第5話 ソフィーの婚約者

 事の発端は昼食のときの会話だった。

 ルーファスとミネルバ、ギルガレン辺境伯夫妻とソフィー、それからマーカスを加えての昼食会は当初から予定されていたものだ。

 本当はミーアも参加するはずだった。しかしギルガレン辺境伯は彼女を罰するために、城の四方にある塔のひとつに閉じ込めたらしい。常に見張りの使用人が側にいるので、逃げるすべはない。

 味も見た目もよく、いい香りのする料理が目の前に出されても、ミネルバはあまり食欲がわかなかった。気をもむのはやめようと思うのだが、嫌な予感が頭から離れない。

 辺境伯夫妻と当たり障りのない会話をしながら、食べ物を機械的に口に運ぶ。辺境伯夫妻の口から、ソフィーの婚約者であるロバート・ディアラムの話題が出てきた。


「ロバートは由緒あるディアラム侯爵家の跡取りで、将来有望な青年です。いまは二十一歳で、心身ともに充実している時期ですな。見た目も非常に立派で、ソフィーの結婚相手として望ましい男ですよ。ディアラム家の領地には銀と鉛の鉱山と、有名な温泉地がございまして。互いの領地が接しているのが縁で、三か月ほど前に婚約に至りました」


 ギルガレン辺境伯がにこにこと笑っている。将来の明るい青年が娘婿になることが嬉しいのだろう。

 ソフィーの顔にも、さっきまでは見られなかった輝きが表れた。


「ロバートとは幼馴染なんです。私は四歳から十年間、うちの領地の外れにある祖父母の邸宅で暮らしていたのですが。近くにあるディアラム一族の温泉地に祖父母が毎週のように通っていたので、三歳年上の彼とよく一緒に遊んでいたんです」


 婚約者の顔を思い浮かべて胸をときめかせているのか、ソフィーの顔が赤く染まった。

 双方ともに莫大な財産を持つ家柄だから、資産を維持・拡大するための政略結婚ではあるのだろうが、ソフィーがロバートを好ましく思っていることは間違いなさそうだ。ミネルバはさらに心が重くなるのを感じた。


(ミーアはたしか、ソフィーが『気に入ったもの』に対して強い思いを抱くって……。まさか、そんなはずはないわ。ミーアが自制のきかない娘だとしても、ロバートが将来を棒に振る危険を冒すわけがないし)


 ミネルバは頭に浮かんだ恐ろしい予想を必死に打ち消した。

 婚約もしていない男女がふたりきりになるのは難しい。家族はもちろん、社交界の人々の目が至る所に光っているのだから。

 ソフィーも実家に戻ってからは、ロバートと何度も会えてはいないだろう。貴族の常識から考えて、ミーアが彼と言葉を交わす機会はほとんどなかったはずだ。

 じっとミネルバを見つめていたルーファスが、ギルガレン辺境伯のほうに顔を向けた。


「ミネルバは昼食後、ソフィーと庭を散策する予定だったな。私は少し執務をこなすつもりだったが、ミネルバと一緒に歩くとしよう。よければ、ロバートにも参加してもらいたいのだが」


「願ってもないことです! ロバートは昨晩から別宅のほうにおりますので、早速呼びに行かせましょう」


 ギルガレン辺境伯は満面の笑みでうなずいた。長女とその婚約者がルーファスとプライベートな時間を過ごせるのだから、もちろん断るわけがない。

 辺境伯から指示を受けて、執事が扉の向こうへ消えていった。

 今夜開かれる歓迎会には、辺境伯とゆかりの深い貴族たちが招待されている。警備の都合上、彼らは城のすぐ近くにある別宅に宿泊するのだそうだ。

 ソフィーが花のような笑みを浮かべ、ミネルバに視線を向けてくる。


「我が家には凝った作りの庭園がいくつもあって、庭師が植え込みで作った迷路もありますわ。よろしければ、私が花の世話をしている庭園もご覧になってくださいませ。際立ったところはございませんけれど、この地方にしか咲かない花があるのです」


