第392話姉王女:進軍の狙い
「どこかに留まるつもりは?」
「ないようです。少なくとも、現在はどこかを襲った後にその場に留まったという報せは受けておりません」
「そう。なら引き続き監視をなさい。どこかに留まりそうになったら、犠牲を払ってでも追い立てて東に向かわせなさい」
魔王は逃げたと言っても、ここから少しだけ移動して止まる可能性もあった。けれど、それでは困るのよ。魔王にはもっと東……どうせなら聖国のあたりにまで行ってくれればありがたいわね。少なくともまだ止まってもらうわけにはいかないのだから、犠牲を払ってでも攻撃を仕掛け、追い立てて移動してもらわないとならない。
まあ、犠牲と言っても私が怪我をするわけでもなければ私の配下が死ぬわけでもないのだし、構わないでしょう。所詮は使い捨てのこまが消えるだけ。その程度ならいくらでも補充できるのだから、むしろ有効に使ってあげるのがその者達のためというものでしょう。私の糧になったあの奴隷達のように。
「勇者たちはどうしてるのかしら?」
でも、ここで少し問題になるのは勇者とその仲間。アレらには魔王を倒してもらっては困ることになる。けれど思い通りに動かすことができたのであればとてつもない戦力になる。
そう思っていたのだけれど、流石に御伽噺に出てくるような存在なだけあって、勇者というのは私の扇動者のスキルを弾いてしまう。……他所から来た外様のくせに忌々しいことこの上ない。
しかしながら、勇者は操ることはできなかったけれど、その仲間は別。それなりに高位階の強者を揃えたのでしょう。その仲間たちにも私のスキルは多少……ええ。多少は効きづらかったし完全に操ることができなかったけれど、その意識を誘導する程度のことならば問題なくできた。
だから、下手に魔王を倒してしまわないように誘導したし、今回だって勇者に疑われないようにしながらも魔王を東へと逃がさせた。きっと、本人たちも操られていることに気がついていないでしょうね。違和感すら持たないでしょう。何せ、私のやったことは洗脳ではないのだから。
私のやったことは、普段の思考にちょっとした誘導をかけ、本人が思ってもおかしくないことでありながら私にとって都合の良い方向へと思考をねじ曲げただけ。
強制的に相手の頭の中を染め上げたのではなく、あくまでも相手がそう考えてもおかしくない方向に進ませただけだから、誰も疑わない。だってある意味では本人の考えそのものなのだから。
さっきは完全に操ることができなかったと言ったけれど、むしろ、完全に操れなかった方が私にとっては都合が良いのかもしれないとすら思っている。
「魔王を逃した責任を問うために現在は連合の議会で話し合いに参加しています。勇者本人はすぐにでも魔王の追撃に向かいたいと言っているようですが、国家間の問題を出されれば強引には動けないようです。あと数日……最低でも一週間程度は確実に足止めができるでしょう」
「そう。ならいいわ。あまり早くに向かわれても困るものね」
勇者にはそのうち魔王討伐に向かってもらわなければならないけれど、それは早すぎても困るの。
私に都合がいいタイミングで、私に都合のいいように出発してもらわなければ。そうでなくては私の計画がズレてしまうわ。
あの勇者は政治に無関係の平民として暮らしてきたようで、国家間の問題が、と話を持ち出せば大人しくなることが多々あった。
力を与えられただけの凡人。それが私がアレに抱いた感想。
であるのならば、いくら魔王を倒しうる力を持っている強者であり私の力が及ばない存在であったとしても、どうとでもやりようはあった。仲間のことを信頼している、という点も私にとっては都合が良かった。何せその『信頼している仲間』というのはすでに私の思いどりに動かすことのできる駒でしかなかったのだから。
「こちらの準備はどうなっているのかしら?」
「はっ。そちらにつきましては八割方終わっております。勇者よりも先に出てしまうと疑念の声が出てくるでしょうから、予定通り勇者と同時に出立するのがよろしいかと」
本当ならば、できる限り勇者をこの地に足止めしておきたい。けれど流石に私の軍が移動を始めたにも関わらず勇者をこの地にとどめておくというのは不可能なことだった。
なので、あまりやりたくはなかったけれど次善の策として私たちの軍とともに移動させるべきでしょうね。
「そうね。でも、ずっと一緒にいることはできないわよ? あんなのがそばにいたらきっと邪魔をしてくるでしょうから。ザヴィートの国境を超えた後には魔王のところへ放つわ」
私たちの目標は魔王なんかではない。そんなのは放っておけばあの力だけの愚者が倒すでしょう。そうでなくても聖国が何か手を打つに決まっている。
だから私の目的はそんなことではなく、別のところにある。そして、その目的とは軍を率いてザヴィートの国境を越えること。
そうして、カラカスを攻め落とすこと。それこそが今回の私の目的。
