第4話 用意周到

「私の推測、驚くほど当たってしまったみたい」


 ミネルバはおどけたような口調で困った顔をしてみせた。


「ごめんなさい兄さまたち。フィルバートのあの様子だと、やっかいな事態になってしまうかもしれない」


 唇をゆがめ、目に怒りをたぎらせていたフィルバートの顔が思い出される。あの表情は悪い兆しだ。きっと仕返しをたくらんでいるに違いない。

 でもこっちだって、さすがに腹に据えかねた。

 フィルバートの思いつきには何度も傷つけられてきたけれど、あの提案はこれまででも一二を争うひどさだ。絶対に許されるものではない。


「気にするなミネルバ。いや、実に爽快だった」

 ジャスティンがにやりと笑う。

「ルーファス様ばりの正論だったぞ。聞いていてすっきりしたし、場を完全に掌握していたな。本当に見事だった、私はお前を誇りに思う」


「ジャスティン兄さんの言う通りだ。お前に比べて、フィルバートは馬鹿を晒しただけだったな。『我がアシュランは自国の文化に誇りを持っている』だったか? あれは傑作だった、文化を率先して壊しているのはセリカだろうに!」

 マーカスが腹を抱えて笑い出す。


 コリンが笑みを浮かべながらうなずいた。

「セリカは『郷に入っては郷に従え』という言葉を知らないみたいだからね。どんな世界で育ったのかは知らないが、自分の文化が何よりも優れていると思っているらしい。ミネルバが断った以上、フィルバートは他の教育係を探すしかないが──誰を連れてきても、あの女を淑女に変身させるなんて奇跡はまず起こせないさ」


 ジャスティンが意地の悪そうな顔でふんと鼻を鳴らす。

「二、三日で辞めていった教師たちをいくら口止めしても、セリカの異常さは漏れ伝わるだろう。どれだけ金を積んでも次は見つからないに決まっている。あの女をたしなめたり、自制することを教えるのは命がけだ。誰がそんな無駄で無鉄砲なことをしたいものか」


 ミネルバは深く息を吸った。よく3か月も教育係ができたものだと、いまさらながらに思う。ミネルバだって、もう少しで心の健康を害するところだった。

 

「一度は切って捨てた私に、再び教育係を頼むだなんて。単に切迫しているだけなのか、それともセリカが主張した『虐め』が事実無根だと気づいたのか……まあ、いまとなってはどうでもいいけれど。どのみちフィルバートは『感謝』とか『謝罪』という言葉を知らないんだし」


 ミネルバは小さく肩を回した。こんなに肩が軽くなったのは生まれて初めてと思うくらいに、心も体もすっきりしていた。

 コリンが「さて」と気を取り直したような声を出す。


「そろそろ移動しよう。あの頭の空っぽなフィルバートが仕返しをしに来る前に、ミネルバを危険から遠ざけておかなくちゃ。あの馬鹿男の事だから、次はかなりの頭数をそろえて脅しに来るだろうからね」


 ジャスティンの表情が和らいだ。

「そうだな。ルーファス様からも、しかと言いつけられていることだし。マーカス、お前がミネルバを連れて走れ。私とコリンはいったん屋敷に戻る。父上と母上に事情を説明する必要があるし、あの例の鳥でルーファス様に連絡しなければならないからな」


 ミネルバは思わず首をひねった。


「走るって……どこへ? 距離的にグレイリングということはないだろうし……うちの領地は王都のすぐ近くだけど……」


 マーカスが肩を揺らして豪快に笑う。


「急に察しが悪くなったじゃないかミネルバ。国内にひとつあるだろう、アシュランでありながらアシュランではない場所が!」


 数秒考えて、ミネルバははっとした


「グレイリング帝国の大使館……っ! でもあそこは治外法権で、大使館の責任者の許可がなければ、アシュランの人間は立ち入ることができないはず……もしかして、ルーファス様が?」


「正解だ。ルーファス様が我が家を訪れた際に、俺たち3人に許可証をくださったんだ。俺たちはミネルバの兄であると同時に護衛だからな。あのお方は、フィルバートとセリカはもちろん国王夫妻も信用していない。お前に少しでも危害が及ぶ可能性があれば、すぐに駆け込めと指示を受けた。もちろん、大使館側にも指示が通っているらしい」


「そうだったの……」


 ミネルバの心の中に、なんとも言えない甘い感覚が広がっていく。

 唐突な求婚を受けたあの日、ミネルバは精神状態が不安定だった。だからルーファスは兄たちにだけ指示を残したのだろう。

 ルーファスの思慮深さと気配りに、ミネルバは改めて感動を味わった。必ず助けになる、守ってやるという彼の言葉を思い出す。

 ミネルバは両手で胸を抑えた。

 ルーファスが耳元で「厚かましいかもしれないなんて遠慮せずに、堂々と私を頼れ」と言ってくれた気がした。

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