第154話 騒めき
三人がしっかり去ったことを確認した俺は、ついでとばかりに下の階へ荷物を取りに行ってから部屋へと戻った。
どうせ高いお金を払ったのであれば、デカい風呂に入って、フカフカの巨大ベッドでデデーンと寝た方がいい。
戻るなり早々風呂の湯を張る準備をし、その後部屋の様子を窺うも、リルの姿は見えずにまだ布団はこんもりしたまま。
顔すら見えないので、ベッドの縁に腰掛け声を掛ける。
「リル。あの3人はもう帰ったから大丈夫だよ」
「……」
「ん? リル……?」
あれ? 女神様が寝落ち?
まさか、俺が荷物を取り行っている間に……?
あり得ないと思いながらも咄嗟に布団を引っぺがせば、そこにはなぜか亀のように丸まっているリルの姿が。
被った布団を手で押さえ、まるで頭だけは死守するように布団の中へ突っ込んでいる。
頭隠して尻隠さずというこの状況に、「何してんだ、コレ?」という言葉しか出てこない。
「リル?」
「……」
「おーい」
よく分からないまま、丸まった背中をツンツン突ついてみると、布団の中からくぐもった声が聞こえてくる。
「私は守られるほど弱くないぞ……」
いやいや、そんなの知ってるし。
まさか、弱いと思われて拗ねてるのだろうか……?
ハァ~と深い溜め息一つ。
なんでこんな説明をと思いながらも、事情を伝えていく。
「リルが弱くないのは俺が一番知ってると思うよ? ただ【神眼】しか持ってないってバレちゃったのに、あの人達に凄く強いなんて言ったら話がややこしくなるでしょ? 普通の人間じゃ有り得ないスキル構成なんだからさ。だから女神様と紐づけられないように、俺が盾になっている印象を与えたつもりなんだけど……そんなに不満だった?」
「それは話を聞いていたから分かっている。不満なわけではない」
「じゃあ、どうしてそんな布団被って丸まってるのさ?」
「なんだかそうしたくなったのだ……」
うーん困った。
機嫌が悪いわけではなさそうだけど、まるで女性のアノ日みたいな、妙に取っつきにくい雰囲気が滲み出ている。
踏み込み過ぎると危険。
そんな言葉をリルの背中が語っているような気がしたので、今は触れずにソッとしておこうと――
「お風呂入ってくるからね。この部屋のお風呂は豪勢だし、こんな機会早々ないからリルも興味あるなら後で入ってみるといいよ」
――そう告げて風呂へと向かった。
女性の扱いはなんと難しいことか。
不慣れなら、とりあえずはヘタに触れないのが一番である。
▽ ▼ ▽ ▼ ▽
ロキが部屋に戻ってきたことがドアの音で分かった。
その瞬間、咄嗟に布団を掴んで隠れてしまった自分を不思議に感じていた。
なぜそうしたかは分からない。
でもそうしなければ今はマズいと、布団を捲られた時も必死でその布団を掴んでしまった。
自然と、身体が動いてしまったのだ。
なんとも言えない感情が頭に纏わりつく。
しかしそれが嫌というわけではなく、この整理しきれない靄をどうしたものかと戸惑うばかりで、とりあえずは落ち着く時間が欲しかった。
今、ロキに顔を見られるのは危険な気がする。
『――何かあれば僕が姉を全力で守ります』
あの言葉を聞いてからだ。
守る?
冗談じゃない、私は戦の女神だぞ?
人種に負けるようなことなんて……ハハッ。
間違っていることが分かっていながら、それでも思考を続けている自分に思わず苦笑いを浮かべてしまう。
なんという見苦しい言い訳か。
まさか人種の所持スキルを覗くために降りていた私が、逆にスキルを覗かれるなんて想定もしていなかった。
【分体】を降ろすのが初めてとはいえ、私の、というより女神である私達の落ち度。
スキルを所持しているだけで大半は使用することもなく、普段から深く考えていないからこんなことになる。
そんな私達の失態を、自らが異世界人と白状してまでロキが守ろうとしてくれたのだ。
――誰かに助けられ、守られる。
不思議なものだ。
一見下に見られているようで、何故かとても温かい気持ちになる。
こんなことは初めて……違うな。
あの時もそうだ。
ロキを殺めてしまい、フェリンやリステがかつてないほどの怒りを見せた時も、なぜか当人のロキが私を庇ってくれていた。
なぜそんなことをするのか、理解ができなかった。
だから思わず心を読んでしまった。
じゃがいも顔と一緒に歩きたくないなどとふざけた言い草ではあったが――
それでも私が孤立してしまわないかと気遣ってくれていた。
リルなんていう可愛らしい呼び名も、当初はなぜ皆が許しているか不思議でしょうがなかった気軽なしゃべり方も。
今となってはそんな気安さを心地よく感じてしまっている。
――リステやフェリンの感情に近いのか。
――それともフィーリルの感情に近いのか。
自分自身でもまだよく分からない。
ならばロキは私を姉と言っていたのだから、母になると公言したフィーリルを見習っておけば良いのだろうか?
