一時撤退

 ――クリムたちを危険と判断したらしいマザーは、これまで地下に潜ませていた大量の触手も総動員し、すっかり籠城の構えを取ってしまっていた。


 セツナが咄嗟の判断で符術を使用して作ってくれた土壁のバリケードにより、辛うじて触手の津波に飲み込まれることは回避したクリムたちは……このまま無謀に突っ込んでも勝機はないと判断し、後衛の街の男たち共々、相手の攻撃範囲外まで一時撤退していたのだった。





 撤退したクリムたちがセーフハウスとして退避したのは、元は商業ギルドの会館だったと思しき、メインストリートのど真ん中にあった一際大きな建物。


 さてどうしたものかと、皆の間には重い空気が漂う中で……しかし、クリムとスザクの二人には、あまり深刻そうな様子は見られなかった。


「ハルさん、後ろで見ていて、あのマザーに関して何が変に思ったことは無かったッスか?」

「あ、うん。なんか、自然回復力が異様に高いなーって。一回ガクッとHPのバーが削れたのに、すぐに全快しちゃったのよ」

「なるほど……魔王さま、これはやっぱり」

「うむ、やはりそのようじゃな」


 二人だけで納得したように頷き合うクリムとスザクに、話題を振られたハルをはじめとした皆が、訝しげな視線を向ける……が。


「皆、少し作戦を立て直そう。今のままではあのマザーには勝てん」

「あの、まおーさま。それってどういう……」

「安心せよ、エクリアス、約束はきちんと守る。たが、必要なものが出来たのじゃ」


 勝てないと断言されたことで、不安そうな目で見上げてくる少女を安心させるように、ポンと頭を撫でてやった後……クリムは目的の人物の腕を掴んで歩き出す。


「ジェード、すまんが作戦を話す前に尋ねたい事がある、ちょっと来てくれ」

「え、私? って、ちょっとー!?」


 有無を言わさずジェードの手を引き摺っていくクリムに、ジェードは困惑した様子で、慌ててついていくのだった。




 ◇


「……え? クリムちゃん、今どうしてそんなものが欲しいって話が出てくるの?」


 必要な『あるもの』を用立てたい……そう言って、欲しいもの、そして入手手段の詳細を告げたクリムの言葉に、ジェードは頭上に大量のハテナマークを浮かべていた。


「どうしても、必要なのじゃ。大量に用意するには一番の方法だと思うのじゃが、どうだ?」

「うーん……リアルだと色々複雑だけど、ゲーム内で作るなら、制作から何日か保管庫以外で放置してれば勝手に発酵されるかなぁ」

「ふむ、では製造に関しては、日数経過がトリガーなのじゃな?」

「うん。だけど、発酵用の機材があっても最低数日は掛かるし、通常はそれこそ数年単位の品質が保証されていて……って、数年? あ、そっか、なるほどねぇ」


 はっと何かに気付いた様子のジェードが、にまーっと意地の悪い笑みを浮かべる。


「なるほどねぇ、何に使うのかと思ったら、そういうことかぁ。確かにマザーの正体が『そう』なら、有効かもね」

「む、さすがじゃなジェード、気付いたか。ちなみに、本当に有効かどうかは……」

「大丈夫、私も何度か調合過程でやったけど、だいたい効果はあったわよ。たぶんリアルよりも効果は高いし、即効性もあるわね」


 必要だった情報に両方とも専門家からのお墨付きをもらい、クリムは小さくガッツポーズを取りながら……心配そうにこちらを見ていた皆に振り返って、声を張り上げる。


「街の者に聞きたい、この街で、大きな酒蔵はどこにある!?」


 突然のクリムの質問に、戸惑いの表情を見せる一同。エクリアスさえ、控えめに批難の眼差しを向けてくる。


「なあ、嬢ちゃん。祝杯にはちょっと早すぎねぇか?」

「バカ者、誰が飲むと言った、我そもそも未成年じゃぞ!」


 男たちを代表して、鬼教官と数人から呼ばれていたやや年嵩の男が、そう苦言を呈してくるが……もちろんクリムには、そんなつもりはない。


 訝しみながらも……それでも、答えてくれる者はいた。


「それなら、ちょっと戻った繁華街に……鉱山仕事を終えた野郎どもの溜まり場になっていたデカい大衆酒場があるから、あそこなら樽で数えきれないほどの麦酒や林檎酒があるはずだぜ?」

