第116話 異世界お風呂事情

 屋台飯を小脇に抱えつつ部屋に戻れば、リステはワインを飲みながら外を眺めていた。


「お待たせ~」


「なぜ一人で行ってしまうのですか? 私も一緒に行きたかったんですよ?」


「はうっ! 急ごうと思ったら自然と足が動いちゃって……ごめんね。色々買ってきたから許して!」


「もう……でも、ありがとうございます」


「ううん、俺が食べたくて買ってきたからさ。とりあえず、飲み物だけ持って別のテーブルに行こっか?」


 この部屋には用途不明のテーブルがいくつも置いてある。


 その中で、窓の脇にローテーブル、そして挟むように3人掛け程度の高級そうなソファーが置いてあるところに屋台飯を置き、それぞれの飲み物も運び込む。


 今までのような対面ではないが、屋台飯を共有するとなれば横にいてもらった方が渡しやすい。


「んーとね、まずこれが俺の大好きなじゃがバタ。あと屋台の王道っぽい串肉に、近いんだけどちょっと違う焼き鳥。あとベザートでは見たことないやつも売ってたから買ってきたよ」


「色々と種類があるのですね」


「それが屋台の良い所だからね~自分が食べたい物を選んで買うわけだ。あっ、ちなみに今までハズレ引いたことないからね。この世界の食材って基本美味いから」


 俺はまず焼き鳥を手に取る。


 今まではもも肉っぽい物だけだったが、なんとマルタにはどう見ても鳥皮と思しき物まで並んでいた。


 こんなの買うに決まっているでしょう!


「グホッ……久しぶりの鳥皮うめぇ……マジでうめぇ……」


 塩味の利いた食べ慣れた味。


 先ほどとのギャップに、思わず涙が出そうになる。


 ついでにビールが飲みたくてしょうがない。


「私も食べてみていいですか?」


「もちろん食べちゃって! 全部2個ずつ買ってあるから遠慮しなくていいよ!」


「それでは――」


「えっ?」


「ふぁ~……これはたしかに美味しいですね……」


「……」


 なぜ、わざわざ俺の持つ串から鳥皮を食べるのだろうか?


 リステ用のがちゃんとあると言っているのに、話を聞いていなかったのか?


「リステ? ちゃんとリステの分も買ってきたんだよ? わざわざ俺のところから食べなくても――」


「? 先ほどと同じようにしているだけですよ?」


「ん? まぁそう言われればそうなんだけど……んー??」


 たしかに先ほどは、俺が毒見のような感じで少し食べ、そのあとに皿ごとリステが回収していくの繰り返しだった。


 が、初めから別れている屋台飯はなんか違うような気が……


「嫌でしたか?」


「それ、ズルいと思います! 嫌なわけがありません!」


 俺が串肉に手を出せば、その串肉をリステも食べ、鳥ももに手を出せば、リステもその鶏ももに齧りつく。


 おまけに食べる度、リステがどんどん近付いている気がする。


(なんてこったい……頭がハッピーセットになってしまいそうだぞ……なんだこの幸せ空間は?)


 特に油断した姿を早々に見せなさそうなリステだからこそ、笑顔で俺の手からハムハムしていく姿は強烈だ。


 限界突破美人に可愛さまで追加されてしまっている。


(ふぅ――……落ち着け俺。緊張したら、またあのギクシャクした関係に戻ってしまう。平常心、平常心……南無妙法蓮華経―――)


