第4話 軽やかに踊りながら
ダンスフロアの上をくるくる回りながら、ミネルバは周囲の人々に目をやった。流れるように優雅に踊る二人を、誰もがお喋りをやめて見つめている。
二度も男性から裏切られた自分が、グレイリング帝国の皇弟殿下と結婚することになるなんて、誰が想像できただろう。
「そのドレス、とてもよく似合っている。君自身が美しいことはもちろんだが、アシュランの伝統模様の刺繍はグレイリングでも人目を引くに違いない」
ミネルバは嬉しくなって、ルーファスを見上げてにっこり笑った。ルーファスの温かく大きな手に包まれて、背中に羽が生えたように軽やかに踊り続ける。
「グレイリングはもうすぐ社交シーズンだ。貴族たちはこぞって君を歓迎するだろう。招待状が次々に舞い込んでくるだろうな」
「ルーファスに恥をかかせることがないように、一生懸命頑張らないと。生まれ故郷から旅立って未知の世界に飛び込むのは、やっぱり緊張してしまうわ」
「ミネルバなら大丈夫だ。温かい人柄だし、しっかり者で機転が利く。すぐにグレイリング社交界の中心的な存在になれるよ」
それは買いかぶりすぎだし、愛しているからこそのひいき目だろうが、やはり期待を裏切りたくはない。
7歳で王太子の婚約者に選ばれ、十年間もそれにふさわしい教育を受けてきた。人より多くのことを期待されるのには慣れている。上に立つ者として愚かであってはならないと、常に自分を戒めてもいる。
いつも冷静で超然とした態度で、すべての要素が揃った完璧な人に見えるルーファスだって、人知れず努力しているに違いないのだから。
(なんといっても婚約者なんだから、ほかの人が知らないルーファスの一面を知ることができるはず。ちょっとした欠点とか、人に知られると恥ずかしい癖とか、そういう人間らしいところが見たいなあ。見ちゃったら嫌いになるどころか、安堵の思いしか湧かないと思うし……)
グレイリングに行けば、ルーファスとの心の繋がりがもっと強くなる。ミネルバはわくわくして頬が緩んでしまった。
ルーファスのリードでくるりと回ると、ドレスのスカートがふわりと翻った。
「私たち、グレイリングの帝都デュアートへは陸路で行くのよね?」
「正確には海路と陸路の組み合わせだが、あえて陸路を多く使う。我が国の船はどこの国のものより速く航行できるから、海路でデュアートに向かう方が楽なんだが。今回は、信頼のおける貴族たちの領地に立ち寄る予定なんだ。社交シーズンの前に知り合いを増やしておけば、ミネルバも気が楽になるだろうし」
ルーファスの心配りに胸がいっぱいになる。家族以外の男性から、これほど気遣われた経験がないのだ。いや、子どものころはあったかもしれないが、もう思い出せないくらい遠い昔の話だ。
「最初に立ち寄るのは、国境を守るキルガレン辺境伯の屋敷だ。ちょうどいま、ジャスティンと話している人だよ。長女のソフィーは君と同じ18歳で、有力な侯爵家の嫡男と婚約している。ひとつ年下の次女はミーアといったかな」
「ぜひ仲良くなりたいわ。私は男兄弟しかいないから、姉妹って憧れなの」
ターンをしながらジャスティンのほうを見ると、彼は白髪交じりの男性と話し込んでいた。穏やかそうな顔つきの、身なりの極めて立派な紳士だ。
もしかして次女の花婿候補を探していて、ジャスティンに目を付けたのだろうか。
辺境伯と言えば単なる伯爵家よりも上で、侯爵に匹敵する立派な家柄だ。そんな家の娘ならば、アシュランの王宮を立派に切り盛りできるに違いない。
(そんなことを考えるのはまだ早いわ。ジャスティン兄さまが愛を注ぐことができるだけじゃなく、女性の側も同じ気持ちを抱けなければ駄目なんだから。私はただ、お友達を増やすように努力すればいいだけ)
ソフィーとミーア、いったいどんな人たちだろう。彼女たちからすればアシュランは田舎の小国。そこからやってくるミネルバを、笑顔で迎えてくれるだろうか。
最後の旋律が奏でられ、ミネルバたちは静かに踊りを終えた。終わりのお辞儀をすると、人々から拍手喝采が上がった。
ミネルバたちのお披露目のダンスを見守っていた人々が、次のダンスを踊るためにダンスフロアに向かってくる。
「バートネット公爵夫妻のところへ行こう」
ルーファスが微笑みながら手を差し出してきた。彼にエスコートされてダンスフロアを出ると、両親とコリンが満面の笑みで迎えてくれた。
「見ていて胸がどきどきしたよ。まるでおとぎ話の王子様とお姫様みたいだった。ルーファス様とミネルバは、本当にお似合いだ」
コリンが瞳をいたずらっぽく輝かせる。父サイラスと母アグネスは胸がいっぱいという表情で、大きくうなずいている。
「
「ルーファス殿下にそのように呼ばれるのは、少々おもはゆいですな。強欲な家族が丸ごと押しかけたと思われては娘のためになりませんし、私たちはアシュランから見守っております。婚約式と結婚式に参列できれば、それで十分です」
「それに、アシュランのかじ取りがすべてジャスティンの肩にかかっておりますから。たまには実家で息抜きをさせてやりませんと。あの子の邪魔にならないように、ひっそりしているつもりではいるのですが」
厳格な父と愛情深い母は、娘と息子が高い身分を得ても、有頂天になるどころか陰に隠れようとしている。ミネルバのことはマーカスが支えてくれるし、ジャスティンにはコリンがいるからとはいえ、心配に違いないだろうに。
「ミネルバのことはおまかせください。私としては、すぐにでも結婚式を挙げたいのですが。グレイリングの勢力圏から多くの人々を招待しなければなりませんし、古くからの伝統にのっとった挙式の準備はそれでなくとも時間がかかります。兄夫婦が、とにかく盛大にやるのだと言って聞かなくて。あの人たちは過保護というか、いつまでも私が子どもに見えるようで……」
ルーファスが困ったように頭を掻く。これは初めて見る仕草だった。大好きな人の新しい一面を知ることができて、ミネルバは嬉しくなった。
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