「……ほう!」

「っても、数年間放置されてた酒なんて駄目になってると思うんだけどなぁ」


 街の男からの情報に、満足げな笑みを浮かべるクリム。なるほど、ここまでおあつらえ向きな条件が揃っているとは、もはや笑うしか無いといった様子だった。


 思わずニヤニヤしながら、そそくさと話に上がった酒場に向かうクリムに、皆、首を傾げながらもついてくる。



 ……そうしてたどり着いた、酒場の裏手にあった蔵。


 そこには、エールや蜂蜜酒ミード林檎酒シードルなどをはじめとして、さまざまなラベルの貼られた大きな酒樽が、無数に並べられていた。

 しかし……やはりというか、数年単位で放置されていた蔵だけあり、保存状態はお察しという感じだった。


「うわ、臭ぇ!?」

「嬢ちゃん、こりゃダメだぜ、やっぱ全部酢になっちまってる!」

「いいや、これでいい。いやむしろ、これが良いのじゃ」


 樽の三つくらい開けても、中から漂ってくるのは鼻をつく酢の刺激臭のみ。

 だがしかし、その匂いに顔を顰める街の者たちと違い、クリムはそれを見てむしろ嬉しそうに頷いている。


「酢になった酒なんて、何に使うんだ?」

「それは勿論、敵を倒すためじゃな」

「どういうこった。ぶっ掛けて火をつけるなら酒の方が良いんじゃないか?」


 そう、首を傾げる街の男たち。

 一方で、クリムの奇行をいち早く理解したフレイが、ポンと柏手を打つ。


「酢……ああ、そういう事か!」

「え、フレイさん、何か分かったの?」

「ああ、分かったよ……なるほどな、こうも露骨に条件が満たされているというのは、きっとこれこそが正規の攻略手順って事なんだろうな」


 真っ先に気付いた様子のフレイが、隣で驚いて見上げてくるリコリスの頭を撫でてやりながら、そう得心がいった様子で頷いてみせる。


「え……お酢が、攻略に必須……お酢に弱いって、あ、そっか!?」


 フレイに続き、フレイヤもハッと何かに気付いたように、顔を上げた。


 そもそもが、クリムがこうしているの自体が、フレイヤ……聖が家で時々精を出している庭木の手入れ、その中でも特にのために、霧吹きに入れた酢と洗剤の混合液を使っていたのを、クリムは覚えていたからだ。


「なあ、そろそろ解説してやれよ」

「そうよ、ちょっと意地悪だと思うわよ?」

「うむ、まあ、焦らすのはこれくらいにしておこうかの」


 スザクとジェードが、苦笑しつつ苦言を呈してくる。

 その言葉に、ちょっとだけ意地悪をしていた自覚があるクリムは、コホンと一つ咳払いをすると人差し指を立てて解説を始めた。


「おそらく……地下のマナクリスタルから魔力供給がある限り、マザーはいくら斬っても死なん。まずは、養分を吸い上げている根を絶つか、あるいは何らかの要因で弱らせるとかせんとな」

「あの、お師匠。それって……」

「ああそうじゃ雛菊よ、我らは思い違いをしていたのだ。あやつは動物ではないし、あの目玉も本体などではない」


 さすがにここまで話せば、例外として洞窟の中で暮らしていたためにそもそも碌に植物を見た事のないエクリアスを除いて、皆も理解の色を顔に浮かべていた。


 あの時スザクが切り裂いたマザーの本体……だと思っていた目玉の中にチラッと見えた構造と、高い回復力。


 次々と、単体で新たな個体を生み出し、自爆や体の一部を飛ばすことも厭わないあの生態。


 なまじ見た目が生物っぽかったためすっかり勘違いしていたが……あの『クリスタルイーター』たちは。



「奴は――じゃ」



 そう告げながら、酒が古くなり発酵された酢で満たされた樽の一つを手の甲でコンコンと叩いたクリムの顔は……悪巧みが成功した少女のように、意地の悪い笑みを浮かべていたのだった。

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