第178話伯父
そろそろ街が近いということでフィーリアは自身の馬車へと戻っていったのだが、その去り方はきた時と同じように走行している馬車から生身で飛び降りて前を進む自身の馬車に並走し、ドアを開けて戻っていくという何とも言えない光景を見ることになった。お前王女様だろうに、それでいいのか……。
「停止願います」
街を囲っている壁がすぐ近くに見えたところで、俺たちの載っていた馬車は止められることになった。いや、俺だけではない。列をなしている全ての馬車が街への入り口に立っている警備兵に止められた。
俺たちの乗っている馬車は列の先頭から少し離れた場所なのだが、それでも停止を促したその声が聞こえてきたので、ひょいっと少しだけ体を乗り出して奥の方に見える景色を視界に収めた。
だが、俺たちは止められたものの、門番をしている兵士たちから武器を向けられることはない。表情や態度は硬いものの、雰囲気にも言葉にも敵意はない。それはこの馬車の主が誰だかわかっているからだろう。
「先ぶれは来ているかと存じますが、我々はフィーリア・アルドノフ・ザヴィート第三王女殿下の一行です。こちらを」
「はっ。確かに確認いたしました。どうぞお通りください!」
確認したとは言ったが、ほとんどフリー状態だった。
兵士はなんらかの道具? を受け取ると一瞬視線を落としただけですぐにそれを返して道を開け、道の脇で敬礼をし始めた。
やっぱり、こう言う光景を見るとさすがは王女一行って感じがする。
「王女ってすごいんだな」
「ヴェスナー様も望めばなれますし、カラカスでも同じような扱いではありませんでしたか?」
「あそこは特殊だろ。でも、やっぱ本格的に色々と考えないとだよな……」
そう言って俺は空を仰ぐが、今後について考えるなんてむしろ遅すぎたくらいだ。
だが、正直なところどうするかなんて全く決まっていない。考えようとしたことはあるのだが、その度に母親の存在が頭をよぎるんだ。
「会って、心の赴くままになさればよろしいかと思いますよ。その結果何が起ころうと、どうなろうと、誰もあなたを責めたりはしませんから」
ソフィアのそんな言葉を受けて、俺は幾分か軽くなった心で息を吐き出し、改めて母のいるであろう領主の城へと視線を向けた。
街の中に入ってしばらく進むと、街の中にさらに壁があり、そこはそれまでにあった建物よりもしっかりとした派手な家が多かった。ここがいわゆる貴族街だろう。
そして更に進んでいると領主一族の住む城が徐々に近づいてきて、今ではその建物は見上げるほどの大きさになっている。
でかい。そう感じた俺だが、それはただ単に建物の大きさや造りの美しさに気圧されたわけではないだろう。これからのことにまだ覚悟が決まっていないからだ。だからこそ足が重く、ただの建物に気圧されるほど変な感覚に陥っているんだ。
だが、俺がいくら迷っていたところで時間が止まるはずがない、状況は進んでいく。
王女一行の馬車の列だが、何もその全てが城の前にまで進んでいくわけではない。中には搬入口から入れるようなものもあるだろうし、使用人たちだって表の玄関からは入らないものだ。
正面にある玄関から入ることがあるとしたら、それはここの家人かその付き人、もしくは客人だけ。つまり、現状で正面の玄関を使うことになるのはフィーリアとその従者、それから俺たちだけなのだ。
そんなわけで、俺たちの進んでいた馬車は前を進んでいたフィーリアの馬車とともに城の目の前に停車したのだが、玄関前にはすでに誰かが立っていた。出迎えのための使用人かとも思ったがそうではない様子だ。
誰だ、と思ったが、その男性の横にドレスで着飾った女性と少年がいることからおおよその予想はつく。
そんなふうに考えているとフィーリアが馬車を降り、待っていた人物の元へと進んでいく。
それを見ていると今度はソフィアによって俺たちの馬車のドアが開けられ、一瞬だけ迷ったものの俺は馬車を降りていく。
「お久しぶりですね、王女殿下。此度は遠いところをようこそお越しくださいました。ご存知かもしれませんが少々慌ただしくしておりますのでご不便をおかけするかもしれませんが、どうぞごゆっくりしてください」
隣に立っている女性や子供を見てわかっていたが、その挨拶からして、この男性はおそらくこの地の領主なのだろう。つまりはフィーリアの伯父で、俺の血縁上の伯父でもあるわけだ。確か名前は……マールト、だったか?
