第145話 母
心地良い光に包まれる感触。
まるでぬるま湯に頭から浸かっているような、縁側で春の日差しを全身に浴びているような……
そんな気持ち良さに微睡んでいる中、誰かが会話をする声で意識が現実へ引き戻される。
「―――これで大丈夫です」
「そうか……済まない……」
(……その声はフィーリル? あれ? それともアリシア様?)
会話に違和感を感じ混乱してしまうも、薄っすら目を開ければ、俺はまだクイーンアントの部屋にいることがすぐに分かった。
目の前には蟻の死骸が大量にあるのだから、勘違いのしようもない。
危うく蟻に抱き着くところだったと変な汗が出てきてしまう。
「ロキ君の意識が戻ったようですね」
この声、やっぱりフィーリルだよね? と思いながら起き上がり、声の方へと視線を向ける。
「…………本当に、ありがとうございます」
思わず素で敬語が出てしまった。
背後から怒りのオーラが噴出しているとしか思えないフィーリルの姿。
いつもの笑顔なぞ当然無く、今までとの差が凄まじ過ぎて、思わず後退りしそうになってしまう。
「まずは二人とも、そこに『正座』をしなさい」
「「はい」」
当たり前のように従う俺とリル。
その動きは蟻のように素早い。
実はフィーリルが女神様達の裏ボスなんじゃ――
そんな発想がチラリと出かかるも、今バレたら首が遥か彼方までぶっ飛びそうなので、額を地に付け地面の小石を数え始める。
まさかリルからの土下座で油断していたら、今度はリルと一緒にフィーリルへ2度目の土下座をするとは……
「あなた達はいったい何をやっているのです? こないだ死んだばかりだというのに、なぜそのような深手を負っているのですか? ロキ君なんて死にかけ。まるでボロ雑巾のようではなかったですか」
ごもっとも過ぎて何も言えません。
ボロ雑巾より酷かった自覚があります。
「両手足の欠損、両耳、右目、鼻の欠損、腹部も内臓部位まで届いていましたし、生殖器すら失っていました。リガル、あなたがついていながら、どうしてこのような事態になるのです?」
「あ、いや……予想外の事態に見舞われて……だな……」
「予想外の事態に対処できなくて何が女神ですかッ!!」
「「(ビクッ!!!)」」
「ロキ君もロキ君です! もう【蘇生】は難しいと先日お伝えしたはずなのに、なぜこのようなリスクある行動を取るのです!?」
言えば容赦なく怒られる。
そう分かっていても、リルに説明してもらうよりは俺自身が説明すべきだろうと、ビクビクしながらも口を開く。
「ほ、本当にすみませんでした。そもそもの原因は僕にあります。ここのボスはこの時期いないと、勘違いしてしまったことが発端です。その結果、ここのボスであるクイーンアントに襲われこのような事態に。リルのスキルを指定したのは僕ですし、リルは僕を必死に守ってくれていたので全ては僕に責任があります」
「それは違う。ロキはこの部屋に入った時、もう帰ろうと言っていたんだ。それを私が……私のレベルが上がるかもという欲で卵の破壊まで付き合わせてしまった。原因は部屋に入る切っ掛けとなった私の言葉だ」
「いやいや、違うよ。そこは俺も倒すメリットがあると思って同意しているんだからお互い様。クイーンアントがいなければこんな事態にはなりようがなかったんだし、情報を勘違いした俺がやらかしたんだよ」
「いやいやいや! 私がちゃんと自制―――」
「もういいです」
ピタリと止む言葉。
ピリリと張り詰める空気。
場が、重い……
「ロキ君、あなたには死の恐怖というものがないのですか?」
「え……? もちろんあります。たぶん人一倍に」
「一度リガルに殺され、期間も置かずにあれだけの欠損を伴う損傷を受ければ、普通は心が壊れてもおかしくありません……なぜそんなに普通なのです? 今、精神に異変を感じたりはしていないんですか?」
思わず顔を上げ、しっかりと元に戻っている自分の両掌を見つめる。
そう言われても分からないとしか言えない、よね。
また魔物と対峙したいのか? と問われればイエスと答えてしまうし、それがボス級の魔物でもあっても答えは同じだ。
もちろん絶対死なないように立ち回りたいというのは大前提にあるが、それでも今から安全な農家に転職したいなんて発想は出てこない。
問われて気付く疑問。
なぜだろうか?
俺は誰かに虐げられたくないから強くなりたい。
理不尽な思いをしたくないから強くなりたいんだ。
だがそのために、俺は理不尽とも言える力、理不尽とも言える数によって一度死んだし今も死にかけた。
これでは本末転倒だと自分でも分かる。
ハンターを止めたいとは思わない。
ゲームで味わった興奮を、成長の喜びを、努力が実るあの快感と達成感を―――
って、違うだろ。
ここはゲームじゃない。リアルな世界なんだ。
ゲームの視点とリアルの視点がまた混ざる。
特にここ最近、装備の数値化や蘇生なんていう、本当にゲームじゃなくてリアルなのか? と思うような発見があったばかりだ。
そのせいで余計に――
「ロ、ロキ? 大丈夫か……?」
「うん。自分では判断が難しいですけど、大丈夫だと思います」
今、余計なことは言わない方がいいだろう。
「ということは、まだハンターを続ける――魔物を倒すということですよね?」
やっぱりだ。
「まだまだ強くなれるなら、ハンターとして僕は狩り続けると思います。それしかできませんし」
「そうですか……」
フィーリルはきっと俺にハンターをしてほしくない。
表情に変化は見られないけど、そんな気持ちを抱えていることがなんとなくだが分かってしまう。
魔物を狩れば無茶をする。
きっとそう思われているんだろうし、思われても仕方のない状況が今ここにあるのだからしょうがない。
なら、俺の正直の気持ちを――
「フィーリル。俺は死なないよ。死にたくないから死なない。絶対とは言えないけど、当面無茶をすることもない。ここで凄い強くなっちゃったしね!」
お説教中に笑うのもどうかと思うが、今はこれが一番良いと思った。
それが功を奏したのか、正座中の俺にフィーリルが覆い被さってくる。
「ロキ君、以前の約束、覚えていますか?」
「ふがっ……約束? えっと、『友達』ってやつ?」
「そうです。それですが――こんなに心配ばかりかける『友達』は要りません」
「えっ……?」
その言葉を聞いて全身から血の気が引いていく。
もしかして俺は拒絶されたのか……?
