第5話 婚約式
通路の両側に、会衆席が階段状に設けられている。一般的な教会のように祭壇に向かって平行ではなく、通路を挟んで向かい合うように座席が配置されているのだ。
通路の奥に祭壇があり、そこが会場内で最も高い場所になっている。祭壇の後ろには歴史を感じさせる重厚な玉座が並んでいた。
正面から見て左側にグレンヴィルとエヴァンジェリンが、右側にトリスタンとセラフィーナがおり、玉座から立ち上がってミネルバたちを待っている。
玉座の横に特別に設えられた席の前に、ミネルバの家族たちが立っていた。グレンヴィル側に両親が、トリスタン側に三人の兄たちがいる。
ミネルバとルーファスは申し分のない作法で、滑るように滑らかに歩いた。すべての人々が立ち上がっており、すべての顔が二人のほうを向いている。
手前の席に下位貴族が固まっており、ミネルバたちの姿を間近で目にした男爵家や子爵家の人々の間に動揺が走るのが感じられた。
誰もが口をつぐむべき場面なのに、ざわめきが波のように広がっていく。黒い祝い帯が人々に衝撃を与えた、何よりの証拠だろう。
しかし中には、うっとりとした眼差しで二人を見つめる人がいた。アシュランからグレイリングへの二週間の旅で出会った人々だ。
年齢の近い令嬢たちに、ミネルバは手紙を書いていた。
(宮殿に入ってからは毎日忙しかったけれど、手紙を書かなければ眠らないと決めて……ソフィーに叱られたっけ。すべての人を味方にすることは難しくても、出会った人々との縁を大切にしたかったから)
ミネルバとルーファスは威厳に満ちた態度で、祭壇に向かって歩き続けた。奥に向かうほど会衆の爵位が上がっていく。人々から向けられる悪意や嫉妬、蔑みや拒絶といった種類の視線も増えていく。
コールター侯爵家のクララが、そういった感情を少しも感じさせない温かい眼差しを向けてくれた。彼女も旅の間に出会った、ソフィーが主催する読書会のメンバーだ。
カサンドラたちの一件は、すでに読書会の面々に伝わっているらしい。千里眼のことをつまびらかにするわけにはいかないので、ソフィーがひとりで勇気を出し、カサンドラたちに立ち向かったことにしてもらった。
気難しい顔つきの中年女性の中に、何人か意味ありげな視線を向けてくる人がいた。彼女たちの眼差しはミネルバを素通りして、後ろを歩くテイラー夫人に向かっている。恐らく元教え子たちだろう。
テイラー夫人に対する心からの敬意に混じるのは、ミネルバを値踏みするような目だ。臆するつもりはなかった。やがては同じ師について学んだ仲間として受け入れてもらいたい。
(でも、いまはただ、テイラー夫人の教えを厳格に守っている姿を見てもらうことに全力を尽くそう)
帝都ディアートから遠く離れて、国境を守っている辺境伯たちの席までやってきた。最前列にいるのはギルガレン辺境伯夫妻だ。彼らはミネルバと、その後ろにいるソフィーを見て、一瞬にして満面の笑顔になった。
ギルガレン辺境伯には領地で果たすべき責任、やるべき仕事があり、今日の早朝に帝都入りしたらしい。
他の辺境伯家の人々も温かな笑顔を浮かべてくれている。国境防衛に尽力する者同士の絆は、きっと強いのだろう。
(これから結婚式に向けて、他国にある四つの大聖堂で祝福を受けなければならない。国境を越える前に、彼らと交流を持つことができるわ)
人々は上流階級らしく華やかに着飾っている。女性たちのドレスは万華鏡のように色鮮やかだ。誰もがこの場にふさわしい、極上の衣装を選んだことだろう。
旅で出会った令嬢たちや、それ以外の何人かの令嬢の首に、ドレスと同じ色合いのスカーフが巻かれていた。侯爵家のクララなどは首の詰まった古風なドレスを着ている。
彼女たちは髪を上げて、リボンや宝石をあしらった髪飾りをつけていて──パレードでのミネルバの姿に感動して採用してくれたのだと思うと、心の底から嬉しくなった。
年配の女性たちはもちろん古風なスタイルなので、そうではない若い令嬢の姿が余計に目立った。祭壇の近くの会衆席にいる、公爵家の令嬢たちだ。侯爵家の令嬢の半数以上からも、よそよそしい拒絶のオーラが出ている。
左側の会衆席の最前列、最も祭壇に近い場所にメイザー公爵家の人々がいた。
黒い帯を首からかけたミネルバとルーファスの姿に、心を揺さぶられているに違いない。しかし公爵家の人々は皇族に次ぐ権力を持つだけあって、さすがに従うべき作法を心得ていた。
誰も口を開かず、態度にも大きな変化はなかった──メイザー公爵の握り締めた拳が、小刻みに震えている以外は。
祭壇へと続く階段の前で、ミネルバとルーファスは立ち止まった。作法にのっとり、三度のお辞儀をしなければならないからだ。
ミネルバは進行方向に向かって左側にいるので、カサンドラの肩に流れる赤い巻き毛が視界に入る。
(私を陥れる計画の一環として、ソフィーを利用しようとしたことは……やはり許せない。ソフィーとの関係にひびが入って動揺した私が、婚約式で恥をかけばいいと思ったのかもしれない。でも私は、あなたの思惑通りにはならない)
たとえ自分は傷ついても、大事なものは守りたい。権力だけに頼るでもなく、ルーファスの影に隠れるのでもなく、自分の力で守りたい。
(その過程でカサンドラの心に触れて、繋がりを作ることができたら……。簡単ではないことはわかっているけれど……)
びっしりと刺繍の施された伝統衣装のローブは、やはり重い。しかしミネルバとルーファスは、自信に満ちた身のこなしで階段を上った。
まずは祭壇の神官長にお辞儀をし、続けて家族への感謝を込めてお辞儀をする。そして二人は壇上で向かい合った。
ルーファスがミネルバを見て、心のままの自然な笑顔を浮かべる。
カサンドラの顔はミネルバからは見えないが──彼女が息を詰めた気配が伝わってきた。カサンドラだけではなく、祭壇の近くにいる他の令嬢たちも。
いつも女性を寄せ付けない表情を浮かべ、簡単に笑うことのなかったルーファス。そんな彼がミネルバだけに向ける笑みを間近で見て、強い驚きを感じたのだろう。
(心の壁を崩し、ようやく本来の性質を発揮し出したルーファスの笑みは、柔らかくて甘いから……)
ミネルバも自分の表情が和らぐのを感じた。
ルーファスに手を握られ、ミネルバは祭壇の前に導かれた。まずは主教から祝福の言葉を受ける。
続いて、両家から神へ剣を捧げる儀式が行われた。一本はトリスタンから、もう一本はジャスティンから。
婚約式は万事つつがなく進んでいる。そしてついに、最も深い意味合いを持つ『砂合わせの儀式』が始まった。
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