第289話神兵・王太子:なぜこんなことに……
・神兵
「な、にがっ……」
人の体から植物が生えている。背後での出来事は、簡単に言ってしまえばそれだけだ。それだけのことではあるのだが……とてもではないが、『それだけ』などと決していうことはできない。
腹や背中から植物を生やしながらも呻き声や悲鳴をあげてのたうち回る者がいる。助けを求めて体を揺らして歩き回る者もいる。中にはもう死んでしまったのか動かない者も。
だが、その全員の共通点として、多い少ないはあれど全員が体からなんらかの植物を生やしていた。
人から植物が生えるなどありえない。だがそんなありえないことが目の前で起きている。
なんだこれは、何が起きているというのだっ!
目の前の光景を目にした私は、見えない何かで精神をガリガリと削られていくような、不気味な恐ろしさを感じていた。悪い夢なのではないか。幻を見せられているのではないか、そう思ってしまった。
「っ!」
そういえば先ほど私も種による攻撃を受けていなかったか。そう思って見下ろしてみると、拳大の種からは、殻を破り小さく芽が出ていた。
その種から出ていた芽は徐々に大きくなっていき、それと同時に足の中身を何かが這いずり回って掻き回すような、とてつもない不快感と痛みが発生した。
そして足からだけではなく、どう言うわけかまともに攻撃を通していないはずの腹部からも同じような不快感と痛みを感じた。いったい、何が起こっているというんだ!?
「ぐう、っ〜〜〜!」
私のはどういうわけか他の者たちよりも植物の成長が遅いが、このまま放っておけばいずれは他の者たちのように全身を植物に覆われて……
そう考え、そうなってしまった自分の姿を想像した瞬間、私はいてもたってもいられなくなった。
何かしたい。何かしなくては。何かをして、どうにかしてこれを止めなくては。その思いだけが私の心を支配する。
先ほど見かけた城壁の上に立っていた者がやったのだろうと無意識のうちに理解し、止めるためには術者を殺せばいいと考えた私はすぐに振り返りその人物を探し——見つけた。
「《闘神化》!」
奴を倒せばこの惨状も終わる。そう思って私は自分の体から生える植物を無理やり引きちぎり投げ捨ててから、接近するために第十位階で覚える武芸者が覚える三つ目の身体強化スキルを発動した。
もう加減など抜きで最大まで強化した。あとは踏み出せば一歩で壁際まで辿り着くことができるだろう。
だが、その一歩を踏み出す前に、強化した体は小さく呟かれただけのその声をはっきり拾った。
「《収穫》」
その言葉が呟かれ、いつの間にか手に持っていた鎌が振られた次の瞬間、背後から聞こえていた叫び声が止まった。
思わず振り返った私だが……その視界は赤く染まった。私が何かをされたわけではない。私ではなく、私以外の全てだ。後方に控えていた兵達の体から赤い液体——血が噴水の如く吹き上がったのだ。それが空を、世界を赤く染め上げていた。
そして、ここは戦場であるにもかかわらず、今は戦争中で、後ろには何万という数の兵達がいるにもかかわらず、シンとなんの音も聞こえなくなった。聞こえるのは不愉快な水音と、風に揺れる植物の擦れる音だけ。遠くからは何やら聞こえてくるが、それも微かに呻くものだけ。とても数万の人間が発した音だとは思えないほど小さなものだった。
「《焼却》」
そんな静まり返った空間の中にあって、強化したままの体は聞きたくない声を拾う。
次の瞬間にはそれまでとは違う赤が視界を埋め尽くす。それまでとは違う赤——炎だ。
「なんだこれは……。なんだこれはっ! なぜこんなことになっているんだ!」
——◆◇◆◇——
・王太子
「——さて、どうなることやら。できることならば、このまま何事もなく終わってくれるといいんだが……」
そう思うが、今回はそう簡単にはいかないだろう。もしこれで簡単に終わるようなら、王国はこんなことになる前にカラカスを落としているだろうから。
だが、まあいい。戦いはもう僕がどうすることもできないんだから、あとは彼らを信じて待っていよう。
とはいえ、ただ待っているだけというのもね……。
「僕は僕でやることをやっておかなければね」
そう自分に言い聞かせるように呟くと、僕は意識を切り替えて主だった者達を呼び集めた。
「先程の盃、その中身だが、どこの村から用意されたものかわかる者はいるか? それから、盃を用意した兵たちはどこの部署だ?」
さっきは兵達の前で騒ぐのはまずいと判断して特に何も言わなかったが、今ならばいいだろうと呼ぶことにしたのだ。
「えっ、えっと……何か問題がありましたでしょうか?」
集めた者たちの中から、糧食を扱う部隊の者が僕の問いかけに答えたが、その様子は怯えたものだ。
それは当然といえば当然のことで、王子であり今回の軍の総大将からこんなことを言われれば誰だって不安になるものだ。
「僕に確認を求めなかったことはいいとしよう。その程度は自分たちで判断してもらわなければ軍の管理などしきれないからね。そのためにいくつも部署を分けてそれぞれに指揮官を置いているんだから。