 邪念を取り払いながら、今まで見たことの無い新種屋台飯へ手を伸ばす。


「……これはなんだろうか? 粉物?」


「粉物という食材ですか?」


「いや、小麦粉を使った料理全般を俺のいた国ではそう言うんだけどね。ただ見たことのない形状なんだよなぁ」


 一人前が3つに分かれたそれは、かなり小さくした一口サイズのお好み焼きにも見えるし、平べったく潰したたこ焼きのようにも見える。


 そんな見慣れぬ不思議形状の食べ物を、マズいことはないだろうと口の中へ放り込めば、なるほどと思わず納得してしまう味に仕上がっていた。


「うん、これ小麦粉使ってるね。地球みたいに上から何か掛けたりはしてないけど、最初から味を混ぜ込んでいて十分美味い」


「……」


 それを見たリステも手と口を動かす。


「これも美味しいですね。ちょっとモソモソしているのが気になりますけど、その分飲み物が進みます」


「そうそう。粉物ってそういうものだからさ。あとはソースとか青のり、鰹節なんかがあれば最高だけど――そんな名前聞いたことないよね?」


「んーどうでしょう……ソース、青のり、鰹節……ソース? ソースは聞いたことがあるかもしれません」


「マジで!? それあったら最高なんだけど! あとできればマヨネーズも!」


「マヨネーズ……そんな名前の調味料でしょうか? それもソースと同じ地域にあると思います。商人の情報が間違っていなければですが」


「うぉおおおおおおお!!! これは食の革命来たぞコレッ!! ば、場所は!? どこら辺の商人だったか覚えてる!?」


「えっ、えぇっとそこまでは……西ではなく東の方というくらいしか分かりません」


「よし、決めた。俺は国を出るなら東に行くぞ。もう決定だ。マヨネーズとソースを見つけ出してやる!」


「そっ、そこまでの物なのですか? ソースとマヨネーズというのは」


「あぁ凄いね。食材を覚醒させる代表的な調味料だから、見つけ出せば食が変わる。例えば――」


 そう言って手に取ったのは、最後に残しておいたじゃがバタだ。


 好きな物は最後に食べる派なので、ここまで温存しておいた。


「このじゃがバタもこのままで十分美味いはずだけど、ここにマヨネーズを掛けるだけで数段味に変化が起きる」


「(ゴクッ……)」


「と言っても今手元に無いものだから、無い物強請りをしてもしょうがないんだけどさ。まずはこの味を楽しみつつ、将来のマヨネーズぶっかけに期待するとしようじゃないか」


 そう言いながら、俺は待望のじゃがバタに齧りつく。


「フホッ……」


 思わず破顔してしまう美味さだ。


 やはり、じゃがいもそのものの味が素晴らしい。


 ホクホクなのは当然として、甘さが地球のものよりもだいぶ強く、実は蜜でも掛かっているんじゃないかと疑いたくなる。


 もう一連の流れなのか、皿代わりの大きな草に包まれたじゃがバタを横に差し出せば、リステとは思えぬ行儀の悪さでじゃがバタを口に持っていく。


「ほふっ……はふっ……凄く……おいしいです……」


「でしょ~? しかもこれで1個100ビーケなんだよ? 信じられない安さだよ」


「なんと……」


「ここら辺はフェリンにも話したんだけどね。この国の食材は本当に素晴らしい。スキルの影響と予想しているけど、素材の味が地球よりも上なんだよ」


「ということは、調理次第でこの世界の料理は化けると?」


「そういうこと。料理も研究されるものだから一筋縄ではいかないと思うけど、元料理人の転生者なんかがいれば一気に伸びる分野だろうね。って、マヨネーズやソースなんて名称の調味料がある時点でほぼ確定か」


「……」


「ね? 転生者を呼び込むことが全て悪いわけじゃない。呼び込んだことで伸びている分野だって必ずあるんだから、もっと自信持ってよ」


「はい……ロキ君、ありがとうございます」


「いえいえ。あとさ、さっきご飯買いに行く時気付いたんだけど、1階に食堂――とは言えないか。レストランがあったから、明日はそっちで食べない? こんな料理出されても困っちゃうし」


「そうですね。そちらなら普通の味付けかもしれませんし」


「うんうん。そっちもダメだったらもうしょうがないから、ここの食事は諦めて外で食べよう」


「ふふっ、まさか今日以外にもお食事に同伴していいなんて思ってもみませんでした」


「あー……フェリンの時にそんな流れになっちゃったからさ。まぁお互い時間が合えばということで」


 時間にすれば10分程度。


 二人して手と口が止まらなくなり、あっという間に買い込んできた屋台飯を完食。


 これで食事も終わりとなれば、後は楽しみにしていた風呂に入りたいところだが――


 その前に1つ、リステにお願いしてみるか。


 できるかは分からないけど、自分自身でやるよりは絶対にマシなはずだ。


「ねぇリステ、お願いがあるんだけど」


「なんでしょう?」


「俺の髪、切ってくれないかな?」





 ▽ ▼ ▽ ▼ ▽





 ジョボボボボボボッ……



 さすがマルタの町一番の宿、その最上位の部屋だ。


 浴室だけで昨日まで俺が泊っていた部屋ほどの広さがあり、横にある浴槽は少なく見ても4~5人は入れるほどの円形型。


 デカい分、湯を溜めるまでには時間がかかりそうだが、石鹸の他にも妙な薬液なんかがいくつも置いてあり、金持ちや女性が喜びそうな趣向が凝らされている。


 そして俺は今、金縁で飾られたデカい鏡の前に座り、リステと話しながら自分の髪が短くなっていく様を見つめていた。


(散髪なんてスキルは無いはずなのに器用なもんだなぁ。技術の能力値でも関係しているんだろうか?)


