第5話 故郷の威信をかけて
(遠慮の欠片もない不躾な視線ね、明らかに礼儀に反しているわ。カサンドラは私に対する憎しみを隠そうとしないのね……)
彼女と視線で戦う必要はない。そう判断し、ミネルバは会場内の貴族たちにまんべんなく注意を払った。
こちらが会釈もせずに顎をぐいと上げ、見る価値もないとばかりに視線をそらしたので、カサンドラの険しい目つきはさらに険しくなったことだろう。
(テイラー夫人が言うように、言葉を使わずに立場の差を伝えておかなくては。目に見える戦いも、目に見えない戦いも、もう始まっているのだから)
左肩のあたりに焼けつくような視線を感じる。ミネルバは背筋を伸ばし、両手を膝に重ねて前だけを向いていた。
「ミネルバ、こっちを向いてくれないか」
右隣に座っているルーファスが、気品と自信が満ち溢れた動作でミネルバの左肩を抱いた。まるでカサンドラからの視線を、自らの手で遮ろうとするかのようだ。
ミネルバが「なあに?」と顔を向けると、ルーファスはとろけるような笑みを返してきた。
「いや、君と視線が合わないのが寂しくなって。本当は一秒たりとも目をそらしてほしくないんだ」
そう言ったルーファスの視線は、ただひたすらミネルバだけに注がれている。愛情を隠そうともしない、情熱的な眼差しだ。
これこそ『言葉を使わずに立場の差を伝える』行為だろう。ソフィーがいつか言っていたように、ルーファスは愛情をちゃんと見せることで、ミネルバを守ろうとしてくれているのだ。
「あの赤毛のご令嬢、顔が真っ青になったり真っ赤になったり忙しいなあ。気絶しなきゃいいけど」
護衛としてミネルバの背後に立っているロアンが、ぼそりとつぶやいた。次の瞬間、ずっと耳に届いていた一般市民の歓声が、やんやの喝采に変わった。
「ジャスティンたちが近づいてきたようだ」
ルーファスの言葉通り、アシュラン王国の古典音楽が聞こえてくる。ミネルバはまばたきをして目を凝らした。
「まあ!」
ソフィーが声を殺しつつも、驚いたような声をあげた。
ジャスティンとコリンを中心に、騎馬隊が隊列をなして入場してくる。その姿は一瞬にして会場中の視線を釘付けにした。
伝統的な刺繍の入った青い騎士服は、色鮮やかな組み紐で飾られた勇壮なデザインだ。騎士団員たちは美形揃いで、女性のハートをたちどころに射抜いてしまったらしい。一般市民どころか、淑女たちからも黄色い声が上がる。
騎士団の後ろに、アシュラン国立音楽団を乗せた屋根なしの大形馬車が続く。自身も優れた演奏家であることの多い貴族たちも、舌を巻くほどの素晴らしい演奏だ。
「え、ちょ、ジャスティン兄さんとコリンの存在感、すごくない? キラキラ度が増しすぎじゃない?」
マーカスが自分で自分を抱きしめるような仕草をする。どうやら全身に鳥肌が立ったらしい。
一か月近くぶりに見る二人の兄は、たしかに並外れた存在感を放っていた。特にジャスティンの端整な顔は、容赦なく視線を引き付ける磁石のようだ。
令嬢たちがいっせいに片側に持ち手のついた双眼鏡を取り出し、ジャスティンとコリンの全身にくまなく視線を這わせている。
「ジャスティンから王者の風格を感じるな。いかにも有能な王太子だが、かといって傲慢には見えない。顔立ちも体型も素晴らしいし……女性が望む王子様像を、すべて備えているんじゃないか?」
ルーファスが感心したように言う。
「たしかに我が兄ながら、あの美しさにため息をつかないほうが難しいわ……」
ミネルバは言葉通りにため息をついた。
ジャスティンの立派さは想像の範疇を遥かに超えていた。おまけに彼が騎乗しているのはミネルバの愛馬のエディで、乗り手と同じようにお洒落をした姿に嬉しくなる。
コリンからは知的な雰囲気が漂い、賢明な助言で王を支える宰相の風格があった。
「完璧な兄弟だ、すっかり貴族たちの心を掴んだな。それに、あの馬たちの素晴らしいこと!」
グレンヴィルが嬉しそうな声を出す。軽快に歩く馬たちは、歴代のバートネット公爵家たちが受け継いできた品種だ。気性が穏やかで賢く、華やかで美しい。
「美術品も工芸品も、抗いがたいほど魅力的ですわ。何世紀にもわたるアシュランの伝統を感じます。うっとりするほど見事だわ」
音楽団の後ろに続く上部のほとんどがガラス張りの馬車を、エヴァンジェリンが褒め称えた。ミネルバの持参金となる大量の金塊、宝石、美術品や工芸品を積んだ馬車は二十台にも及び、誰もが驚嘆の眼差しで見つめている。
(あの壺は……オリヴィア王妃個人の収集品だわ。あの彫刻も絵画も、下に敷かれている絨毯も。あの剣と盾は、キーナン王がずっと大切になさっていた……)
見る者を圧倒する莫大な富の半分以上は、七十代の国王と王妃が時間と手間暇をかけて集めてきたものに違いなかった。
(宗主国グレイリングに従順で忠実で、アシュランにとって必要なことを一番に考えてきたキーナン様。十年間、私を教育してくれたオリヴィア様。孫であるフィルバートに苦しめられた人たち。最後の仕事は私の名誉回復だと誓ってくれた人たち……)
目の裏が熱くなってくる。
キーナン王とオリヴィア王妃が、罪滅ぼしのためにと私有財産のほとんどをジャスティンに贈与したことは知っていた。かといって聡明な長兄が、それらを勝手にミネルバの持参金にしたとは考えにくい。
(私の新しい人生、新しい立場のために用意してくださったのですね。ありがとうございますオリヴィア様、ありがとうございますキーナン様……)
涙を流さないように我慢しながらパレードを見守る。祖国アシュランに対する愛情を、ミネルバは改めて感じていた。
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