だから言いたいことというのはそこではなく、準備の手際の良さについてだ。
手際が良いことに問題はないのだが、それは普段の状況であれば、だ。
あの盃を持ってきた兵は僕がエリオットと話していたから許可を求めなかったと言っていたが、それだと少しおかしい。
僕がエリオットと話していたのはほんの数分程度だ。にもかかわらず、話を終えてテントを出たらすでに兵達のほとんどに振舞われていた。これは少し早すぎる気がする。
ちょうど準備を始めた段階で僕がエリオットと話し始めたからその準備の様子に気づけなかった、という可能性もないわけではないが、多分ない。何せ、僕に確認を取ろうとしていたが話していたから勝手に用意した、と言っていた。それが本当ならば、『僕たちが話をしていたのを確認してから準備を始めて皆に配った』となる。
しかしだ。それではとてもではないが数分では足りないはずだ。
あらかじめ用意していた。その後に僕の様子を確認した。それから配った。この順番でないと僕が知らない間に兵達に配るのは間に合わなかっただろう。
しかし、そうなるとなぜそんなことをしたのかがわからない。そんなわからないような普通ではないことをしたには、何かしらの意図があると考えてしかるべきだ。
もしかしたら、あれは敵が仕掛けたものの可能性がある。あるいは父上や宰相など、僕に対して何かしらの隠し事をしている者達が仕掛けたものかもしれない。
とはいえ、あんな果物程度で一対どんな策があるんだ、と言われると、それもわからない。毒の類は隠れて《浄化》の魔法具を使ったし、それでも消しきれない何かが残っていることを考慮して飲み干さずに沈澱していたものは残したから問題はないだろう。
だが毒など警戒することは分かっているだろうし、やはり何をしたかったのかわからず、その答えを出すための一助となればと兵を呼ぶことにしたのだ。
——だが、そんなことを確認する余裕など無くなった。
『……あー、あー。初めまして』
突如として敵からの声が聞こえてきたのだ。
声の質としては僕よりも年下だろう。成人はしているだろうが、それでもまだ成人したてという感じがする。
その声を聞いている間にもエリオット達は止まることなく進んでいるようだが、それでも敵は慌てた様子がない。
どうしてだ? あれだけ近づかれたら嫌でも声に焦りが乗るはずだが……。それとも、どうにかできる自信があるのか?
『なら、ちょっと本気でやらせてもらうぞ』
前へと進んでいくエリオット他三名の八天に対して、声の主は地面を浮かばせるという手段を用いて攻撃をした。
それによって進んでいたエリオットとバルバドスの二人は宙へと持ち上げられてしまった。
「ほほう。あれは土魔法か? なるほどなるほど。ふむ、想定通り、敵方にもなかなかの力の持ち主がいるようじゃの」
「アスバル。……あなたならあれをもう一度やられたとして、抑えることはできるか?」
「できるできぬでいえば、できるかの。ただし、そのためには常に警戒しておらねばならんので、あまり気のりはせんのぉ」
「……なら、追加で報酬はだそう。我らの陣を攻撃してくるようなことがあれば、それを打ち消してほしい」
あの二人ならばあの高さから問題なく降りることもできるだろうから対処する必要もないだろう。
それよりもこちらだ。あれだけの攻撃をこの陣に直接やられてしまえば、その被害はかなりのものになる。
「ふむ。まあ良いぞ。わしとしても、自陣が好き勝手にいじられるというのは、腹にすえかねるものがあるでな」
そうして承諾を取り付けたところでアスバルは離れていき、その後はさらに敵の動きがあった。敵は何かわからないが別の攻撃を放ったようだ。
なんらかの攻撃……あの街壁から移動し続けている四人に対しての攻撃をするというのは、なかなかに難しい。移動し続けているものを狙うという技量もだが、そもそもその距離を届かせるにはどんな天職であれかなりの位階が必要になる。
とはいえ、その相手は『八天』と呼ばれる我が国最高の戦力たちだ。
遠目からだとよく見えないが、それでもなんとなくは見える。エリオットは身体強化を使ったのだろう。正面から耐えたようで足を止めている。
バルバドスは走り続けているところを見るに、敵の攻撃を避けたのだろう。
アドリアナは……水で防いだのか? 彼女の正面にはここからでもよく見えるほどに分厚い水の壁が形成されている。
残るランシエだが……彼女はわからない。そもそもどこにいるのか姿が見えない。多分敵の攻撃も当たっていないだろうと思う。
だが、そうして戦いが進んでいくと……
『——俺のプレゼント、存分に楽しんでくれ』
そんな言葉と同時に周囲から悲鳴……いや絶叫が響き出した。
「ぎゃああああああああっ!?」
「なっ!?」
そんな叫びに驚いて周囲を見回してみれば、周囲にいた兵士たちの体から何か触手のようなものが体に巻きついて……いや、体を突き破って出現していた。なんだこれはっ!