「歓迎、ありがたく思います。ですが、そのような話し方ではなくいつものように軽いもので構いませんよ」
「ありがとうございます。それでは失礼をして——おかえり、フィーリア」
「ただいま戻りました、伯父様」
伯父と姪。そんな二人のやりとりを眺めながら、俺はそこにいてもいいはずの人物を探す。
俺のことは知らなくとも、娘がやってきたんだから姿を見せてもいいはずだ。だというのに、フィーリアの母親の姿はどこにも見えない。
わざわざ領主一族が出迎えたんだ。婚姻によってすでに外部の者になったとはいえ、普通なら王女でもある娘の出迎えくらいはするだろう。
そんな疑問を感じたのだが、領主である伯父の言葉によって俺の疑問は解けた。
「あいにくとリエータは伝令が来る前に出てしまい、少し城を空けているんだ。すまないね」
「お母様が……。どこかへ行かれたのですか?」
フィーリアはチラリとこちらのことを見たが、それは一瞬だけですぐに正面に顔を戻した。
俺の思いを知ってるだけに、すぐに会えなかったことで何か思うところがあるんだろう。
だが、俺としては母のいないこの状況を少しばかり安心している。情けない限りだけどな。
「補給に関することで話したいことがあるのだと祖父の元へね。まあ国境までは馬車で行ったとしても三日程度もあれば余裕を持って着くことができるし、滞在に数日かけたとしても二週間もすれば戻ってくるはずだ。それまではいるんだろう?」
「ええ。今回は少し長めの滞在になります。お姉様は私の顔など見たくもないでしょうから」
「そうか。色々あったようだが、おめでとう」
「ありがとうございます」
「アウグストもそちらの状況を心配していたみたいだし、話すといい」
「……はい。そうさせていただきます」
アウグスト、というのはあそこにいるマールトの息子らしき少年のことだろう。
フィーリアは一瞬だけ迷った様子を見せたものの頷き、それから俺へと振り返った。
「伯父様に紹介したい方がいます」
「……そうかい。だがひとまずは中に入ろうか。王女を外で立たせ続けるというわけにもいかないだろう?」
フィーリアとしては出鼻を挫かれた感じになるだろうが、いっている事はもっともだし、何よこれからするであろう話を外なんかでするものではないのでその提案には賛成だ。
俺たちは先を進むフィーリアたちの後に続いて城の中へと入っていき、城の中に入っていくとマールトの妻と子供はどこぞへと消えていった。
そうしてマールトの後に続いてフィーリアと俺、それからほとんど空気になっているリリアとレーネが続き、その後をソフィアが進んでいく。
たどり着いたのは一つの部屋。多分客間というか応接室の一つだろうが、さすがは大貴族と言えるような絢爛な作りをしている。
部屋の中に入った俺たちは、流石に今のまともに自己紹介も歓迎もされていない状態で王女と同席するのはダメだろ、とどうするか悩んだのだが、マールトに席を勧められたことでフィーリアの隣に座ることになった。
ちなみに、席を勧められて真っ先に座ろうとしたリリアだが、即座にソフィアに捕まって俺の後に座らされていた。
レーネは領主の前だからだろう。ようやく王女相手にも慣れてきたというのに、緊張したがために置物のように固くなっている。
ソフィアは普段通りと言うべきか。俺の後ろ、少し離れた位置に立って控えているが、その格好のせいだろう。座らなかったソフィアに対してマールトは何も言わない。
「それで紹介したいとのことだけど、友人かな?」
全員が位置についたことで部屋にいた使用人達が飲み物を出し、それが終わると再び離れて控える。
そうしてからようやくマールトは口を開いてそう問いかけてきた。
「いえ、この方は……」
フィーリアが俺のことを紹介しようとしたところで、マールトが手を出して止める。
普通ならそんなことはしない。だが、王女からの紹介を止めてまで俺みたいな正体不明のやつに名乗らせるってことは、もう俺のことなんてわかっているんだろう。
そして、その上で俺に自分で名乗らせたいんだろう。
「君は、何者かな?」
そうしてマールトは改めて俺に向き合うと、そう問いかけてきた。
その顔は一見しただけでは人受けのいい笑みだが、その笑みの奥にある瞳の輝きは鋭く、偽りなど許さないと言わんばかりだった。
「初めまして、お初にお目にかかります。ヴェスナーと申します」
俺がそう名乗った瞬間、目の間にいるマールトは悲しげな表情をしたと思ったが、それがどうしてそんな顔になったのかわからなかった。
だが、そのことについて俺が何かを考える前に、マールトはすぐにその表情を戻して問いかけてきた。
「……それは、本名かな?」
「はい。天職は『農家』で、現在十四の若輩者ですが、お見知り置きくだされば幸いです」
わざわざ本名か、何て尋ねるってことは、やっぱりある程度の予想はついていたのだろう。
だから俺は、普段は隠している天職をあえて教えることで正体を告げる。
俺がそう伝えると、マールトは目を閉じて大きく息を吐き出し、僅かに時間をおいた後に再び問いかけてきた。
「そうか。では——母親の名は?」
「伯父様っ……!」
母親は俺のことを捨てたかったわけではないが、事実だけ見れば俺は両親に捨てられたのだ。そんな俺には現在母親と呼べるものがおらず、そんな俺に対して母親の名前を尋ねるというのは些か思いやりが足りないと言われてもおかしくないことだ。
だからこそフィーリアも普段になく声を荒げて制止しようとしたのだろう。
だが、それはマールトに睨まれたことで止まってしまった。
何か言いたそうにしているが、睨まれているせいで何も言えなくなったフィーリア。
しかし、それで構わない。庇ってくれるのはありがたいが、これは俺が真っ直ぐに見つめて向かい合わなければならないことなんだから。
だから……
「わかりません」
俺はそう口にした。
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