50 ジルとロミオ(前半)
時を少し遡る。
雪の降りしきる薄暗い山林で、壊れた馬車を見つけた者がいた。
その者は、馬車道で引いてきた
そこには薄紫色の髪の若い男と、背中の膨らんだ、ブルートパーズ色の髪の少女が意識を失って倒れていた。
その者は二人の傍に寄り、心臓の音を聞く。
「生きている」
そう呟くと、その者は少女を担ぎ、急坂を登って、馬車道に置いた轌の上に乗せた。その後で、同じように男も運ぶ。また、再び馬車に行き、置き去りにされた彼らの荷も運んだ。
その者はまだ少年だった。
年の頃は12、3歳くらいだろうか。耳が隠れるほどの長さの癖毛と獣のような瞳は漆黒で、痩せていて、少年にしては力が強かった。
力が強い、というだけでは十分ではないだろう。
パティはともかく、178センチもあるネオを担いで急坂を上がる時も、少年はしっかりとした足取りだった。
少年は轌についた縄を引っ張って歩いて行き、二人と彼らの荷を運ぶ。
ズルズルと、少年が運ぶ轌の音が静かな馬車道に響いていた。
パチパチと薪が燃える音がしている。
パティはその心地良い暖炉で燃える薪の音で目を覚ました。
(ここは――)
パティは、寝かされたベッドで上体を起こし、きょろきょろと辺りを見回した。
温かい部屋の中のリビングの一角にあるベッドにパティは寝かされていた。壁も床も木で出来ており、奥にはキッチンと玄関があった。見たことのない小さな家の中。
温かいせいだろうか。落ち着く空間だった。
「アルと、ネオは――?」
パティは不意に気絶する前の出来事を思い出した。
馬車が林の中で急坂を転がり落ちたところまでは覚えているが、その後は記憶がなかった。
「あんた、天使なのか?」
突然声をかけられ、パティは驚いてベッドの隅に体を寄せた。
彼女が驚いたのは、少年は紛れもなく魔族の気配を身に纏っていたからだ。
「あ……はい。あの、あなたは魔族なのですか?」
パティは不思議な感覚がしていた。
少年からは魔族の持つ、闇を発するような気配がするが、不思議と嫌な感じがしなかった。恐怖という感情は浮かんでこなかった。
少年は漆黒の瞳を持ち、幼いが大人びた表情をしていた。
彼はパティが毛布を剥いでベッドの隅に寄ったことで顔を赤らめ、ふいとそっぽを向いた。
「パティ、毛布で体を隠した方がいいですよ」
少し離れた横にあったベッドから聞き覚えのある声がし、パティがそちらを見ると、ネオと視線が合った。ネオは下着のみで服を着ていなかった。
「ネオ! 良かった、無事だったのですね! アルは、どこですか?」
ネオは首を横に振った。
「分かりません。パティ、ひとまずこれで体を隠してください」
ベッドを降りようとするパティを制し、ネオはベッドで上体を起こしてパティの前に毛布を差し出す。
パティは一瞬きょとんとしたが、自分が下着姿だったことにようやく気付いた。
ネオは女性の下着姿など見慣れていたので涼しい顔をしていた。パティはネオが毛布を差し出したので、それを受け取って体を隠した。
恥ずかしいという感覚があった訳ではなく、アルの前で着替えた時注意されたので、女性は男性の前で気軽に着替えたりなどしないと理解していたからだった。
「やあ、二人とも、起きたかい」
木製の梯子を早足に降りる音がし、男が朗らかに声をかけた。
30過ぎほどの年の落ち着いた声をした男は空色の瞳に茶色のぼさぼさの髪をし、無精髭を少々生やしていた。
「二人を轌で運んだから服が濡れてしまってね。体を温めなくてはいけなかったから、脱がしたんだ。悪かったね」
「いえ、そんな。親切にありがとうございます」
パティはにこやかに言った。
ネオは、服を勝手に脱がされたのに礼をいうパティに違和感を覚えた。天使とは無防備で世間知らずなものなのだな、と思った。
「それに、助けてくれたこと、感謝します」
「いや、助けたのは僕じゃないんだ。この子、ジルだよ」
男は少年の後ろに立ち、その肩にぽんと手を置いた。
「僕の名はロミオ。ロミオ・クルス。君たちの服乾いているよ。その格好じゃ何だから、着替えるといい」
ロミオはそう言い、暖炉で乾いた温かい服を差し出した。
ロミオはお世辞にも清潔とは言えない、皺くちゃなシャツと少々汚れたズボンを穿いていたが、朗らかで明るい雰囲気の男だった。額に、模様の入ったバンダナを巻き、首の後ろで縛っていた。
パティとネオが着替え、二人が名を名乗ったところで、ロミオはテーブルにつくよう促した。すると少年ジルが二人に温かいスープとパンを持ってきてくれた。
「これは有難いですね。お腹が空いていましたから」
ネオはスープを差し出されて微笑む。
「僕たちはもう食事は済んでいるから、遠慮しないで食べていいよ」
食べようとしないパティにロミオは言ったが、パティは神妙な顔をして、ジルを見た。
「ジル、わたしたちを助けてくれた時、アルは近くにいなかったですか? もう一人、一緒だった方がいたのです」
「オレが見た時はあんたたちしかいなかった。……いや、微かに人間の匂いがしたか。多分、立ち去った後だと思う」
ジルは思い出したように言う。
「匂い?」
ネオはジルの言葉に眉を寄せた。
「ジルは、少し変わったところがあってね。信じられないだろうけど、普通の人よりずっと嗅覚が優れているんだ」
「――それは、人間ではないからですか?」
パティは何気なくそう訊ねたが、ネオはぎょっとした顔をし、ジルとロミオは顔を見合わせ、話してもいいだろうという合図をした。
「パティ、君は天使だから、ジルが人間じゃないと分かるのかな?」
「ええ、多分、そうです。気配で、人か魔のものかわかります。だけれど、ジルは魔のものの気配がしますが、嫌な感じはしません。だから怖くはないです。どうしてそう感じるのかは分からないですが」
「それは多分、わかる。オレ、魔族と人間の混血なんだ」
ジルは漆黒の瞳を曇らせ、寂しそうに言った。
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