87 脅威の後
ライザの溶岩のような体から発せられた熱で部屋は溶け、回廊にいたアルたちの元にもその熱が届こうとしていた。
ライザはすぐに回廊に出て腕を前に突き出し、部屋を溶かすほどの熱が、回廊に漏れ出すことを防いだ。
「助かったのですね」
ネオが息を吐き出して言った。
ライザが熱を塞き止めたお陰で、アルたちはそれ以上何の傷も負わずに済んだ。
一同は胸を撫で下したが、ライザは同じく回廊に出ていたメイリンに向け、腕を突き出し、手の平を向けた。
「お前は今オレが葬った魔族と契約していたな? 選ばれた人間のくせに闇に落ちるとは心根の弱い人間だ」
メイリンはライザの腕が自分に向けられ、恐怖に慄いた。
「選ばれた人間は血筋でしるしが継承される。よって長い歴史の中ではお前のような者が出てくることも多々あった。お前は月の女神の選んだ者だが、今オレの目の前にいる以上、お前を葬り、しるしを他の者に継承させてもアズールは文句は言わないだろう」
そう言ったライザの突き出した腕の手の平が熱を帯び始める。
今のメイリンは重症で、走って逃げることもできない。本来ならば立っているのもやっとなのだ。最も、ライザの前から逃げるなんてことはどんな人間にも不可能だが。
冷や汗を掻き、後退りするメイリンの前に庇うように立ったのはアルだった。
「炎の神よ、どうかこの者を殺さないでください」
その言葉に、メイリンだけではなく一同は驚愕した。
「アル、その女はあんたを殺そうとしたんだよ。あたしたちだって殺されそうになった! それなのにその女を庇うっていうの?」
クルミはダンにもたれかかったまま文句を言った。
「納得いかないのは僕も分かっている。だが、メイリンに死んで欲しくないんだ」
「アル、ではメイリンを逃がすというのですか? 私も納得いきませんね」
ネオも傷だらけの姿で紫の瞳を鋭くした。
人間たちが騒ぎ出し、ライザは気を削がれ、面倒臭くなったようで、腕を引っ込めると、
「うるせえ奴らだな」
と言い、その騒ぎの中から少し離れたところへ移動した。
ネオはムーンシー国でメイリンに遭わされた出来事も思い出し、怒りが蘇った。許せる筈がない。
「この人は私から家宝も奪ったままです。腕輪がなければ、私は二度と家には戻れません」
「腕輪なら返すわ」
メイリンはよろけていたが、ネオから奪った〝光明の腕輪〟をポケットから取り出し、あっさりと渡した。
「持っていたのですか」
「シスに持っていろと言われて持っていただけよ」
メイリンはシスに死んだ後、魂を与える契約を交わしていたが、シスが死んだことで心境が変化しつつあった。尊敬し、敬っていたはずのシスに対して今は何の思い入れもなかった。
「これを返されたからと言って許せるという訳ではないですよ」
ネオは憮然としてメイリンから腕輪を受け取った。
「メイリンは僕の父、マディウス王がファントン国のレスカ―王たちを裏切ったと思っている」
ネオはもう知っているが、メイリンを助けるつもりで、アルはクルミたちに彼女が自分に恨みを抱く理由を説明する。
「父が裏切ったのかどうか、僕は父にその答えをまだ聞いていない。メイリンには真実を知る権利がある。僕もメイリンが生きてその答えを聞くことを望んでいる」
「――もし、メイリンが思っていることが本当でしたら、どうするのですか?」
黙っていたパティが口を開いた。パティはアルの瞳をじっと見つめていた。
パティはアルが心配だった。
彼は生きる力に溢れているが、時々、彼自身も気づかぬほど危ういことがある。
特にメイリンに対しては、アルはその優しさから必要以上に彼女に同情している。
パティはその不安を
アルは俯き、黙ると、顔を上げて、パティではなく、無表情のメイリンに目を向けた。
「もし本当に父がレスカ―王を裏切ったのだとすれば、僕は、この命をあなたに捧げる。僕の命を奪うなり、好きにするといい」
周囲の者たちはそれを聞き驚きの中にいたが、メイリンはふっと笑った。真面目なアルらしい答えだと思ったのだ。
ただ一人、パティだけは反応が違っていた。
パティの瞳は戸惑いと驚きに揺れ、体は硬直したように動かず、顔色は蒼白になった。
「……アルタイア、その言葉、忘れないわ」
メイリンは言い、その場から去った。動けることが不思議なほど重症だが、ゆっくりではあったが足取りはしっかりとしていた。
「なぜメイリンを逃したのですか?」
ネオはつかつかとライザの近くに寄り、問いかけた。ネオは少しむっとした顔だが、神の御前であるので、できるだけ平生を装った。
「お前らも一緒だろう。先ほどのあの娘の状態ならばお前らでも倒せた筈だ」
ライザは壁に寄りかかり腕を組んで言った。それに、とライザは続ける。
「あの娘の契約相手である魔族は死んだ。手にしていた魔の力は失われる。今までのように勝手な真似はできないだろうからな」
ライザが言ったことだけではなく、城を離れたメイリンは、その心境が大きく変化していた。
シスと魂の契約をしていたメイリンは、その心も魔の影響を受けていた。
彼女が契約を交わしたのはもう五年以上前のことだ。シスに依存し、あの魔族の思うままに動かされ、本来の彼女の心は深層へと眠り続けていた。だがシスが死に、本来のメイリンの心が目覚め始めていた。
「アルタイア、なぜ私を助けたの? 私は、どうすれば……」
メイリンは、重症の体をゆっくりと進ませ、歩きながら、感情の消えた顔で呟く。
シスが死んだことと、アルに救われたこと、アルのその優しい心に触れたことで、メイリンの心を占めていた憎しみが消え去りつつあった。
メイリンは行く当てもなく、魔物の消えたグリーンビュー国の王都を歩き続けた――。
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