 買っておいたハサミをリステに渡し、好きなように切ってくれと伝えたら快く引き受けてくれた。


 だが切った後の髪の毛はどうするという話になったので、それなら細かい毛は水で洗い流せる風呂場が適切だということになったわけだ。


「それでは次が座布団という物の開発に着手するわけですか」


「感触からしてたぶんね。他のはさっき言った通り素材に金属が絡むから、加工が大変なんだと思うよ」


「でも夢はありますよ。『自転車』なんて、私もできたら一度乗ってみたいくらいです」


「はははっ、リステはちょっと似合わなそうだな~庶民がちょっとそこら辺に行く時用の乗り物だから、ドレスなんて着てたら逆に恥ずかしいよ?」


「誰も見ていないところで乗りますから……でも、ロキ君が多くの平民に向けた案を出して頂いているようで本当にありがたいです」


「俺がバリバリの平民だからね。日常生活の中で欲しいなって思った物をとりあえず伝えているだけだから、それらを実現できるかどうかはベザートの人達に懸かってるかな?」


「私達女神もそうですし、普通はその案が簡単に出てこないんですよ?」


「俺だって自分が開発したものじゃなくて、元の世界にあったものの概要を伝えているだけだよ?」


「それでもです。私達がそう願って転生者を呼び込んでいるのに、その経緯を辿っていないロキ君が積極的に動いて頂いていることには感謝しかありません。特に『木製ペン』なんて――私から見ても、書き物に大きな変革が起きそうな予感がします」


「そうなってくれたら良いよね~羽根ペンとかほんと使いづらいし!」


「ふふっ、はい終わりです。どうですか?」


 そう言われて首を左右に振ってみる。


「おぉ……横もバランスよく整ってる! 凄いよリステありがとう!」


 この世界に飛ばされた時よりも短く、耳が完全に出るくらいにさっぱりしていて、良い塩梅に仕上がっている。


 内心どこかの貴族にいそうな、びっちり揃えられた坊ちゃん刈りにでもされたらどうしようかと思っていたので、地球でも普通に通じる想像以上の仕上がりに大満足だ。


「満足頂けたようで何よりです」


「んじゃ俺はこのまま髪の毛流しながらお風呂入っちゃうよ。リステは昨日の続きでしょ? まだストレージルームに入れてないから好きに見てていいよ」


「分かりました。お風呂から出たら眠くなるまででいいので、また解説してくださいね」


「おっけ~」



 さてさて、それではお風呂を楽しみましょうかね!


 その場でババッと服を脱ぎ、桶の類が無いので手でなんとなくお湯を掬いながら身体に掛けたら、そのままゆっくりと風呂に浸かる。


 フィーリルと違ってリステはお風呂に興味が無さそうなので、俺一人だけと思えばマナーはこの際後回しだ。


 まだ腰程度の半身浴状態なので、思わず浴槽に寝そべると……


「あ"ぁ"あ"あ"あ"あ"あ"~~~~」


 やはり、口から謎の声が漏れてしまう。


 これは身体年齢ではなく、精神年齢の問題なんだなとつくづく思う。


(はぁ~こんなサイズじゃなくていいから、庶民が泊まるレベルの宿にも風呂があったらなぁ……)


 本音を言えば毎日風呂に入りたい。


 そしてここ、ハンファレストの宿代を考えれば、安い部屋で3万ビーケ。


 金銭面だけで言えば、俺なら継続して泊まることはできるだろう。


 だが、ベザートにはそれっぽい宿が無かったことを考えると、今後の旅でも確実に風呂の存在しない町が登場するに違いない。


 もしかしたら大規模な町以外は全滅の可能性だってある。



(お風呂を世間に浸透させられるかどうか、だよね)



