第4話 始動

 ミネルバは詰めていた息を吐きだした。

 体の中に熱いものが渦巻くのを感じずにはいられない。胸の内をちゃんと打ち明けられたことで、自分にあるとは思っていなかった種類の自信が湧き上がってくる。それが心から嬉しくて、ミネルバは笑みを浮かべた。


「ルーファス様……恋ってすばらしい感情なんですね。心の中が無垢なもので満たされて、きらきら光っているみたい……いまから思えば、出会った瞬間から惹かれていたんです。でも恐怖が先に立って、ルーファス様に抱いている真の感情が見えなかった……。私、自分に正直になれて嬉しいです」


 ミネルバは照れ笑いを浮かべた。きっと隙だらけの、気の抜けたような顔になっていることだろう。でも物心ついて以来、これほど無邪気な気持ちで笑ったことはない。


「……ミネルバが可愛すぎてつらい。頭が爆発しそうだ……」


 ぼそぼそと言って、ルーファスが眉根を寄せた。何を言っているのかよく聞こえなかったが、動揺しているらしいことだけはわかる。


「元から美しかったのに、そこに可愛らしさが加わって……いますぐミネルバをグレイリングに連れて帰りたい……」


「あ、あの、ルーファス様、そんなに強く唇を噛んだら血が出てしまいます。それとあの、もう少し大きな声で喋っていただけたら嬉しいです」


 繋がったままの手から、ルーファスの胸の高鳴り、興奮や気恥ずかしさといった感情が伝わってくる。耳まで真っ赤になっていて、見ているミネルバの顔まで熱くなるほどだ。

 ルーファスの心臓が激しく打っているのがわかるから、ミネルバは安心させるようににこっと笑った。彼の口から「うぅ」とうめき声が漏れる。


「揺るぎない自信が魅力になって強すぎる……ちょ、ちょっと待ってくれ、いま私の中で天使と悪魔が戦争状態になっているから。心配ない、理性の限りを尽くせば感情の波を制御できる。やるべきことはミネルバの家族への報告、ニコラスとの打ち合わせ……そしてフィルバートの鼻をへし折る。先手を打つために、すぐに行動を起こさなければ……」


 ルーファスは目を閉じて、何度か深呼吸を繰り返した。体の奥から湧き上がる感情を押し戻そうとするように。


「よし、大丈夫だ。ありがとうミネルバ、互いに深い愛情を抱いていることが明らかになったことで、さらに動きやすくなった。もう何ひとつ心配しなくていい」


 しっかりした声でそう言って、ルーファスは最高の笑顔を見せた。


「兄の許しは出ているし、バートネット公爵夫妻も認めてくださっている。だからミネルバはもう私の婚約者になったんだ。これは君を守るための、極めて正当な理由だ。おまけにミネルバが愛の告白をしてくれたことで、私の憂いはすべてなくなった。あとは行動あるのみだ」


 ミネルバは大きくうなずいて、ルーファスの手をぎゅっと握り返した。


「そろそろフィルバートも、私が大使館にいることに気づいていると思います。きっと、私を引き渡すように要求してくるはずです。内政干渉を主張するくらいの知恵なら働くでしょうから」


「そうだな。ニコラスによれば、実際そのような動きがあるらしい。まあ奴をここに呼んで、御大層な主張を存分に喋らせるのは悪いことではないよ。こちらに損になることはないし──むしろ非常に有益だ」


 ルーファスはまさしく悪魔のようににやりと笑った。

 ミネルバは小さく首をかしげた。


「婚約が成立した以上は、私の保護が正当かどうかで争う必要はなくなった……。それなのに入館許可を出すということは……私の存在を、フィルバートをおびき寄せる『エサ』に使うということですか?」


「さすがミネルバ、正解だ。さあ、続きは歩きながら話そう。みんな首を長くして待っているぞ」


 ルーファスに手を引かれて、ミネルバは背筋を伸ばして歩き出した。図書室を出て、歩調を合わせながら会話を続ける。

 

「エサに使うとは言っても、フィルバートが丘の一番上まで上がるには長い時間がかかる。君たちは私の許可証を持っていたから、すぐにここまで来れたが。本来は厳重な身体検査と荷物検査を受けなければならないんだ」


 落ち着いたルーファスの声を聞きながら、ミネルバは懸命に考えを巡らせた。彼はさらに言葉を続ける。


「国王ならばいざ知らず、王太子がすぐに大使と面会できると思われても困る。理事官、参事官、公使と、段階を踏んでもらわないとね。彼らには申し訳ないが、フィルバートの愚にもつかない話を、時間をかけて聞いてもらうつもりだ。ニコラスに会うころには、フィルバートは疲れ切っているだろうな」


 ミネルバははっとした。ルーファスが考えていることがわかったからだ。


「つまりルーファス様の真の目的は……フィルバートをここに閉じ込めておくことなんですね?」


「その通りだ、一度中に入ってしまえば奴は外との接触ができなくなる。万全の準備を整えて挑んでくるだろうが、私たちが会ってやる必要はない。フィルバートをやりこめるのは、後回しで構わなくなったからね」


「それじゃあ、私たちは……」


「フィルバートが第一の門をくぐったのと同時に、アシュランの人間が知らない出入口を使ってここを出る」


 ルーファスがきっぱりと言った。


「そして直ちに王宮に向かう。国王夫妻に仕事をさせるんだよ、ミネルバの汚名をそそぎ、名誉を回復させるという大切な仕事をね」


 もう一度にやりと笑って、ルーファスは皆が待つ広間の扉を開けた。

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