第446話迎えに来ました

「このような小さなことしかできずに申し訳ない」


 そう言ったのはこの国の国王となった我が兄、ルキウスだ。


 今俺達は、ルキウス含め、身内だけで集まって小さな食事会を行っている。

 本来ならば前王の妃が外に出ていくのであれば、それは盛大に祝ってもおかしくない。というか、そうするべきことだ。


 だが、俺達のことを考えるとそうするわけにはいかない。


「いいえ、国王陛下。現在のような情勢において、私共の事を無闇に広めない方が良いと言う判断は理解できますし、私もそうするべきであると思っております。むしろ、このように祝っていただけるだけであったとしても、大変喜ばしく思いますわ」


 俺は母さんの息子で、親父はその婚姻相手なのだが、それでもカラカスの住民であると言うことは変わらない。

 そのため、ただでさえ国の状況が荒れているのに、そんな状況でカラカスと手を組んだと思われては国民を不安にさせることになるので、今はまだ国民達には内緒にしておいた方がいいだろうとなったのだ。


「そうか。あなたはこれからカラカスに向かうが、言葉の上では王国とカラカスの不可侵のための使者だ。だが、その裏の意味はカラカスへ送る人質、ということになっている」


 しかし、国民に内緒にすると言っても、この国の上層部の奴ら全員にも秘密にしておく、というのは不可能だ。なにせ母さんはこの国の元王妃なのだから。なんの説明もなくいなくなれば騒ぎになってしまう。

 そのため、母さんがカラカスに向かうにはそれなりの理由が必要だったのだ。


 その理由が、『カラカスとの不可侵条約のための使者』だ。カラカスの戦力を知って敵対したくないザヴィートの者達としては、不可侵を結べるのなら大賛成だったようで否定するものはいなかったようだ。


 だが、そんな理由だったが、誰もが母さんを……元王妃を送るのは『人質』の役割をしてもらうためだと思っているようだ。というよりも、そう思わせたらしいけど。そう信じてもらえるのなら、その方が対応が楽だから、と。


 だが、実際には母さんがカラカスにくるのはそんな理由ではない。

 今この部屋に集まって食事会に参加しているのは、そんな真の理由を知っている者達だけ。部屋の中で待機している従者達も、事情を知っている者達だけだ。


「はい。そうするのがもっとも穏便に事を進めることができますから」


 母さんもそんな理由を知っており、その上でこうして食事会を開いて祝ってもらえることを喜び、笑顔で頷いている。


「だが、あなたはそれら二つではなく、真の意味を全うするといい。そうあってくれる事を祈っている」

「ありがとうございます。陛下にそう言っていただけると、大変心強く思いますわ」

「なに、そうしてもらうのがもっともこの国のためになるというだけの話だ。あなたは私に恩を感じているが、そんなあなたが幸せにしているのなら、あの二人は何かあってもそれが小さな事ならばこの国には手を出さないだろうし、仮に手を出したとしても止めてもらえるだろう?」


 新たに国王となったルキウスとしては、母さんが俺達をこの国に敵対しないようにするための鎖、或いは首輪の役目を期待しているようだが、そんなこと理解している。

 ルキウスもそのことはわかっているんだろう。だからこそ、こうして堂々と俺たちの前で話している。


「ええ、その時はできる限りのことはさせていただきます。私の子達が幸せでいられるのなら」


 だが、母さんはそれまでの笑みよりも作り物めいた笑みを浮かべ、にこりと笑いながら答えた。


「……肝に銘じておこう」


 そんな母さんの答えで、母さんも完全に信用することはできないと理解したのだろう。いや、元々理解していたが、そのことを再認識したんだろう。ルキウスは僅かに間を置いてから神妙さを混ぜて頷いた。


「さて、そろそろ私は消えるとしよう。私ばかり話していては、切られたり植物を生やされたりしてしまう」

「ふふ、二人ともそのようなことはいたしませんわ」

「……そうであるといいのだがな」


 母さんはルキウスが冗談を言っていると思ったのか、作った笑みではなく本当に笑っているが、ルキウスは引き攣った笑みを浮かべている。

 まあ、そうだろうな。実際に見たことがあるわけだし。

 そんなことされないよ、なんて否定したところで信じられるわけがない。


「リエータ」


 そうしてルキウスが去っていった後、今度は母さんの父親——俺の祖父であるイルヴァが母さんの名前を呼んだ。


「おめでとう。私はこれまで散々間違えてきた。そのせいでお前を不幸にさせてしまった」

「お父様……」

「だが、お前はようやく幸せを掴めるのだな。それも、私などの手ではなく、自身の手で。私は、それがとてつもなく喜ばしい。それこそ、言葉などでは言い表すことができぬほどにな」


