第87話 豊穣の女神

 時刻は腕時計時間で18時頃。


 教会の鐘が鳴り響く中、俺は久しぶりに戻った宿屋の自室で【神通】を使用していた。


「はい、もう大丈夫です。宿屋に戻りましたので、【分体】を降ろしてもらって構いませんよ」


(もう待ちくたびれたよ! それじゃいくよー!)


 そう言われて、一拍。


 俺の横に、もう数度は見た濃厚な青紫の霧が漂い始める。


(相変わらず直視すると怖いなぁ……いつか慣れる時が来るんだろうか?)


 そう思いながら見つめていると、フィーリルの時と同様に霧が収束し、その瞬間には臙脂色の髪に白いワンピースを着たフェリン様の【分体】が立っていた。


「やっほー! お待たせ!」


「いえいえ、こちらこそお待たせしてしまってすみません。やっとノルマをクリアしましたので、今日からは多少のんびり動けます」


「ちょっと! そこっ!」


「?」


 なぜか変なポーズをしながら俺に向けてビシーッ! と指を差しているが、何がそこなのかよく分からない。


 というか、いきなりされるとビクッとしてしまうから止めてほしい。


「フィーリルには敬語無しにしたんだよねぇ~? なのに私には敬語なの? おかしくなーい?」


「あ、やっぱり聞いてましたか……」


 そりゃそうだよねと思いながら一応突っ込む。


 ほぼ日課になっている【神通】という名の地球話の時は、敢えてそこに触れなかったんだけどなぁ。


「当然でしょ! フィーリル自慢してたし! リアの呼び捨てより上って自慢してたしー!! だから私も同じでよろしく!」


「ですよねー。まぁいっかフェリン様、いや間違えましたフェリンが一番気楽に話せるんで」


「……ん? なんだって? もう1回言って?」


 ……なんで難聴系になっているんだろう。


「一番気楽に話せるって言ったんだよ。フェリンは気さくな雰囲気が滲み出ているからね」


「う、うふ、うふふ……でしょ~? いやーロキ君はなかなか分かってるよ! あとで皆に自慢しよっと!」


「……」


 なんだか最初からテンション高めだが、フェリンはいつものことだからあまり気にしないでおこう。


 ただ火種はお願いだから作らないでほしい。


 あとで苦労するの俺だから。


 絶対苦労するの俺だから。


「それより早く動かないと店閉まっちゃうよ? 靴、欲しいんでしょ?」


 そう言って2足並んでいる靴を見る。


 リアに買った少し小さめのサンダルと、その横にある大人用の緑色サンダル。


 宿に戻った時、ちゃんとフィーリルは一人で買い物ができたんだなと内心安堵していた。


「そうそう! じゃあ行くよ! ホラ、準備して!」


「? もう準備できてるよ?」


 机の上に置かれていた、お金の入った革袋は既に持った。


 宿に戻った時にちょっと確認してみたけど、減った感じがまったくしない。


 たぶん二人とも買い食いとかしなかったんだろうなと思う。


「……違う。リアの時と違うー!」


「……えっ? まさかフェリンも背負うの!?」


「――ッ!? 私には冷たいんだ……そっか……そうなんだ……」


 ぎゃー!!


 予想外のところに地雷が!


 てっきり靴屋までは、フィーリルの靴でも借りていけば済むくらいに考えていた俺が甘かったのか……?


