第3話 衆目の中で
「それにしても我が婚約者を『反逆者』とは、どうにもこうにも理解に苦しむ話だ。フィルバートはどんな夢に酔いしれているのやら」
ルーファスが氷のように冷たい声で言った。
使用人たちが恐ろしいものでも見るような目つきになる。
「どうやら奴は、例の茶会のとき以上に好き勝手にしているようだな。己が絶対の法となって国を動かしているつもりでいる。生まれてこのかた、こんなに面白い話は聞いたことがない」
ルーファスは片方の口元を引き上げ、皮肉るような表情になった。
その顔があまりに恐ろしくて、ミネルバですら身がすくむ思いがした。さすがに『悪魔の申し子』『暗黒の皇弟殿下』と呼ばれている人だけのことはある。
「まあまあルーファス殿下、フィルバートの頭がどうかしていると思うのも無理はありませんが。きっと、彼には彼なりの理由があるんでしょう。彼から見れば、それはそれはまっとうな理由がね」
コリンが涼しい顔で前に出てきた。
「しかしミネルバの現在の立場が明らかになった以上、誰がフィルバートの言葉を信じるというのか。大使館で得られるのは
口元をほころばせながらジャスティンも出てくる。
「まさに『知らぬはフィルバートばかりなり』か、いい物笑いの種だ」
マーカスが瞳を生き生きと輝かせながら言った。
3人の兄たちは、ルーファスとミネルバを囲むようにひとつのかたまりとなった。あまりに近い存在すぎて忘れがちだが、兄たちもまた人の目を引きつける美貌の持ち主だ。
このひと幕を見ている人々の口から、興奮の声やひそひそ話がさざ波のように広がっていく。
そう、ミネルバたちの周りにはどんどん人が集まってきていた。
足の速い馬で飛ぶように駆けてきた一団に、本宮殿や西翼、その他施設にいた人々がようやく追いついたのだ。
金ボタンの付いた赤い服に金色の靴下を履いた男が、人を押し分けて前方に出てきた。あれはセリカのために雇われた使用人だ。
喧騒が怒涛のような流れで広がっていく。隣の人物から話しを聞いたらしいセリカの使用人は、浜辺に打ち上げられた魚のごとく口を開け、皿のように目を丸くした。
人垣を離れてどこかへ走っていく人の姿もある。彼らの口から、ルーファスとミネルバの婚約はあっという間に王宮中に広まるだろう。
おまけに今日は月に一度の議会の日だ。貴族にとっては単なる名誉職で、議会での討論など有名無実と化しているけれど。
フィルバートが大使館に行っているので懇談もできないが、仲間うちで近況報告や噂話を交わすために、そろそろ議員たちが集まってくる時間になっていた。
東翼の階段やその上の回廊にまで、色とりどりの制服の人だかりができている。何事かと驚いた貴族が、自分の使用人に情報収集をさせているのだろう。
「ジャスティン、マーカス、コリン。今日はお前たちの友人もたくさん来ているようだ。せっかくだから旧交を温めてきたらどうだ? 国王夫妻の見舞いは小人数であるべきだから、私とミネルバと医者だけでいいだろう」
ルーファスがよく通る声を出した。
「それではお言葉に甘えて。なにしろ一年以上も社交を怠っておりましたから、また新たな関係を築かなくてはなりませんし」
ジャスティンが聞き取りやすい声で答える。
背後に立つルーファスの部下たちを、マーカスがちらりと振り返った。
「殿下の部下の皆さんは何度もこちらに来ることになるでしょうから、王宮内を知っておく必要がありますね。ついでですから、私がご案内しておきましょう」
コリンが人々の顔に視線を滑らせた。
「我が妹ミネルバが大帝国グレイリングの皇弟妃になる。これは国家的慶事ですよ。準備には王宮の総力を挙げて取り組んでもらわなければ!」
これは最初から決まっていた筋書きだった。フィルバートとセリカが不在という状況を、最大限に利用しない手はない。
王宮内をくまなく観察し、国王夫妻が壮健だったころとの違いを見極める。権力は強力な媚薬と言われるが、フィルバートとセリカはすでに君主のごとく振る舞っている。彼らにとって不利になる情報を見つけ出すことが兄たちの使命だ。
周囲に興奮の渦を巻き起こしている美貌の青年たちの声を聴きながらも、ミネルバは東翼の執事の顔を観察していた。
(血の気の失せた顔……目に浮かんでいるのは苦悩。あの様子だと、彼がフィルバートに従っているのは計算ずくではないはず。国王夫妻が健康を害して、絶対の信頼を寄せられる人がいない中で、いやいやながらフィルバートに従っている。そしていま、彼への疑問が生じている……)
執事の顔によぎる表情を見ながら、観察力が洞察力を働かせる。そして彼が何を考えているか判断した。
ミネルバは一歩に二歩と執事に近づき、彼の目を真っすぐに見つめた。
「あなたは悩み事があるように見えるわ。そして国王夫妻の看病で精根ともに尽き果てている。疲れ切って、限界がきているのではないかしら? 自分がいまどうすべきなのか判然としないのでしょう?」
ミネルバはそこで初めて微笑んだ。
「状況が変わったのだから、あなたは私たちを頼っていいの。きっとフィルバートに脅されてきたのでしょう。大丈夫、国王夫妻に危険が及ぶことはないわ。だから私たちを中に入れてちょうだい」
執事の顔つきがたちまち変わった。
「は、はい……。ミネルバ様、申し訳ございません。私はとんでもない思い違いをしていたようです……」
執事はそう答えながら、目に涙を浮かべてミネルバをまっすぐ見つめ返した。
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