東雲優良は日常の中でアイドルをする

第5話 約束ですよ三社さん!

 外は未だ薄暗い。日照時間が日に日に延び、19時位ならばまだほんの少しだけ明るさを保っている。7月を目前に控えてはいるがまだまだ梅雨時期で、若干の湿り気を帯びている。カーナビに表示される気温は19℃、夜風に吹かれ心地よくも寒々としている。車のエンジン音に紛れカエルの大合唱が聞こえていくるよと、騒がしくもおもむき深く安らぐものだ。観光スポットやグルメなどあるが、その地方の魅力や風土を感じる瞬間とは、案外日常にあるものだと俺は思う。

 今俺は、優良を連れコンビニへと向かっている。車で約5分ほど走らせた所にあるが、これでも最短だ。広大な水田と山に囲まれ、ぽつんぽつんと民家が建っている。ただ長い二車線の一本道には街頭などは無く、一定間隔で設置されている路肩の反射ポールが、ヘッドライトのハイビームを返す。まるで滑走路の様だ。道路上のアスファルトには固まった泥が所々放置され、車を少しだけ跳ねさせる。トラクターが走った後には良くこうなるのだが、地味に来るものがあるのだ。


 俺にはもう見飽きたもんだが優良には新鮮な光景な様で、窓を全開にし吹き付ける風を楽しんでいる。空気が美味しいと肺一杯に吸い込み、伸びをし寛いでいる。夜間ドライブの気持ち良さを感じている様で、こちらもいい気分になってくる。東京でもこうやって彼女を車に乗せ良く走ったものだが、今はまるでシチュエーションもロケーション違う為、ゆったりとした空間に心が落ち着くと言う物だ。

 そうしたものが俺を動かすのか、ちょっとだけ遠くまで行きたくなってしまう。結構寒いのだが海なんかも見てもいいし、コンビニなんて言わずに飲食店でもいい気もしてくる。あぁ…。なんか銭湯行きたくなってきた…。風呂上がりの風は何故あんなに気持ちがいいのだろうか?だからこそ夏場になると自宅の風呂ではなく、銭湯に敢えて行く事も、こっちに帰ってきてからは珍しくない。


 そんな事を考えている内にコンビニ着いた。照明に群がる羽虫がクルクルと飛び回り、外壁にへばり付きその羽を休ませる。俺たち以外には客は居ない様だ。

 

 優良の日用品でも選んでおこうとするが、ガラス窓手前の雑誌コーナーにて優良が足を止める。見る先には今注目のアイドル特集と言う見出しの週刊誌。その雑誌には三社プロダクションに所属していたアイドル、風間律かざまりつが表紙を飾っていた。爽やかな黒髪のショートに満面の笑みだ。優良とは同い年で年相応の見た目の律だが、引き締まりメリハリのある体は、高い身体能力を秘めている。

 ダンスの才能に秀でた律は、ユニット内の振り付けの要とも言える存在だった。最初にユニットを抜けたのも彼女だった訳だが、俺の方向性が合わなかったと言わんばかりに、現在ではバリバリのダンスユニットのセンターを担っている様だ。

 そんな俺のトラウマを抉るような物を、優良は般若はんにゃの様な形相で見ている。震える手でその雑誌を取り読み始める優良に、俺は声をかけることが出来なかった。黙々とインタビュー記事を見ては、少しだけ呼吸が乱れる。何が書かれているのかは、俺は見たくはない。どうせ見たって何も得る物はないから、別々の道を進んだ、それだけだからだ。


「…優良。ほら買うもん買って帰ろう。な?」


 そう言い優良の肩に手を乗せ離す。ピクリと反応する優良は、震えた息を静かに吐き雑誌を戻す。


「三社さんはなんとも思わないんですか?」


 振り向くことはせず、怒気を込め、冷徹に言い放つ。


「い、いや、そういう訳じゃないが…」


 気迫に押され焦る。ゆっくりと振り返る優良は、悲しそうに悔しそうに眉をひそめ、唇を噛みしめ、何で怒らないんだとそう訴える。


「俺にそれを責める権利は無いんだ。それだけだ」


 俺の諦め面を見る優良は、何か言いたそうだが言わない。きっと俺の代わりにその怒りを感じているのだろう。しかし今更何を言っても遅すぎる、もう終わった事であり俺が気にしていても仕方ないのだ。


「もういいだろ。必要なもん買って帰るぞ」


 そう言い青い小さめの籠を手に取り、優良の日用品雑貨や適当なカップ麺をポンポン入れていく。コンビニの無地の下着に「可愛くないです」と文句を垂れむくれる優良だが、誰に見せるわけでも無いのだから何を言っているんだ。どれがいいか何て聞いてくるが、もしかしたら俺に気を使ってくれてるのだろう。正直に「黒なんて似合うぞ」と言って見せたら、ニコっと笑い籠に入れる。これらは勿論俺が払う。