「ぜひ拝見したいわ。ルーファス様とロバート、そして私とソフィーは年齢が近いし、婚約した時期もほぼ同じ。私たち、きっと仲良くなれるわね。これから長い付き合いになるに違いないわ」


 ミネルバは心の中でルーファスに感謝した。早めにロバートに会えたら、ミネルバが抱えている不安は解消されるに違いない。

 それから和やかに食事を楽しんだ。デザートの皿が下げられるころ、執事が目を丸くして小走りに戻ってきた。そして何事かを辺境伯に耳打ちする。


「ロバートがいない?」


 辺境伯の声に、部屋の空気が一変した。


「は、はい。別宅のお部屋にも、お客様たちがくつろいでいる広間にも、どこにもいらっしゃいませんでした。ディアラム侯爵ご夫妻も、居場所をご存じないということで……」


「今日のような日に無断でいなくなるなど、紳士らしからぬ行動だな。天気もいいし、乗馬に出かけた可能性もある。厩舎の馬丁頭は何と言っていた? 別宅の警備も強化しているから、外に出たのなら誰かが見ていたに違いないぞ。警備兵たちに話は聞いたか?」


 眉を寄せていらだちを示しながら、辺境伯が矢継ぎ早に質問する。


「馬をお使いになった形跡はありません。お部屋には乗馬用のブーツが置きっぱなしになっておりました。警備の者たちも、お姿は見ていないと……外出時にたまたま人目につかず、出先で急病もしくは、なんらかの事故に遭ったという可能性を考え、下男たちに付近を捜索させています」


 執事はハンカチで汗を拭きながら答えた。

 ソフィーの灰色の瞳が陰り、不安そうな顔つきになる。貴族は不用心に歩き回ると、身代金目的に連れ去られる可能性もある。本当は、すぐにでも部屋を飛び出して探しに行きたいに違いない。


「お父様。ロバート様は別宅から、この城に向かわれたのではないかしら。行き違いになっている可能性もあるわ」


「しかしそうなると、余計に警備の者の目についているはずだが……」


「私、ロバート様を探してきます。昼食会が終わるまで、図書室や温室で待っていてくださるのかもしれませんもの」


 ソフィーの目に小さなおびえを感じて、ミネルバは胸が痛くなった。


「わかった、ではお前は城のほうを探しなさい。別宅と外は、私が対応する。ルーファス殿下とミネルバ様を長い間お待たせするわけにはいかない、とにかく急がなければ」


 ギルガレン辺境伯が立ち上がった。まだ若い辺境伯夫人も落ち着きを失うことなく立ち上がり、夫とともに深々と頭を下げた。


「本当に、一難去ってまた一難とはこのことですな。ルーファス殿下、ミネルバ様、お恥ずかしいところをお見せして大変申し訳ございません。なに、ロバートはすぐに見つかるでしょう。散策の時間には少し遅れるかもしれませんが、必ず連れてまいりますので」


「予定を急に変えたのはこちらなのだし、気にするな。探すには人手がいるだろう、使用人たちも連れて行くがいい」


 詫びを入れてくる辺境伯に、ルーファスは鷹揚な声で答えた。


「寛大なお言葉、感謝いたします」


 辺境伯はもう一度頭を下げた。夫妻とソフィー、そして使用人たちが部屋を出ていく。

 ミネルバはソフィーの背中を見つめながら、これがただの『ちょっとした騒ぎ』で終わることを祈った。


「いやー、まさかミーアのいる塔で逢引きしてるっていうオチじゃないですよねー。話を聞くとセリカの同類っぽいし。貴族だから上位互換? いや魔力がないから下位互換かな」


 壁際に立っているロアンが屈託なく笑った。


「お前って、誰もが思ってて口に出さないことをズバッと言うよな。そういうとこ嫌いじゃないけどよ、この場の雰囲気を明るくしようとする冗談だとしても笑えねえよ」


 ずっと黙っていたマーカスが、深刻な顔をしてため息をついた。

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