64 本当の気持ち
「ジル。ごめんよ。僕のせいだね」
ロミオは鋭く太い牙を肩に食い込ませ、そこから血を滴らせていた。
ジルは獣の姿でロミオに噛みつき、うう、と唸っているが、その鋭い眼は、だが怯えているようでもあった。
周囲の者たちは固唾を飲んで見守っていた。
アルもパティも一度ロミオ、と叫び、アルたちが助けに入ろうとすると、それを制するようにロミオは首を振ったので、見守るしかできなかった。
更に牙が食い込んでいくのも構わず、ロミオはジルの背の鈍色の獣の毛を優しい仕草で撫でた。
「会って間もなくの頃、僕は、ジルを信じていなかった。ジルを哀れに思って、救いたいと思って引き取った。それなのに僕の心には二つの相反する思いがあったんだ。……父を魔族に殺されたことへの憎しみと、ジルを可哀そうだと思う心が。僕は……、心を開いてくれ始めたジルに、どう向き合っていいか、その時は解らなかったんだ」
ロミオは肩を噛まれ続けていることで、荒い息を吐き、苦し気な表情をしていた。しかしロミオの紡ぐ声は優しく包み込むようで、迷いがなかった。それを聞いている内に、ジルの獣の瞳にある変化が生まれていた。
ジルはロミオの肩に食い込んだ牙を抜き、瞳に戸惑いを浮かべた。その漆黒の瞳にはもう獣の鋭さはなく、いつもの彼の、純粋な輝きが映っていた。
「あの時、酷いことを言ってしまったね。ジル、許して欲しい。どうか信じてくれ。君は僕にとって、もうたった一人の家族なんだ。大切な子だ。だからジルを助けたい」
ロミオは牙が外れたことで体の自由が戻り、ジルの瞳をじっと見つめ、微笑んで獣の頭をそっと撫でると、ジルの姿は獣のそれから人間の姿へと戻っていた。
少年の体からは嫌な気配はもう漂っていなかった。
ジルの瞳からは涙が溢れていた。
ジルは自分が犯してしまった罪を理解し、またそれをロミオが許してくれたことを心から嬉しく思い、同時に罪悪感もあった。ジルの涙はそれらの気持ちが入り交じり、悲しく美しい雫となって漆黒の瞳から零れ落ちた。
ロミオはほっとした様子で微笑むと、ジルを抱き締め、そのまま崩れ落ちた。
「ロミオ!」
アルたちがロミオに駆け寄った。
アルは着ていたシャツを破ってロミオの傷を負った肩を押さえる。
気絶したロミオは顔色が真っ青で、傍で見つめているパティもジルも不安そうな顔をしていた。
少し後から傍に寄ったライナがロミオの脈を取ると、
「大丈夫、気絶しただけです。出血が多いので、すぐに手当ては必要ですが」
と言い、僅かに口元を緩めた。
「良かった、ロミオ。ねえ、ジル、ロミオは大丈夫です。二人とも、本当に良かった」
パティはジルの手を取り、その瞳に涙を浮かべ、嬉しそうに微笑んだ。ジルは頷いただけだったが、その顔ははにかんだような子供らしい表情で、普段大人びた顔をしているジルが、いつもよりも幼く見えた。
ロミオは適切な手当を受けたことで、数時間後には目覚めた。
肩の傷は浅くはないが、幸いなことに重症でもなく、二週間ほど安静にしていれば何の後遺症もなく治るだろうとのことだった。
城で眠ったまま朝になり目覚めたロミオは、起きてすぐに、ジルと家に帰ると言い出した。
カストラ城の牢に幽閉されていたことのあるジルの気持ちを思い、ロミオはそう言ったのだ。
ロミオが肩に包帯を巻いた状態で帰り支度を整えていると、バノン王の使いの執事が現れ、客間へと呼び出された。
その少し前の時刻、ロミオが目覚める前に、アルはバノンと話しをしていた。
「――そうですか。魔族が神具を集めていると。嫌な兆候です。魔族に対する更なる強化が必要ですね」
「バノン王、我がメイクール国と同盟を結んでくださいませんか?」
「アルタイア王子、それはこちらも同じ思いです」
バノンは即答し、アルは感謝の意を述べた。
バノンは手を差し出し、アルはその手を握った。
メイクールには大国までもが欲しがる黒い宝石、ベアトリクス・ブラッククリスタルがある。
バノンもそれが目的だろう。同盟を断れば取り分が減らされる可能性もある。事実そうなったとして、異議を申し立てたとしても、ウォーレッドやグリーンビューの二大大国が、もしその取り分を多めに分けられたとすれば、カストラ国はメイクールに手出しはできない。
故に、バノンは、アルに同盟の申し出をすぐに了承したのだ。
アルはそれを理解している。
しかし、どちらにせよ、バノンの返事はメイクール国にとっては有難いものだった。だが。
(もし魔族が大群を率いて攻めてきたら、メイクール国やカストラ国のような小国はすぐに潰されるだろう)
アルは人知れず唇を噛んだ。
魔が動いている。神具や選ばれた人間を狙っていることを思えば、それは明確な意思を感じる。
(ロミオの言ったように、魔の頂点に立つブラックスビネルを倒すためなのか?)
「アルタイア王子、一度メイクール国に帰られた方が良いのではありませんか? 魔族がいつどこに攻めて来るか、分からない状況です」
「いえ、そういう訳にはいきません。魔が動いている今、尚更、僕が各国の王と良好な関係を築き、同盟国となってもらえるように尽力しなければなりません」
バノンの問いかけに、アルはきっぱりと言った。
必要なのは、ウォーレッドやグリーンビューの大国と親密な関係を築くことだ。メイクール国のためにすべきことは、それが最適だろう。
しかしアルには、どちらの大国も、メイクールに手を貸すとは思えなかった。両国にとってもブラッククリスタルは貴重な石だが、それがなくとも十分に力を得ている二つの国にとってはメイクールと同盟を結ぶ必要はなかった。
何とかメイクール国が魔と対抗する方法を考えなくては、とアルは思った。
「僕は急ぎ残りの国を巡ります。そして魔の動きを探りつつ、警告をします」
「ええ、魔族に何か動きがあったらご連絡を」
「はい、約束は守ります。バノン王、お世話になりました」
アルはバノンに軽く礼をし、別れの言葉を告げた。
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