 冷やし中華とサンドイッチにフルーツゼリー、そしてカフェオレを籠に入れる優良、OLかと思ったわ。


「ちょっとお手洗いに行ってきますから、お会計済んだら先に車に戻ってもらえますか?」


 何かを隠すように早口でそういう優良。


「あぁ、まぁ構わないけど」


 ふむ…。まぁ女の子だし、色々あるだろう。ここで突っ込むのはデリカシーが無さすぎる。

 言われた通りに会計を済ませ、コンビニを出る。店員に女性用下着を買っていることに、少し冷ややかな目を向けられたが、気にするような事はない。これは優良の為に買っているのだとい言う自負があるから、平気です。折角のタイミングだと吸い殻入れの横で煙草を吸う。


「はぁ…。生き返るな」


 実際は寿命縮めてるんだがな…。そんな事今は関係ない。チラリと横目でガラス越しに店内を見る。そこでは優良がキョロキョロし、俺が居ないか探している様だ。店内に居ない事を確認した優良は、雑誌コーナーにて先ほど見ていた、週刊誌を手に取り足早にレジに向かっていった。


「…そういう事か」


 そう呟き、煙草を吸い殻入れに押し当て消し、そのまま中に捨て車に戻る。

「お待たせしました」と言い、車に戻ってきた優良は何も持っていない。きっとTシャツの中に隠しているのだろう。そこまで気を使わなくたって良いのだが、彼女も気になるから買っている訳だし、俺が気にしなきゃいいだけの話だ。


 再び来た道を戻る。車内の会話は無く少し居心地が悪い。チラチラとこちらを見る優良を知らないフリをする度に、肩を落とし暗い表情をする。あからさまな態度な優良は何を思っているのだろうか。俺はエスパーではない、察することは出来てもその深層までは見えない。だがしかしきっと優良は、ユニットのメンバーに対してあまり良い感情を持っていないのだろう。

 複雑な内情を含むシリアスな雰囲気は、俺の思考をそうさせる。しかしそれは逆に俺にとっても救いである。優良がそう思ってくれるなら、俺の無能はすべからく肯定されるものでは無いと言う事になるのかもしれない。そう思わなければ自分が惨めで仕方ないのだ―—。


 自宅に戻り食事用のテーブルに弁当を広げる。時刻は19時半。結局残業して帰った時と夕食時間はほぼ変わらない。それどころか、気苦労は今の方が圧倒的に大きいかもしれない。

 大味な弁当が雰囲気で味気なく感じる、それをビールで流し込む。しかしビールは憎い事に、いつ飲んでも旨いものだ。目の前で気まずそうに冷やし中華を啜る優良。何故か俺が悪い事をしている気分になってくる。騒がしくてもやはり元気一杯な姿を見せてくれる方が良い。どうしてもこの子の悲しそうな顔は見たくない、そう思う俺だが、この雰囲気がそうさせない。


 飯を食べながら優良を観察していると目が合った。瞬時に目を逸らす優良だが、再びこちらを見つめた後言う。


「三社さん、これ見てほしいんですけど」


 そう言い優良が鞄からスマホを取り出しテーブルに置く。


「これは君の動画か?」

「そうです。一応私のチャンネルなんですけど」


 東雲優良の名でいくつかの動画を投稿している様だ。


「これすごいじゃないか!1万人も登録者がいるぞ!」


 動画はどれも数千回ほど再生され、高評価も結構付いている。俺が東京で事務所を構えていた際に行ったライブ映像や、優良自身が踊っている動画、生放送のアーカイブなど色々ある様だ。


「ありがとうございます!一年前くらいからやっているんです」

「つまり俺が東京を離れてからの話か?」

「そうです!ほら見てください。ファンの方達が一杯コメントしてくれてるんです!」


 そう言って画面をスクロールする優良。そこには彼女を応援する、暖かなコメントが綴られている。なぜか俺が応援されている気分にもなってくる。


「ははっ、べた褒めだな。流石は東雲優良ってところか?」


 ニヤニヤしながらコメント欄を漁る俺とは対照的に、優良の表情が曇る。


「でも最近は、あまり伸びてないんです」

「そうなのか?結構イケてるように見えるが…」


 確かに投稿される毎に、再生回数も落ちてはいる。生放送は結構人気みたいだが…。しかしこういうのは、見続けてくれる人が居れば良いって訳にも行かない。新規ファンを呼び込む方法に悩んでいるのだろうか。


「アイドルとしては…。やっぱ楽曲か」


 ニコっとし、うんうんと大きく首を縦に振り俺の言葉を肯定する。


「それです!だから三社さんのお力が必要なんです!」

「なるほどな…」


 つまり優良の為に、楽曲制作をするのが俺の仕事になるのか。簡単な事では無い。なんせ、あれ以来作曲なんてさっぱりやっていない。まぁ楽器の演奏自体はやっている、それは俺の趣味だからだ。