 というか現実的な問題として、フェリンの場合は少々マズい。


 リアは150cmも無いくらいでちょっと俺より大きいくらいだけど、フェリンは160㎝くらいありそうだし。


 何よりデカい。アレが。


 鎧を着ていないので、俺の背中がかなり危険なことになってしまう。


「いやいや違くて! リアは小さいでしょ? でもフェリンは大人の女性じゃん? 顔は超可愛いけど結構なワガママボディじゃん?」


「ん? それ、褒めてるの?」


「うん、物凄く。要は背負うと俺が平常心でいられなくなる恐れがあるから大変なんだよ」


「ふーん! そっかそっか! じゃあ問題無いね!」


「?」


 さっきから俺はどれだけ頭にはてなマークを浮かべているんだろう。


 会話が上手く繋がらないのは女神様達共通なのかもしれない。


 そう感じながら首を傾げていると、一瞬で視界からフェリンの姿が消え、次の瞬間には俺の背中に重みを感じる。


「グエッ!」


「もし平常心でいられなくなっても、それはそれで面白そうだから問題無し! さー行こう行こう!」


 そう言いながら細い手足を俺に絡めてくるので、背中には柔らかいモノが押し潰されている。


(ヤバッ……全神経を背中に集中させなきゃ……ってマズいだろ! 歩きづらくなるわ!)


 重さだけじゃない理由で段々前屈みになってしまうも、ふわりと香るフェリンの匂いは……うん?


 なぜか、妙に落ち着いてしまうな。


「フェリンは太陽? いや違うか、布団を干した時のお日様の匂いがして良いね。安眠できそうな、凄く心地良い匂いだ」


 なんとなく思ったことをそのまま伝えてしまったが――


「ふ、ふーん……?」


 それに対するフェリンの反応は、いつもとなぜか違う感じがした。





 ▽ ▼ ▽ ▼ ▽





「これとこれなら、どっちが似合う?」


「……こっち」


 既視感のある状況の中、すぐに俺はサンダルを選ぶ。


 女神様ネットワークの中で、それ良いっ!って思った流れはそのままなぞっていくのがフェリンのやり方なのだろう。


 だから別に俺が選んであげるのは良いんだが……


(フェリンの背後でニヤニヤしている靴屋の親父。あんたのニヤケ顔まで既視感でいっぱいだよ! どうせコイツ、別の女連れてきて同じことやってるぜとか思ってんだろ? その通りだよ! でも俺のせいじゃねーんだよ! ちょっとは靴屋としてのアドバイスでもしてくれよ!)


 そんな願いも空しく、カウンターに座ったまま、ニヤニヤしながら俺達のやり取りを眺める親父。


 この世界に日本のような接客サービスを期待した俺が馬鹿なだけだった。


「似合うのは間違いなくサンダルだけど、フェリンはどこを探索する予定なの? それによってはブーツの方が良い場合もあるよ?」


「ん~? 特に決めてないよー? ロキ君についてこうかなーって」


「え? さすがにずっとはマズいよ!? 明日はたぶん予定入っちゃうし!」


「えー! さっきのんびり動けるって言ってたじゃん!」


「そりゃこの町の中にはいると思うけど……っていうか、フェリンのやるべき目的を忘れてない?」


「うっ! それはそうだけどさ……でもでも! 私はこのせか――この町の食事がどんな感じなのか見て回るって目的もあるんだよ!?」



 さすがに女神様の【分体】降臨も3度目だ。


 おおよその流れ、女神様達が望むこともなんとなく分かっている。


 リアはたぶんだが、魔物専用スキルがどんなものなのか、俺が所持することによって危険な存在になり得るかも含めた監視と調査。


 フィーリルは一応生物だからか魔物の確認という、それぞれ転移者探しとは別の目的があったので、もしかしてフェリンにも何かあるのかな? と、事前に確認しておいたわけだ。


 するとフェリンから出た回答は


 味というよりは、食べ物自体が不足していないかが気になるという話を聞いていた。


 ここら辺はさすが豊穣の女神様である。


 そんな事情があったからこそ、ルルブの森の中で仙人暮らしをしている最中に降臨しても意味無いよね? ってことに納得もしてくれたわけだが……


 その分、俺が戻ったら分かる範囲で町を案内することになっていた。


 だがしかし!