 なんとなしに蛇口部分を見れば、約20センチ四方の箱が二つ並んでおり、それぞれから水とお湯が出続けている。


 子供の頃ばあちゃん家で見た、温度調節を水の分量で調整する昔ながらのタイプを思い出す。


 その箱をどんな構造かと持ち上げようとしてみるが、盗難防止のためなのか、接地面が固定されていて持ち上がらない。


(うーむ。どこかから直接水を引っ張ってきているってことは、この文明レベルを考えればさすがにないよな? まずここ4階だし……となると――)


 そのままその箱を弄れば裏側に摘まみがあり、それを捻りながら引っ張ると、水を出している箱には黒い魔石が3個、お湯を出している箱には黒い魔石が6個入っていた。


 このサイズ感であれば大よそ1つ3000ビーケ程度。


 つまり、ある程度魔力に余裕を持たせている可能性もあるが、このサイズの風呂に入るには3万ビーケ近い費用が掛かるということになる。


(となると、普通サイズの風呂を想定すれば、1回湯を貯めるのに1万ビーケくらいか? いやいや、それでも高過ぎるだろ。おまけにこの魔道具も相当高い可能性があるし)


 どう考えても世間に浸透するはずがない。


 試算して分かる事実に、この世界の風呂事情が進んでいないことを嫌々ながらも納得してしまう。


(はぁ~できれば世間に浸透させて、俺もついでに毎日風呂に入れればと思ったが……こりゃ相当難儀だわ)


 でもいつかは。


 そんなことを考えながら、俺は半月振りのお風呂を満喫した。



 そしてその後は約1時間ほど、リステ相手に現代製品の解説をする。


 やはりリステが最も興味を持っているのは化粧品だ。


 細かい使い方まで聞いてくるので、使ったことの無い俺はタジタジになってしまう。


「男は化粧しないからなんとなくのイメージだけどね。この筆でぼかしたりするんだと思うよ」


「なるほど。これなら馬毛でも代用できそうですね」


「ここら辺も相当研究されているだろうからなぁ。かなり触り心地良いでしょ? これがこの世界の動物や魔物の毛で代用できるかどうかだよね」


「たしかに」


 そう言いながら筆をほっぺや目元に当てて、クニクニしているリステを眺める。


「リステはやっぱり女性だから、この世界の化粧品を発展させたいと思っているの?」


「もちろんそういった理由もあります」


「も? ってことは他にも理由があるんだ?」


「そうですね」


「……」


「……」


「そこ、言わないんか――いっ!」


「ふふっ、それは内緒ですよ」


 上品に手を口に当てて笑うリステに、思わず心の中で舌打ちしてしまう。


 ちっ! ちっ、ちっ、ちっ!


 女神様の内緒は怖いんだよ!


 フィーリルなんて、未だに何のスキル持ち込んだのか明かしてくれないし!


「今は内緒でもいいけど、ちゃんとそのうち答え教えてよ? じゃないとなんか怖いから」


「大丈夫ですよ。たぶん私が【分体】を降ろしている間には理由をお教えできると思います」


「そっか。ならいっかな?」


 風呂でポカポカになったからか。


 いまいち頭が回らず、眠気が押し寄せてくる。


「リステごめん。そろそろ眠くなってきちゃったわ」


「みたいですね。では【分体】を戻しますので、また明日、ロキ君をポイントにさせてくださいね」


「了解~さっきお皿とか引き上げた人に言っておいたから、明日からは普通の食事をこの部屋に持ってきてくれるってさ」


「それは楽しみですね。買って頂いたアクセサリーはこちらに置いておきます。それでは、おやすみなさい」


「おやすみ~」


 消えていくリステの姿を見送った後、ベッドに思わず倒れ込む。


「やっべ……なんだこのベッド……ちょーフカフカじゃん……」


 今までとは違うベッドの質に感動しながらも、視線はすぐ横にある、もう一つのベッドへ。


 そこには先ほどリステが置いていったアクセサリーが置いてあった。


 靴はベッドの横にでもあるのだろう。


(ごめんね……本当はベッドが他にもあるならリステもどうぞって言いたいところだけど、男には男の事情があるんだ。ごめん……)


 俺は心の中で謝罪をしつつ、布団の中へと潜り込んだ。

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