「私もやってみようと思ったんですけど、普通に無理でした」

「まぁ、だろうな。一曲だけパッと作れと言われても、俺も厳しい」


 現地でライブをしてこそアイドルだ。動画投稿サイトで上げてても、ファン獲得は難しいだろう。そこは俺も優良も、お互い腕の見せ所になるだろう。


「やっぱりそうですよね…」


 むぅっと頭を悩ます優良。自分一人でこれだけやっているのだ、俺もやらない訳にもいかないだろう。


「…出来ないとは言わないぞ」

「本当ですか!?」


 俺の言葉に喜ぶ優良には笑みが戻る、やはりその方がこの子には似合っているな。しかし今すぐどうにか出来ないのは確かだ、少しづつ課題をクリアして行く必要があるだろう。新曲、ライブ、新規ファン…。問題は山積みだが、絶対的に無理な話ではない。

 優良にはこの調子で動画投稿や生放送を続けてもらい、その間に俺が楽曲を作る。地域のコンサート会場、路上でもいい、それらでライブを定期的にこなし、その都度つど彼女のチャンネルを宣伝する。その中で、おこなったライブ動画をアップしつつ、県外のファンにもアピールしていく。そうすれば絶対的に見る人は出てくる、優良の魅力があれば不可能じゃないはずだ。

 そもそも地方でのアイドルというのは、基本的にその地の特色を大きく持つものだ。特産品や、観光名所、方言などを使って地域内で活躍する。俺がやるならまだしも、彼女は東京生まれの東京育ちな身の上、青森という場所に対してあまりにも理解度が足りない。

 それらの事を加味して考えるなら、普通のアイドルのあり方をするべきだ。というかそれ以外にやりようなくないか?優良は俺が居るからと言う。ならば土地に関して、そこまで重要視していないのだろう。


 思考する俺を不安そうに見つめる優良。安心してくれ、これでも俺は元プロデューサー。優良一人くらいこの地で活躍させる事は可能だ。


「…よし。今後の方針が決まったぞ」

「っ!流石です三社さん!やっぱり頼りになります!」


 二コリと微笑み両手を合わせる。頼りになるかはまだ分からないが、無策で突っ込むほど俺は身の程知らずじゃない。


「ふっ、まぁこれからだからまだ分からない」


 さて…。今日はもう気分では無いし、また後日だな。しかしながらやる事さえ見えれば何とかなる。今までだって割と行き当たりばったりだったりした、それにこのコメント欄でも言ってるが、優良を支えているのは間違くなくファンの力だ。俺はプロデューサーでありながら、ドルオタだ。こう見えてファンとの交流は深く、それなりに有名だったんだ。だからファンとしての側面から見ても、応援したいと思うのは当然だ。

 しかし不安があるのも事実。また同じ轍を踏む可能性は無きにしも非ずで、それは優良と言う子そのものにある。地元である東京でやっていたからいいものの、こんな本州の端っこに一人で来た上に、転入学して男の家に住み込みアイドルだなんて、正気の沙汰じゃない。俺じゃなかったら今頃優良は無事じゃないだろう。まぁそれを許す俺は世間から非難されるだろう…。


「大丈夫ですよ三社さん」

「んぇ?なんのことだ?」


 穏やかな顔で優しく呟く優良は、まるで聖女だ。異常行動さえなければ完璧なのだがな。


「不安なのは分かります。でも私はきっと上手くいくって思いますよ?」

「…そうだといいけどな」


 俺の不安を余所にカフェオレを飲み、軽く唇を舐め言う。


「私、アイドルとして頂点を取ろうなんて思いません。貴方が居てくれるならそれでいい…本当にそれだけなんです」


 …そんな気心でアイドルだなんて、優良はアイドルとして大事な何かが欠けている。しかし原動力となるの物は人それぞれ。優良にとっては俺がそうなんだろう。だったら俺もそうだ、てっぺんなんて要らないと言うなら、それでも良い。優良が後悔しないように最善を尽くすだけだ。それが一度敗れた俺に出来る最大限だろう。


「そうだな…。じゃぁ優良約束してくれるか?」


 何をだと首をかしげる優良。


「どんな事があっても諦めない。それが俺たちのルールだ」


 まるで熱血青春している気分で可笑しい。優良もくすっと笑って、小指を突き出す。


「もちろんです三社さん!約束、ですね」


 小指を絡め、固く結ぶ。この誓いが果たされることを、俺は願おう。

 底辺を這って進む俺たちなんかに、きっと栄光は掴めない。でも夢の形はみんな同じだ。どれだけ存在がちっぽけでも、俺にとって東雲優良は、世界一輝くアイドルなのだ。

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