 常になんてことは言っていない。


 さすがにフェリンを野郎ハンターの多い飲み会の場に連れていくのはマズいだろう。


 絶対大騒ぎになるし、目をギラギラさせながら誘惑してくるミズルさんとかミズルさんとかミズルさんを見るのはなんか嫌だ。


 それにホイホイ乗っかってしまいそうな、危なっかしいフェリンを見るのもやっぱり嫌だしな。


 だから言うべき部分はちゃんと言っておこう。


「幸い俺はここ1週間くらい時間に余裕があるから、大丈夫な時はフェリンとの食事に付き合うよ。味がどんなものかも参考になるだろうからね。リアもフィーリルも半日程度一緒にいたけど、フェリンはもっと長いからそこら辺がだ。ただ予定がある時はさすがにフェリンを連れていくとマズいのは分かるでしょ? だからそれ以外は――個人的にはパルメラを調査した方が良いと思うよ。フィーリルだけで調査が終わるような広さじゃないんだし」


「こ、これが特別……分かった! 言う通りにするよ!」


「さっ、それじゃ早いとこ靴を選んで夕飯を食べに行くよ」


「じゃあロキ君が選んでくれたこれでー!」


「あいよ。坊主もやるなぁ?」


「クッ……」


 靴屋の親父め……その顔、10年は忘れんぞ!!


 まぁそれでもフェリンが喜んでいるから、とりあえずは許してやるとしよう。


 さすがに3度目はないだろうしね。


 そう思って気を取り直した俺は、まずフェリンに下界の洗礼を受けてもらうべく、お馴染みの『かぁりぃ』へと足を運んだ。





 ▽ ▼ ▽ ▼ ▽





 カララン……


 ふむ。相変わらず空いているお店だ。


 今日は夕食時とも言える時間帯なのに、お客さんはカウンターに座る2名のみ。


 だからこそ落ち着けるというのもあるが、俺の愛するお店が潰れてしまわないかと少し心配にもなってしまう。


「よぉ坊や……彼女か?」


 そんなことを考えながらテーブル席に着くと、もう顔なじみになっているインド人にしか見えない店主に声を掛けられた。


 こんな可愛い子連れてくれば気になるのも分かるが、不穏な流れになり兼ねないから止めていただきたい。


「そうです!」


 ホラね、言った通りだ。


 というかフェリンは彼女の意味を知っているのだろうか?


「ねぇフェリン? 彼女ってどういうことか知っているの? あ、かぁりぃ二つで!」


「んー? なんとなく?」


「して、意味は?」


「ロキ君のってことだよね?」


 う、うーん……あながち間違いとも言えないし微妙なところだな。


 確かに特別というだけなら、先ほどそう言っていたわけだから、フェリンが肯定するのもしょうがないのかもしれない。


 だからちゃんと教えてあげよう。


 この世界の常識と一致しているかは分からないが。


「フェリン。彼女というのは確かに特別ではあるけれど、将来結婚を見据えてとか……そういう意味での特別なんだよ? 結婚って分かる?」


「け、結婚……もちろん知ってるよ! 教会でよくその言葉聞くしっ! えー私ロキ君と結婚しちゃうの!? ふわぁああああ今すぐ自慢しないとー!」


「ちょっと待ったぁああああー!!」


 こんな特大爆弾を神界へ放り投げられるわけにはいかない。


 ベッドの上で土下座しながら、【神通】越しに釈明会見している俺の姿が容易に想像できる。


 俺の奇声に、大量の汗を掻くおっさん二人がガン見してくるが気にしている場合ではない。


「そんなこと言ったら大問題になるでしょうが! それに、めが……フェリンと結婚できるわけないでしょうよ!」


「なんで?」


「え? なんでってそりゃ……」


「……」


「ひ、人と、子供作れないでしょ? たぶん……」



 俺はかぁりぃという名のカレー屋で、いったいなんの話をしているのだろうか?


 どう考えてもこんなところで話す内容ではないのに、話の流れでこんなことになってしまった……


 原因はなんだ?


 店主か?


 インド人店主のせいか!?


 ゴトッ。


 無言でテーブルに置かれる二つのかぁりぃ。


 相変わらず早いですありがとうございます。


「と、とりあえず食べようか?」


「う、うん! 初めての食事だー!」


「……」


「ンモ―――ッ!!!?」


 真っ赤な顔して、口を押さえながら涙目になる姿も、やっぱり物凄く可愛かった。

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