143 正体
アルがいた客室は、三階の奥の部屋だった。
ともかく回廊の先の階段まで行き、階下へ下ろう、とアルはあまり物音を立てず、小走りで足を進ませる。
夜更けのせいか、見張りの兵士に出くわさず、階段付近まで辿り着いた。
足音が、階下から近づいて来る。
隠れる場所もないそこで、アルは兵士から奪った短槍を構えた。
その者が現れたら不意を付いて攻撃し、また気絶させる――、と思っていたが、カツカツと靴音を立て階段を上ってきた者は、見知った人物、第二帝国元首のルシアン・ブライトであった。
ルシアンは短槍を構えたアルを見て、驚いていた。
「アルタイア王子、部屋を抜け出したのですか」
「ルシアン様、どうか、見逃して下さい。僕はメイクール国との取引に使われることも、ここで殺されたくもありません」
アルは短槍を構えたまま、ルシアンを見据えた。
「……大丈夫ですよ、アルタイア王子。あなたは国に戻れます」
ルシアンはアルを落ち着かせるように冷静に言い、アルは戦う素振りも見せないルシアンを見て、失礼しました、と言い、槍を下ろした。
ルシアンは前に会った時よりも痩せたようにも見えた。
「出口は、階段を降り右手に進み、王や配下の者の自室の前を通り抜けなければなりません。そこには見張りも多い。どの道見つかるでしょうが、今はシュナイゼ王の機嫌が良い。見つかっても、すぐに帰れるかも知れません」
「本当ですか? しかし、一体なぜ……」
「状況が変わりました。それ以上は私の口からは言えませんので、王や宰相様から聞いてください。……私はただの、臆病者です。私はあの、王の冠を被った者の力に屈し、言われるがままに動く人形に過ぎない」
「なぜそのような言い方をするのです? 以前のルシアン様は、シュナイゼ王を心より敬い、忠誠心に満ちていましたね」
「シュナイゼ王は……、王は、既に、王ではないのだ」
ルシアンは少し迷った後、下を向き、絞り出すように言った。
「どういうことですか?」
「王は、違う者に成り代わっている! 人ではないものが王を支配し、その体を操っているのだ!」
ルシアンは何か信じられないものでも見たように、両の目は怯え、顔は引き攣り、恐怖を抑えきれずに叫んだ。
「人でないもの……? つまりシュナイゼ王も、魔のもの、ということでしょうか?」
「いけませんね、ルシアン殿」
アルが確認して問い質した時、ルシアンの背後からぬっと姿を見せたのは、ウォーレッド国宰相であり、魔族であろう、カルファ・グリードだった。
「カルファ殿――」
呟いたアルの真横を通り過ぎ、カルファは怯えた様子のルシアンの前まで歩いた。
「愚かな人ですね。自分の考えを隠し、命令にだけ従っていればいいものを――」
カルファはアルを前にした時とは全く別の、冷たい、氷のような眼差しをしていた。
驚きと恐怖に身を固めたルシアンは、すぐに敬礼し、態勢を低くする。
「カルファ様、も、申し訳ございません……私は、どうかしていたのです」
ルシアンは、頭を下げ、びくびくと震える声で言った。
第二帝国元首であるルシアンが敬礼し、その補佐である筈のカルファに対し敬語を使っている事実が、彼らの関係性を表していた。
「全く、どうかしていますよ。折角の地位も、その命すら棒に振るとは、ね」
「お、お待ちください! どうか、穏便に――」
ルシアンの顔色が蒼白になり、アルも、カルファの不吉な言葉に、体を固くした。
カルファが魔族だということはパティの様子から分かっていたが、彼は、温厚な性質のものではないかと、高を括っていた。だがルシアンの怯えようから、それは間違いであり、甘い考えだったと、アルははっきりと認識した。
「信頼できない者を見逃すほど、私はできた者ではありません。ルシアン殿、あなたは今までよくやってくれましたが、従順な手下以外は必要ありません。アルタイア様の前ですが、あなたは処分することにしましょう」
カルファは言うと、すっと腕をルシアンの目の前に伸ばした。すると、どうしたことか。
「が……ああっ……!」
カルファは何もしていないのに、ルシアンは苦しみ始めたのだ。
いや、ルシアンが苦しむ直前、聞き取れないほどの小声で何かを呟いていた。
ルシアンは首元を押さえ、少しずつ宙に浮きあがっていく。
「カルファ殿! やめるんだ!」
アルは短槍を手にカルファに向かい、その槍を振り翳す――。
しかし槍を振り下ろす前にカルファはもう片方の腕を前に差し出すと、アルの体もまたふわりと宙に浮かび、次の瞬間には回廊の壁に叩きつけられていた。
ドンッ!!
その衝撃に、アルは背中を強打し、う、と小さく呻く。
カルファは再びルシアンの方を向くと、ぐ、と手の平を閉じる。するとルシアンは目を剥き、あっけなく絶命した。
何とか動こうとするアルに気付き、カルファはルシアンにしたのと同じように、不思議な力でアルの首をぐっと締め付けた。
アルはその闇の力を振り払おうしたが、どうにもできず、やがて、意識を失った。
カルファは意識を失っただけのアルの目の前にツカツカと歩み寄り、アルを見下ろすと、
「アルタイア様、すぐ近くに仲間が来ていますね。このままあなた方を見逃して差し上げましょう。それがメイクール国との約束ですから。すぐにまた、お会いするでしょうがね」
そう言い、倒れた王子をそのままにし、マントを翻してその場を後にした。
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