俺に刃を向けた」
「な……、シュナイゼ王に、刃を?」
「どうやら、マディウス王は始めからこのウォーレッド国を受け入れるつもりはなかったようだな。マディウスは
「そ、そんなことが――」
リオンは、あの穏やかな気質で知られるマディウス王がそんなことをするとはにわかには信じられなかったが、事実として、自国の王はそう告げている。
「リオン、すぐに兵をありったけ集めろ。準備が整い次第、出発をする!」
「そ、それはつまり、メイクール国と戦争を、始めるのですか?」
「愚かなことをいうな。戦争を始めたのはメイクール国だ!」
シュナイゼは厳しい目でレオンを見て、バン、と興奮して壁を叩いた。
「マディウスはウォーレッド国の王たる俺の命を脅かし、我が国は仕方なく、剣を振り上げるに過ぎん! メイクール国の奴らに目に物見せてやる」
失礼いたしました、と、レオンは膝を付きながら深く頭を垂れた。
「さあ、早く、王のおっしゃる通りにするのです。マディウス王の仕出かしたことは許してはならない事態です」
今度は物腰の柔らかな宰相、カルファがそっとレオンの肩に手を置き、立つように促す。
「は、はっ! 仰せのままに」
レオンは立ち上がり、深く礼をすると、訓練部屋を後にした。
「イーシェアは本当に死んだんだろうな、カルファ?」
レオンがいなくなると、シュナイゼは腕を組み、窓の外に目を向けるカルファに言った。
「……聖なる力から生まれた彼女が生きている可能性は低いでしょう」
「奴らの仲間のあの炎の使い手が、どさくさに紛れて、手鏡を持っていったのは痛手だな。イーシェアが生きていれば、また、結界を張るぞ」
「万が一、巫女が生きていたとしても、一国全てを守るほどの結界はもう作れません。何せ、神具の半分の力はこの国にあります。そんな結界では、私たちが国に入り込むことを止められない」
カルファは王が安心するように、柔らかく言った。
先ほどまで、石を持つ者たちとの戦いに苛々としていたカルファだが、ようやくもうすぐ目的を達成できることに、喜びを感じていた。
「ウォーレッド国の兵力ならば、メイクール国などすぐに手に落ちます。イーシェアが生きていたとしても、その後でじっくり始末すればいいですよ」
カルファの赤茶の瞳は恍惚と光っていた。
シュナイゼの青い瞳も、それに呼応するように、ちかりと怪しく光った。
その頃、一人の女魔族が、南西大陸、ウォーレッド第二帝国のとある場所を訪れていた。
その女は、漆黒の瞳に、同じ色の艶めく長い髪を持ち、腰には一振りの、重厚な古びた剣を差している。
その剣は、北大陸、カストラ国から盗まれた神具、〝開放の剣〟だった。
「これで、準備は整ったわ。ようやく、あの方をこちらの世界に呼び込むことができる――」
彼女の名は、サラと言った。
サラは、独自に動いていた。
赤と青の瞳の種族の一定の高位魔族と協力し、最も魔素が濃く、魔王を呼び込める場所を探し出した。そして彼女の特異な力を駆使し、魔王を、この地上へ呼び込む手筈だ。
「もうすぐです。もうすぐ、あなたを、この地上へと、呼び込めます。必ず、私はあなたの望みを叶えます」
――どんな犠牲を払ってでも。
サラは、最後の仕事に取り掛かるべく立ち上がると、胸の前に両手を置き、夢見るように囁いた。
第二章 後期 完
第三章へ続く
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