第2話 体と心に触れて
「あー美味しかった。ようやく満腹になりました!」
ロアンがプティングの皿をテーブルに戻す。彼は両手でお腹を撫で回しながらマーカスのほう向き、目をきらりと光らせた。
「じゃ、マーカスさん。ミネルバ様に一番いい仕事をしてもらうために、僕らは退散するとしましょうか。千里眼を使うには集中できる環境が必要ですもん、僕たちがいたら落ち着きませんよ」
「は? なんでそうなるんだ? ミネルバが俺を邪魔に思うわけがないだろう。それに俺は兄貴として、妹を見守る義務がある。最初に千里眼を使ったときには側にいてやれなかったし……」
ロアンがやれやれと首を振った。そしてマーカスに体を近づけて耳打ちをした。
「お兄さんぶらせてあげたいのはやまやまなんですけど、ミネルバ様を守る役目はすでにルーファス様のものなんですよ。マーカスさんが男女の心の機微に死ぬほど鈍感なのはわかってるんですけどね。ここはひとつ、できたてほやほやのカップルが二人っきりになるチャンスをあげましょうよ」
「え? お? ええ?」
マーカスがきまり悪そうにもじもじする。
彼らとしては内緒話をしているつもりなのかもしれないが、二人揃って声のボリュームが大きいので、ミネルバの耳にはしっかり声が届いていた。
「ほら、ルーファス殿下のあの疲れ果てた顔を見てくださいよ。僕に食料がたっぷり必要なのと同じように、殿下にも体を休める時間が必要なんですよ。すべての決着がつくまでには、まだまだ疲れるのはわかりきってるでしょ? いまここでミネルバ様に癒してもらわなきゃ」
「そ、そうなのか……? 俺の目には、いつも通りのルーファス様に見えるが……」
「無理してるんですって、精神力で体をコントロールしてるだけです。ミネルバ様を抱きしめながら、少なくとも1時間は休まないと」
「だ、抱きしめるっ!? いや正式に婚約してるんだし、相思相愛だし、いいっちゃいいのか……? し、しかし……そうは言っても……」
ロアンとマーカスの会話を聞きながら、ルーファスが片方の眉を吊り上げた。
(動揺しているマーカス兄様はともかく、ロアン君はわざと大きな声を出している気がするなあ……)
ミネルバとロアンはまだ短い付き合いだが、彼がやさしい子なのはわかっている。だからこれは彼流の心配りなのだ。
ミネルバはちらりとルーファスを見た。複雑な表情を浮かべているが、ロアンの発言をたしなめるつもりはないらしい。
「さ、行きますよマーカスさん!」
ロアンが立ち上がり、両手でマーカスの右手首を掴んだ。
マーカスは抵抗することもなく引っ張られ、ロアンと一緒に扉へと歩いていく。さかんに小首をかしげるマーカスの背中を、ロアンが扉の外へと押しやった。
「僕たち1時間くらいしたら戻ってくるんで、そのころには千里眼の結果も出てるでしょう。じゃ、ごゆっくり!」
ロアンが振り返り、ひらひらと手を振った。そして室内にミネルバとルーファスの二人だけが残された。
ミネルバは恥ずかしいような、心温まるような、なんとも形容しがたい気分だった。どうしたらいいのかわからなくて、ルーファスに握られたままの手に視線を向ける。
「わざとらしい奴だ。正直に認めるのは悔しいが、今日一日で何度も結界を作ったから、たしかに疲労を感じている。30分……いや15分寝たら回復すると思う」
ルーファスが小さなため息をついた。彼の頬が赤く染まったのを見て、ミネルバは息をのんだ。
「ミネルバ、その……私が目を閉じている間、そばにいてくれるだろうか。私が万全の状態になるまで、腕の中にいてほしい……」
ルーファスがミネルバの手を引き寄せ、手の甲に口づけを落とした。ルーファスの指先が離れていく。そして彼は、ミネルバに向かって両手を広げた。
「え、あの、は……はい……」
ミネルバはかすれた声で答えた。抱き上げられたり背中を支えて貰ったりと、もう何度か密着しているが、こうして正面から向かい合うのは初めてだ。
心臓の鼓動が急速に早まり、息が苦しくなってくる。触れ合いたいという気持ちが高まって、まるで催眠術にかかったかのようにミネルバはふわりとルーファスの胸に飛び込んだ。
ルーファスの両腕が、かつて経験したことのない力強さでミネルバを抱きしめる。
「すごく……癒されるな。君はたしかに、私を癒す能力を持っている」
ルーファスの鼓動がじかに伝わってくる。ミネルバは彼の背中に両手を滑らせ、しっかりと抱き寄せた。ルーファスがミネルバの肩に顔を埋めた。彼の温かい息が耳元に感じられる。
「ルーファス様……」
心をとろけさせるようなルーファスの体温を感じながら、ミネルバはうっとりと目を閉じた。心も体も、ものすごい勢いで癒されていくのを感じる。
ルーファスが切ない吐息を漏らすのが聞こえた。
「ルーファスだ。ルーファスと呼んでくれ。君に負担をかけてはいけないと、ずっと我慢していたんだ。でも二人っきりのときは、やっぱりそう呼んでほしい」
普段ほとんど感情をあらわにしない人が、少し拗ねたような口調になっている。ミネルバはくすぐったい気分になった。
ほんの少し前まで、彼は雲の上の人だった。でもいまはミネルバの愛しい人だ。彼がいなかったときの自分には二度と戻りたくない。
「ルーファス……」
そう呼びかけたとたん、さらに強く抱きしめられた。「ありがとう」というルーファスの満足げな声に、頭がくらくらしてしまう。
「眠る前に、少し昔の話をしていいかな。私が結界を張れるようになった理由……子どものころから、自分の身は自分で守らなければならなかった理由を。ミネルバには知っておいて欲しいんだ」
ルーファスの声がいつもよりかぼそい。ミネルバは胸が締め付けられるのを感じた。
「私とフィルバートは似た者同士かもしれない。いや、似ているところがたくさんあった。私にも奴と同じように、自分自身を愛すること、あるがままの自分を受け入れることが難しい時期があったから。ああいう生き方を選んだのはフィルバート自身で、誰にも無理強いはされていない。だから庇うつもりは無いが……奴が感じていただろう『自分が貴重な存在だと思えない』気持ちは、私にもわかるんだ」
そこでルーファスは息を継いで、ミネルバの知らない幼い日々のことを話し始めた。
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