第4話 辺境伯の謝罪

 ソフィーが顔を赤らめながら、ミーアが放り出していった人形とリボンを拾い上げた。


「ミネルバ様、お恥ずかしいところをお見せしてすみません。いつもはあそこまで馬鹿な真似はしないのですけれど……」


 そう言ったソフィーの顔があまりにも悲しそうだったので、ミネルバは気の毒に思わずにはいられなかった。

 壁際ではエヴァンが侍女に指示を出している。彼女は素早い足取りで扉の向こうに消えていった。


「ソフィー、あなたのせいではないわ。それにしてもミーアは……思っていることを口に出さずにいられない性格はともかくとして、姉の持ち物をあそこまで羨むなんて。少し狂気じみているように思えたわ」


 ソフィーが震える手で2つの人形をぎゅっと握り締めた。


「いつもいつも、というわけではないのです。地味な私と違って、ミーアは豪華できらびやかなものが好きですし。ですから、私を羨んでいるというのとも違うのではないかと。あの子はどうやら、私が気に入ったものに対して強い思いを抱くようなのです。癇癪を起されると、自分が折れてしまうほうが楽で……」


 あきらめの境地のような声を出しながら、ソフィーが目をつぶる。たったそれだけの動作で、彼女が心底疲れ切っているのが伝わってきた。


「母が病死したのは私たちが四歳と三歳のときでした。四年前に父が再婚するまで、私は父方の祖父母の家に、ミーアは母方の祖父母の家に預けられて……。たった一人の同母の妹が可愛くないはずがないのですが、あの子のことがよくわからないというのが正直な気持ちです」


「そうだったの……。つらいことがたくさんあったのね」


 ギルガレン辺境伯は領主としての能力と、帝都での政治力を兼ね備えた人物だと評されている。領地を留守にすることも多い人が十年近く再婚しなかったのだから、幼い娘たちの養育に親族の手を借りるのは自然なことだ。


(縁が薄かった姉妹が再会できたというのに、ソフィーは無茶なことを言われて耐え忍んでいる。ミーアは妙なライバル意識を抱いているのかしら。だとしたら、男同士のそれよりも凄まじいわ)


 ミネルバが小さく息を吐いたとき、さっき出て行った侍女が戻ってきた。

 しばらくしてから扉の向こうで大きな声がした。誰かが言い争っている。明らかに怒鳴っている声に、ソフィーが身じろぎをした。

 やがて扉がノックされ、青ざめた顔色のギルガレン辺境伯が飛び込んできた。焦っているのが一目瞭然だ。


「ミネルバ様、大変申し訳ございませんでした。ミーアは愚かなあやまちを犯しました。償いのために、あの娘には謹慎を命じました。今夜の歓迎会はもちろん、もうすぐ始まる社交シーズンにも出しません」


 辺境伯が深々と頭を下げる。ミネルバが立ち上がったとき、開け放たれたままの扉からルーファスとマーカスが入ってきた。


「ミネルバ、怪我はしていないな?」


 大股で歩いてきたルーファスに手を握られて、ミネルバは目をしばたたいた。


「ええ、もちろん。私に対する暴力行為があったわけではないもの」


 だからこそ、ミーアは厳しい叱責を受ける程度だろうと思っていた。まさか今年の社交シーズンから締め出されることになるだなんて。


「ギルガレン辺境伯は賢明な判断をした。皇族の前で暴力行為を働くことは、断じて許されない」


 ルーファスの厳しさがにじみ出た言葉に、辺境伯はさらに頭を低くした。


「もちろんです。ミネルバ様は敬意を受けるべき存在で、不敬行為を受けるようなお方ではない。ミーアのやったことは、貴族失格とそしられても仕方のないものです。娘の養育を親族任せ、家庭教師任せにしていた私にも非があります」


 平身低頭する辺境伯を見て、彼がルーファスから信頼されている理由がわかった気がした。家庭のことはともかくとして、彼は皇族を敬うことの必要性と重要性を理解している。

 小国の公爵令嬢から『成り上がった』ミネルバにも厳粛な態度を崩さず、皇族への献身という伝統を守ろうとしているのだ。


「ギルガレン家の名誉にかけて、ミーアは厳しく教育し直します。二度と軽率な真似はさせません」


「迅速な対応に感謝します。どうぞ、頭をお上げくださいませ」


 顔を上げた辺境伯の目は、少し潤んでいた。娘の失態に、父親としてどれほどショックを受けたことか。


「ミーアは綺麗ですし、天真爛漫で明るい子です。自己中心的な性格を抑えることができれば、よき淑女となれますでしょう」


 慰めるような気持ちでそう言ったものの、謹慎を命じられて歯ぎしりをしているミーアの顔が目に見えるようだった。


(ソフィーの気に入ったものを横取りすることに喜びを感じているミーアが、このまま大人しくしているかしら。なんだかいやな予感がする……)


 きっと思い過ごしに違いないと、ミネルバは気持ちを顔に出さないよう注意した。

 父親から謹慎を命じられた以上、ミーアが騒ぎを起こす可能性は低いだろう──しばらくしてから、ミネルバはそれが甘い考えだったと思い知らされる。

 数時間後、ギルガレン辺境伯家を揺るがす大騒動が始まった。

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