 そう言ったイルヴァは感慨深そうに目を瞑り、黙り込んだ。

 そして、目を開いた後母さんではなく親父の方へと顔を向けた。


「黒剣……いや、ヴォルクよ。もしお前があの先王のように娘を泣かせるようなことがあれば、たとえお前が第十位階であろうとも、ワシはお前を殺しにゆく」


 そう言ったイルヴァの瞳には、刺し違えてでも、という意志が見える。


「……ああ、わかってる」

「ならば良い」


 イルヴァの言葉に、親父は言葉少なに返した。

 そんな返事を聞いたイルヴァの表情は相変わらず厳しいものの、その口元には僅かながら笑みが浮かんでいた。


「しかし、不可侵のための使者、ということは、年に一度くらいはこちらに戻ってくるのでしょうか?」


 祝いの場ではあるものの、少しだけ堅苦しくなりすぎた空気を緩めるかのように、フィーリアは普段通りの態度で首を傾げながら母さんへと話しかけた。


「ええ、そのつもりでいるわ。一年よりも長くなってしまうことはあるかもしれないけれど、それでも何年も、ということはないはずよ」

「そうですか。でしたら、お母さまのお部屋は私が管理させていただきますね」

「それはありがたいけれど……でも、そうしてもらうとフィーリアちゃんの負担じゃないかしら?」

「現状を維持するだけであれば、大した負担でもありません。それに、部屋が残っているとわかっていただければ、いつでも帰ってきてもらえますから」

「フィーリアちゃん……やっぱりあなたも……」


 母さんは少しだけ悲しげに眉を顰めて何かを言いかけたようだが、その言葉は途中で止められた。


 そして、首を振ると優しげに笑みを浮かべた。


「いえ……ありがとう、フィーリアちゃん。大好きよ」

「ええ、私もお母さまのことが大好きですよ」


 母さんとフィーリアは隣同士で座っているが、小さいながらも王城での食事会ということで、かなり広いテーブルを使っている。そのため、二人の距離は手が届くような距離ではない。


 だがそれでも、笑い合う二人はお互いに手を触れ合っているような暖かさを感じさせた。


「——さて、それではワシはこの辺りで暇させてもらうとしよう」

「あら、もうそんな時間だったのね」


 食事会は何事もなく進んでいき、気づけばいい時間になっていたために解散することとなった。


 そして今、それぞれの部屋に戻るために歩いているのだが、俺は隣を歩いている親父に小さく声をかけた。


「親父。あんたいつ言うんだ? まだ言ってないだろ」

「うるせえ」


 俺は親父が言うべきことをまだ言っていなかったので、そのことについて言及すると、親父は不機嫌そうな顔をしながら答えた。


「……? お兄さま? まだ、とはなんのことでしょうか?」


 そんな俺たちの会話が聞こえたのか、母さんの隣を歩いていたフィーリアは振り返り、首を傾げつつ問いかけてきた。


「なに、というかなんと言うか……」


 フィーリアの問いかけになんと答えたものか迷っていると、ようやく決心がついたのか、親父は無言のまま俺を追い越して前へと進んでいった。

 そして、フィーリアが振り返ったことで一緒に足を止めて振り返っていた母さんの元へと向かい、その場で跪いた。


「王妃さ——」


 王妃様。そう言いかけたところで親父は言葉を止め、僅かな逡巡の後に再び口を開いた。


「——リエータ様。遅れてしまいましたが、あなたを迎えに来ました」


 これまで聞いたどんな言葉よりも真剣な親父の言葉。

 母さんはそんな言葉を聞くと、徐々に目を丸く見開いていき、ついには破顔した。


「はい。これから、よろしくお願いいたします」


 これ以上は見ている必要はないだろう。それどころか、ここにいるのは邪魔になるだろうと、隣にいたフィーリアに目配せすると、フィーリアはそれに頷き、周りの侍従達も最低限を残してそっとその場を離れていった。


 ああ——これで、ようやくこっちも心から祝うことができるよ。




「それではお母さま。……お元気で」


 その二日後。様々な手続きや準備を終え、俺たちはついにカラカスへと戻る日となった。


「ええ。フィーリアちゃんも元気でね。いつでも会いにきてくれていいし、私からも会いに来るわ」


 盛大な見送りはない上に、朝早くということで、まるで逃げるかのように感じられるが、それでもフィーリアとルキウスと母さんと関係があった侍従達が見送りに来てくれた


「それじゃあ行こうか、母さん」

「そうね」


 そうして、俺達はこちらにきた時よりも一人多く馬車に乗せて、カラカスへと戻っていた。

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