布団から顔を出し、誰もいなくなった部屋をボンヤリと眺め、その後視線を自らの腹に向ける。
ロキはこんなのでも、
ならば―――
込み上げてくる緊張の中、ロキが向かった一点を思わず見つめた。
▽ ▼ ▽ ▼ ▽
(310~……311~……312~……313~……)
「ぶほぉあー!!」
思い付きでやった結果が予想以上に凄くてビックリ。
カウントが自分の匙加減とはいえ、まさかの息止め5分超えだ!
確かこのくらいの歳の頃、よく実家の風呂場に潜りながらどれくらい息を止められるのか。
その秒数を延ばすことに、なぜか躍起になっていた時期があった。
慣れた頃には1分を安定して超えるようになり、1分30秒辺りが俺の自己記録だったはず。
それが異世界で日々狩りという運動をしているからなのか。
それとも身体の作りが地球にいた頃とは違うのか。
理由は分からないけど、まさかここまで息を長く止められるようになっているとは思いもしなかった。
日本の水泳部員も結構驚く結果ではないだろうか?
となると、この記録をさらに延ばしたいのが男というもの。
スタミナと一緒で、肺活量もたぶんあればあっただけプラスになるだろう。
風呂があったら特訓じゃいと、呼吸を整えたら2回戦に突入する。
そして、今。
2回目の結果なぞ一瞬でぶっ飛ぶくらいの衝撃が襲い、俺の頭は大混乱していた。
「何をやっていたんだ……?」
「え? いやいや……それは俺が聞きたいんだけど……?」
お湯から顔を出したらリルがいた。
風呂場の横に屈んでパシャパシャと、お湯を手で掬っては身体に掛けていたのである。
意味が分からないと思うが、俺が一番分かっていない。
急速に顔が熱くなっていくのを感じる。
と同時に、我が息子さんが慌てて起床したのも理解した。
俺の血流は上と下、どちらに流れるべきかで非常に悩んでいることだろう。
「ロ、ロキが豪勢な風呂だから入ってこいというものでな。ご飯と一緒で、入らなければ損ではないかと思ったのだ。さ、最終日だしな!」
「あ、あれ? 俺入ってこいなんて言ったっけ? 後で入ればって言ったような……」
「言った! 言ったぞ! というかもう入っちゃったんだから今更遅い!」
「えぇー!? でもでも……なんだかありがとうございます!!」
思わず俺は感謝の言葉と共にリルへ頭を下げた。
正確にはその裸体にだ。
一応布で前は隠しているものの、濡れて肌に張り付いているため、妙にエロいというかエロ過ぎファンタスティックボンバーである。
もうご馳走様ですとしか言えません。
「な、なんでありがとうなんだ……?」
「え? だってそりゃあ、目が幸せですし……?」
「フィーリルとだって一緒に風呂へ入ったのだろう?」
「うん? 入ったけどフィーリルは服着たままだったからさ」
「……」
「……」
「それを早く言ぇええええええええ!!」
「えぇえええええええええええええ!!」
リルが焦って必死に肌を隠そうとするがもう遅い。
その絶壁っぷりはしかと目に焼き付けましたし、たぶん一生忘れることもありません。
「というか、なんでフィーリルが大丈夫ならリルも大丈夫なの?」
「そ、それはまぁ、私にも思うことがあってだな……」
「ふーんよく分からないけど……せっかく来たんならとりあえず入る? お風呂温かいよ?」
「そ、そうだな。そうしよう。風呂に入りに来たわけだしな!」
「あっ、お湯の中に布を入れるのはマナー違反だからね」
「……ほんとに?」
「ほんとに。全世界の常識」
「……」
湯舟は広い丸型なので、どこに入ってもまったく問題無い。
リルは少し悩む様子を見せながらも覚悟を決めたのか、俺の向かいに背中を向けて腰を下ろしていた。
お湯が透明なのでこちらを向いてくれないのはしょうがないだろう。
手で必死にお尻を隠していたが、眼球の血管がブチ切れそうなくらいに凝視したのは言うまでもない。
「で、先ほどは何をやっていたのだ?」
「え? ひ、一人息止め大会を……」
「そ、そうか……」
「うん……リルも、やる?」
「いや、遠慮しておこう……」
「……」
「……」
「どう、お風呂は?」
「あ、あぁ。気持ち良いな」
「……」
「……」
(なんかとっても気まずいんですけどぉー!!)
