第2話 自分らしさ

 テイラー夫人の指導を受け始めてから、寝つきの悪い夜はなくなった。すっきり目覚めたミネルバは、運動着に着替えて中庭に向かった。


「おはようございます、ミネルバ様」


 花壇の雑草を取っていたエヴァンが穏やかな笑みを浮かべる。

 中庭の一角は、短い間に薬草園へと姿を変えていた。香りも葉の形状も摩訶不思議な植物が植えられ、這うように茎や枝を伸ばしている。


「おはようミネルバ、今朝も運動をするの?」


 ガーデニング用の作業着をきたソフィーが中庭に出てきた。草花をこよなく愛する彼女は、早い時間に中庭に出て花を切り、ミネルバの部屋にある花瓶に生けてくれるのだ。

 それだけではなく、エヴァンから薬草の種類や利用法を教わっている。宮殿入りしてから、ほとんどの朝をこの三人で過ごしていた。

 すっかり慣れた薬草の香りに、元気が湧いてくるようだ。ミネルバは早速柔軟体操を始めた。


「護身術の稽古はいいけれど、今朝は汗まみれになっちゃ駄目よ。パレードの前に髪を洗う時間がないから。擦り傷切り傷を作るのももっての外ですからね」


 ソフィーが顔をしかめる。ミネルバは苦笑しながらうなずいた。

 二週間の旅の間は、体力づくりはほとんどできなかった。マーカスが教えてくれた簡単な筋力トレーニングは続けていたけれど。

 宮殿入りした翌朝に運動着姿を見せたとき、ソフィーは驚かずにはいられなかったらしい。たしかに、中庭を走り込みのために使う令嬢など滅多にいないだろう。


『自分が変わり者であることは百も承知よ。でもルーファスの役に立ちたいの。それに、身を守る力をつけても害にはならないでしょう?』


 ミネルバは熱意をもってソフィーを説得し、その流れでエヴァンから護身術の指導の約束を取り付けたのだ。

 とはいえ男性であるエヴァンと組み合うわけにはいかない。だから彼の故郷の島に伝わる『竜手』という古武道の呼吸法と、型と呼ばれる動きを教えてもらっている。本格的な闘い方を習得できるのは、まだまだ先のことになりそうだ。 

 エヴァンと一緒に練習を始めて二十分が経とうとするころには、もう額に汗が滲んできた。汗臭くなるわけにはいかないので、しぶしぶ切り上げる。ミネルバは盥の水でタオルを濡らし、ごしごしと顔を擦った。

 ソフィーは花壇に球根を植え付ける作業を終え、立ち上がってスカートの汚れを払った。

 エヴァンと別れて、ミネルバたちは室内に戻った。翡翠殿は安全なので、エヴァンも一日中警護をする必要がない。


「ねえミネルバ、本当にあのドレスを着るつもりなの? やっぱりシンプルで古風すぎると思うの。パレードを見物しにくる令嬢たちに見劣りするのはよくないわ」


「着るつもりよ。いままでの私は、必死になってグレイリングの流行を追いかけてた。でもそれだけじゃ輝けない。テイラー夫人の指導を受けて、そのことに気がついたの」


 テイラー夫人に、手持ちのドレスをチェックされた日のことを思い出す。


『若い娘に流行りのデザインですね。しかしながら、これがあなたにふさわしい、なるべき姿ですか? 私には流行に目が眩んで、安易な道を選んだようにしか見えません』


 テイラー夫人はぴしゃりと言った。褒められたのは、アシュランの職人たちが見事な腕前で施してくれた刺繍だけだ。

 皇太后エヴァンジェリン、皇妃セラフィーナは同年代のファッションリーダーだ。彼女たちの外見にはカリスマ性がある。流行に惑わされず、自分流の装いを追求することも妃の役目なのだと、初めて気がついた。


「流行りのドレスは大好きよ。着るといつも嬉しかった。でも直感に従うなら、今日はこのドレスを着るべきだと思う。もちろん髪は結い上げるわ」


 ミネルバは衣装室に向かい、袖を通されるのを待っているドレスを見つめた。

 ハイネックで長袖の、どこからどう見ても古風なドレス。ルーファスと出会った日──自分の人生が、劇的に変わったあの日に着ていたドレスだ。

 フィルバートとセリカとの思い出も詰まっているが、どうしても捨てることができなかった。元はパステルグリーンだったが、セリカに酒をかけられてできた染みを隠すために、濃い青色に染め直したのだ。

 染色のために飾りはすべて取り外し、伝統技法で小ぶりな薔薇を刺繍してもらった。幼いころから花よりも本が好きだったが、薔薇はルーファスが求婚のときにプレゼントしてくれたので、ミネルバの中で特別な花になっていた。

 もしここに昔のフィルバートがいたら、面白みがないと笑うだろう。彼からは十年間、女としてまるきり魅力がないと言われ続けた。


(だから私は、自分には古典的なドレスは似合わないと思っていた。でもルーファスは、このドレスを着た私を好きになってくれた……)


 ソフィーと一緒に朝食を済ませ、侍女に頼んで髪を結って貰った。真珠の髪飾りは、オリヴィア王妃から餞別に送られた最高級品。何十年も大事に使われてきたものだ。

 しっかりと結い上げたので、鏡の中の自分がキツイ顔立ちなのは認めざるを得ないが、なかなか素敵に見える。アシュランにいたころとは、明らかに心境が変化していた。


「す、素敵よミネルバ。凛々しくて、信じられないくらいカッコいいわ……」


 ようやくドレスの着付けが終わり、背後のソフィーが息をのむ。

 ミネルバも鏡の中に映る自分の姿を見て、その変化に驚かずにはいられなかった。

 自分でも似合っていると思った。自分らしくなったと思った。

 髪を上げて古風なドレスを着た自分は、過去にないくらい幸せそうで美しい。たたずまいから意志の強さが感じられた。

 フィルバートから嫌われる原因となった気の強さや頑固さが強調されているが、ルーファスに愛されることで生まれた自信が加わって、威厳のようなオーラが生まれている。


「着替えが終わったようですね。上から下までチェックしますよ」


 テイラー夫人が背筋を伸ばし、きびきびした足取りで入ってきた。迫力のありすぎるお婆さんは、現れた途端その場を圧倒してしまう。


「……ふむ、悪くありませんね。今日のドレスと髪型は及第点です。しかしながら、これで満足してはいけません。お妃になるからには、生涯完璧を追求していかなくては!」


 厳しいことを言いながらも、テイラー夫人の顔には初めて見せる笑みが浮かんでいた。

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