あの街……現在は国を名乗っているあの場所は、比較的近場にある聖国とその北にあるバストークにとって煩わしいもの。立地的にも、その思想的にも。
そんな場所を潰したいけれど、王国の国内にあるために派手に手を出すことができずにいる。
加えて、あの街には第十位階の強者が複数存在していることも把握している。
流石に国を名乗るだけあって、戦力としてはそれなりのものになっているようね。
そんな場所だからか、王国はあの場所を攻めるのではなく、手を結ぶことで自分達に牙が向かないようにしたのだという。
これは前国王であるお父様であれば選ばないような選択だけれど、そのお父様は少し前の反乱で亡くなった。
その後釜として兄であり第一王子のルキウスが王となり、結果としてカラカスとは大々的にではないけれど、手を結ぶことにしたらしい。
できることならば弟である第二王子のマーカスに王になってもらいたかった。そうすれば色々と力を借りて私の勢力を大きくすることも容易くなったでしょうから。
最終的には私が王国を手に入れるため、追い落とすことにはなるけれど、兄弟のよしみでそれなりの地位は与えてもいいと思った。
けれど、それももう意味のない考え。
「まったく。死ぬだなんて、馬鹿な弟ね」
それなりに親交があった弟が死んだだけに、僅かながら残念だと思う気持ちが出てきた。
けれどそれも一瞬のことで、すぐにマーカスのことは頭から消す。
それよりも、問題はルキウスが王になるにあたって、あの愚妹の協力があったと言うこと。
加えて、あの忌々しい大会の際に愚妹に協力したエルフの姫も手を貸したのだという。
そのせいで、王都内でエルフの奴隷を持っていた者達は襲われ、そのなかには私の駒も混ざっていたためにこちらまで被害を受けた。
今は王都だけではなく、王国内の奴隷となっているエルフ達全てを解放するためにルキウスが動いているとのことだから、また私の駒の一部が削られることになるでしょうね。まったく……本当に忌々しいことばかりね。
その他には、カラカスの勢力として何人もの傭兵が手を貸していたらしく、その中には『黒剣』と呼ばれる第十位階もいたという。
加えて、不確かなものではあるけれど、カラカスの傭兵の一人が王家の血を引いている、なんて情報もあった。
それが真実かはわからないけれど、可能性はない話ではないと思っているわ。
だって、そうでもなければ〝あのカラカス〟と王国が、こうも簡単に手を結ぶ道を選べるわけがないもの。
カラカスに攻め込んで惨敗したという話も聞いているから、戦力を見せつけられたために怖気付いた可能性もある。
けれど、それでも手を結ぶのはやりすぎだと言えるわ。精々が不戦協定程度でしょう。
それに、その王家の血を引いている者に、当てがある。
それはあの愚妹の兄。
マーカスの前に生まれ、本来であれば第二王子として扱われるはずだった者がいた。
それは死産したのだと聞いていたけれど、ロナに改めて調べさせたら、どうにも不審な点があるのだという。その不審な点というのが、実際には死んでいないからだとしたら?
死んでいないのならばどうしたのかと言われると、明確な答えは出せない。
けれど、予想はできる。おそらくは、第二王子となる者は拐われたのでしょう。王族だけではなく貴族たちも、赤子が生まれてからひと月は、何かしらの出来事で赤子が死ぬ可能性を考慮してその発表をしない。
そのため、その未発表の間に拐われ、見つからなかったのであれば、死産として発表されるのもおかしなことではない。
そしてもし本当に攫われたのだとしたら、王族を攫うような犯罪者が逃げ込む先として、カラカスは妥当なところ。それ故に、カラカスに王族の血を引く者がいてもおかしくはない。
あの愚妹の兄。
それが本当なら、当然ながらあの愚妹はその存在を知っているでしょうし、それなりに親交もあることでしょう。
そして、その繋がりを使ってあの愚妹は力を得る。
ああ、なんて忌々しい。
けれど、もしそんな兄が死んだら?
カラカスが潰れただけではなく、自身の実の兄が死んだとなったら……その首をあいつの前に出したとなったら、あの女はどう思うかしら?
実の兄といえど、会ったばかりなのだからそれほど親しくはないかもしれない。
けれど、もしそれなりに親交があり、兄として扱っていたのであれば、そんな者の死体を見せつけられたらきっといい表情を見せてくれることでしょう。
それに、あの娘の事となると常識外のことをしでかす気狂いの母親は、死んだはずの子供が生きていたと知ったらどう思うかしら? そしてその生きていたはずの子供が殺されたとなったら、どうなるかしら?
気狂いがさらに狂うかもしれない。そうなれば、あの愚妹も困ったことになるでしょうね。
それを想像するだけで、今回の事には意味がある。
故に、今回の目的はカラカスを攻め落とすこと。加えて、そこにいるかもしれない元王族を見つけ出すこと。
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