「なので、私はこの世界でロキ君の『母』になろうと思います。一度経験してみたかったということもありますし、私の感情に一番当てはまるような気がするのです」
「へ? 母……?」
拒絶されたわけではなかった安心と、急に『母』と言われた驚きとで頭が混乱する。
だが、『母』と言われて嫌な感情はまったくない。
それどころかフィーリルがお母さんというと、実母に良い印象が欠片も無かった分、なんだか優しく包まれている感じがして物凄く嬉しくなってきてしまう。
「凄く、嬉しい……かも……」
最近どんどん退化しているような気がしてならないけど、中身はこれでも32歳なのだ。
今更お母さんと言われても、照れてしまうのはしょうがないだろう。
それでも嬉しくて、安らぎが欲しくて、思わずフィーリルの背をギュッとしてしまう。
「ふふっ、やっぱり可愛いですね~。子を産めば皆こんな気持ちになるのでしょうか~?」
あっ、間延びした。機嫌が直った。
そう思うと同時に、誰に問いかけたのかが気になる。
俺の視界は絶賛胸の中だ。
だからよく分からなかったが、リルが返答したことで俺は抱擁タイムを一人満喫する。
「そ、それは経験が無いから分からないが……子を産めば大概幸せな気持ちになるのではないか?」
「いつかは経験してみたいですね~。そう言えば地球だと母のことをどのように呼ぶのですか~?」
「えーと、お母さんが一般的かな? 歳をとるとお袋って言う人もいるし、逆に小さいうちはママって呼ぶことも多いよ」
「マ……マ……それです~!! ロキ君はまだ小さいですしママでいきましょう~! あっ、あとさっき『僕』って言っていたのも凄く良いです~今後は『僕』でいきましょ~!」
「へぁ!? ちょっ……それは恥ずかし過ぎるって!」
「ではとりあえず今だけです~1回だけ治癒のお礼と思って~ぜひ~!」
ぐぐっ……
それを言われてしまうと、こちらは何も言い返せなくなる。
余計なことを言ってしまったと後悔するも、もう遅い。
せめてリルがいない時であればと思いながら、よく分からない覚悟を決めて呟く。
「マ、ママ……僕、嬉しい……」
「ッ~~~~~~!!」
「ぬぉおおおー!!」
いったい何が起きたのか、正面から抱擁されていたはずの俺は宙を舞い、2回転半くらいして着地した時には手を背に回され、お姫様抱っこに近いようなポジションを取らされていることに気付く。
そしてストンとそのまま座るフィーリル。
頭を撫でられながら、これがフィーリルのお気に入りなんだろうなぁと思いつつも、内心焦りが止まらない。
今、仰向けは特にマズいんだ……
自然と足を交差させ、なんとか隠せないものかと必死になる。
なんせ俺はすっぽんぽん。
【酸耐性】のおかげで身体は守れても、服や靴といった金属製以外の物は大半が溶かされてしまっている。
【狂乱】を使う前から勇ましいフルチンモードで戦っていたので、今更平常時の姿をリルやフィーリルに見られても開き直っていられたが……
さすがにうちの我儘ボーイをお見せするわけにはいかない。
(ぐぅ……ママ……想像以上に凄い……)
頭を撫でられる度に、顔面へ降りてくる巨大マシュマロが悩ましい。
この世界に飛ばされ、32歳にして女神様の摩訶不思議な匂いに目覚め、甘えることにも目覚めてしまった。
未開の新境地をなぜか開拓し続けている俺にとって、新たに出てきたママという存在も抗えない魅力にしか映らない。
果たして俺は、いったいどこに向かっているのか――
「あら~? あらあら~?」
「ロッ、ロッ、ロッ、ロキッ……」
フィーリルの顔は視界が塞がれているので見えないが、横を向けばリルが両手で目を隠しながらも、わざわざひし形にパッカーンと隙間を作って凝視していらっしゃる。
それ、もう眉毛隠しているだけだろうが。
(死にたくないけど、今は死にたい……もう尊厳も何もない……)
何か、悟りを開いたような気持ちになってきて、死んだ魚のような目で、目の前にある壁に向かって語り掛ける。
「人間とは生命の危機に瀕した時、自ずと子孫を残そうとする意志が働き、本能レベルで生殖活動が活発になってしまうのです。地球の常識ですがご存知でしたか?」
「「……」」
何を言っているのか、自分でもよく分かっていない。
今がまったくもって安全な状況だというのに――
それでも内心、安全で平和って良いことだなと思いながら、俺はモゾモゾと隠すようにフィーリルのお腹で丸くなった。
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