「な、何がっ! 何が起きている!」
何が起きているのかと改めて辺りを見回してみるが、どこもかしこも同じような光景が生まれていた。
「で、でん——ガアアアアアッ!?」
比較的体から生えている植物の量が少なかった兵の一人が、僕に向かって手を伸ばしながらふらふらと近寄ってきたが、その途中で血を吐き出しながら絶叫した。
そして、その体から生えていた植物は更なる生長を見せ、その兵士の全身を貫き、締め上げる。
「ひっ!?」
自身の配下であり自軍の兵士に対して発するには我ながら情けない声を出してしまったと思うが、これは仕方ないだろう。
どうすればいいか、何が起きているのか、なんてことを必死になって考えていくが、うまく頭が働かない。
考えても考えても、どうしても目の前の惨状に思考が向かってしまう。
だが、ことはそれだけでは終わりではなかった。
それだけ、というにはあまりにもひどい地獄のような惨状ではあったが。
僕が混乱している間にも状況は動き、敵の攻撃が加えられた。……多分、攻撃だったのだろ。
それまで痛みや苦しみ、後は自身の体から植物が生えだすという状況に狂って様々なものが声を上げていたが、その声が一斉に止まった。
どうしてそんなことになったのか分からない僕の目の前で、突然体から植物を生やしていた者たちの首が落ちた。そんなことになったから、兵達の声が止まったのだ。
当たり前の話だ。首を切られれば死ぬのだから、声が出せるはずもない。
だが、その首はただ落ちるのではなく、落ちた後に宙に浮かび上がり、それと同時に首を失った兵達の体から噴水が如く赤い液体が……血が吹き出し、空を、大地を、赤く染めた。
血が吹き出す中、切り離された首は少しの間宙を舞ったかと思うと、ボトボトと突然力を失ったかのように落下した。
そんな光景を見たくないからか、僕はその場にへたり込み、自身の体を見下ろす。
だがそこにあるのは、まるで大怪我をしたかのように真っ赤に染まった僕自身の体があった。
そんな自分の状態を見て、初めて僕は僕が全身を血で濡らしているんだと気がついた。
降り注ぐ血の雨を見れば当然のことなのだが、全てが赤いこの状況ではそんなことを意識している余裕なんてなかったのだ。
だが、自身の状態を理解し、周囲の赤いもの全てが人の血だと理解すれば、途端に不快感が迫り上がってきた。
「……っ!」
腹の底から溢れようとする吐き気を抑え切ることができずに、自分の体を汚しながら吐き出してしまった。
だが……だが、それでもまだこの地獄は終わらなかった。これだけのことをしておいて、まだ終わりではないのだと言うかのように更なる『赤』——炎が追加された。
最初は遠目でうっすらと何かが揺らめいた事しか分からなかったが、これ以上何が起こるんだと恐怖していた僕はその揺らめきに意識を向けた。むしろ、それ以外には向けなかった。倒れている兵達の姿も、落ちている首も、未だ止まらない水音も、全てを無視してただそれだけに意識を向けるつもりで揺らめいた何かに視線を向けた。
そして、視線を向けた先にあったのは、地面を這うように燃えている炎だった。
それはカラカスと僕たちのしいた陣地の間を埋め尽くすように発生しており、さらには僕たちの陣地を囲むように発生していた。
それは全てを焼き尽くすような炎ではなく、炙るような弱いものであった。だが、むしろそれが逆に恐ろしい。まるで、僕達をなぶり殺すかのような、弄んでいるかのような気がしてならなかったから。
「う、うわあああああああ!!」
しかし、そんな最初は弱かった炎だが、徐々にその火力は上がっていき最終的にはそれこそ焼き尽くすかのようなものへと変わっていった。
そんな状態になれば混乱していた生き残りの兵士たちも炎に気がついたようで、先ほどまでの叫びとは少し別種の叫びを上げて再び当たりが騒がしくなった。
そのこと……兵がまだ生きていることに、自分だけが残っているわけではないことにわずかながら安堵を覚えて口元を緩めてしまうが、こんな状況で笑ってしまうなんて、僕はどこかおかしくなってしまっているのかもしれない。
そして大地は赤い水溜まりが彩り、炎が空を染め上げ——世界が血と炎。二つの『赤』で染まった。
『なぜこんなことになっているんだっ!』
エリオットの叫びがここまで聞こえてくるが……本当に、なんでこんなことになっているのだろうか?
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