予期せず、知り合いの異性が突如風呂に乱入してくるとこういう状況になるものなのか。
ただただ無駄に興奮しないようにと、そう思いながらもシミ一つ無い綺麗な背中と、揺れる小振りな尻を眺め続ける。
「しまった。髪を結んでくればよかったな」
リルが壁に向かって呟く言葉を、俺はなんとなしに聞いていた。
両手で一度金髪を後ろに流し、纏めて結ぼうとする姿は物凄く色っぽくて……リルに対してはこんなはずじゃ……って、あっ、あっ……
「ああああああああぁーーーーーーーーーーッ!!」
「な、なんだ!! いきなり叫ぶとビックリするだろう!?」
髪を結びながら、顔だけこちらに向けて怒っているけどそれどころじゃない。
ふらふらと、やや距離があったリルの方へと近づいてしまう。
もっと――
「ロ、ロキ……?」
――もっと近くで見なくては。
「コ、ココ、コラ! あまり近寄ると、あ、あぶ、あぶ、危ないぞ!?」
「大丈夫だから」
「な、何が大丈夫なんだぁ!?」
視線は一点に。
物語や空想の世界でしか知らなかったモノへと注がれる。
「耳……凄い。この世界に来て初めて見たよ。そういえばリルってエルフの先祖様みたいなものなんでしょ?」
「へっ? 耳?……あぁ、たしかにエルフの素体と言われているが……」
今までは長い金髪に隠されていて見えなかった。
が、よく見ると上部の先端がやや尖っており、イメージしていたりよりは外に広がっていない。
これじゃあ髪が長ければ隠れてしまうわけだ。
僅か数cm人間より長いという程度。
それでも、初めて見る想像上の産物に感動が止まらない。
「初めて魔法を使った時並みに感動しちゃったよ。ねね、普段って隠してたの?」
「いや、隠すという意図はないぞ? 私はそこまで強く特徴が出ていないから、髪が長いと自然に隠れてしまうのだ」
「思ってたよりも控えめだなって思ったけど、やっぱり人――エルフによって違うんだ?」
「そのはずだな。特にエンシェントエルフやハイエルフの血族なんかは耳がかなり発達しているんじゃないか?」
「おぉ、エンシェント……それって古くから鍛えているとか、血が濃いとか、そんな理由?」
「そうだな。特に純血種はその特徴が濃いはずだ。生物は皆そういうものだろう?」
「たしかに。ということは、控えめなリルの耳は全然使われなかったということじゃ……」
「ハハハッ! その通りである!」
いや、なんで大笑いしているのか分からんし。
まぁ子孫に特性を引き継ぎながら、徐々に環境に応じた進化や退化をしていくものなんだろうし、ずっと生き続けているリルにとっては関係無いのかもしれないな。
「ねぇねぇ、ちょっと触ってみても平気?」
「ん? 構わないが……普通の耳だぞ?」
「いいのいいの。この先端部分が気になってさ」
フニフニ。
コリコリ。
「ッ……」
おぉ。
尖った部分に軟骨がある!
自分の耳と触り比べてみると余計によく分かるな。
コリコリしているけど硬いわけじゃなくてなんか気持ち良い。
横から見ると耳の穴とかは人と同じに見えるので、人間との違いなんてこの先端部分と極端なくらいの肌の白さ、あとは系統の違う綺麗さくらいだろうなと思ってしまう。
俺個人の感覚で言えば、女神様達の中でリルが一番の外人顔だ。
他の5人の女神様達はハーフ顔というか、受け止めやすい綺麗や可愛いなんだけど、リルだけは海外のスーパーモデルのような、どこか世界の違う造形物を思わせる美しさがある。
ただ……
クンクン。
「ちょ……」
やっぱりだ。
先ほど隠れていたリルの布団を引っぺがした時に思ったのだ。
不意に立ち上った匂いに、「あれ?」って。
それが今確信に変わった。
クンクンクン。
「ロ、ロキ……?」
「うん。リルはなんか懐かしい匂いがするね。人の匂いに凄く近い」
女性特有の強い甘さの中に汗が混じったような、過去に何度も嗅いだことのある系統の匂い。
有体に言えば、落ち着きの中にも興奮を促してくるズルい匂いである。
クンクンクン。
「コ、コラコラコラ! そんなことされたら恥ずかしいだろう!? そ、それにこれは『姉』にやることなのか!?」
「あっ」
姉なんていう設定は所詮思い付きだ。
実際に血が繋がっているわけでもないし、姉がこんな美人ならそれはそれで俺の日常生活が崩壊してしまう。
ただ、そう言われて急に冷静にもなれた。
リステとの情事が思い起こされ、早々に何を暴走しているんだと自らを叱責する。
「ごめん……なんか身近に感じる匂いで思わず嬉しくなっちゃってさ」
「……皆は違うのか?」
「ん~みんなそれぞれ違った良い匂いなんだけど、あまり人間っぽくはないかな? 味に例えれば雑味が全然無い感じ?」
「よく分からないが……わ、私は
「んだね。ってか、女神様達はほんと特別ってやつ好きだよね~」
後半の言葉は耳に入っていないのか、「特別……特別……」と壁に向かって呟いているので、これはこれで放っておいた方がよさそうな気がする。
そろそろ
このままいたんじゃ俺のスケベ心が止まらなくなる。
「俺がいたんじゃ足伸ばして寛げないだろうからそろそろ上がるよ。リルはごゆっくり~」
「ッ!? ちょ、ちょっとは隠そうとしろー!」
背後で何か騒いでいるけど、既に俺のは散々見られているので気にしない。
身体を拭き、部屋着に着替えて―――
「どうしよ。リルもめっちゃ女性じゃん……」
部屋に戻り次第、そんな言葉を思わず呟いてしまった。
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