開戦前

 ――暦もついに師走に入り、初めて迎えた日曜日。



 やはりというか試験期間に仕掛けられた領土戦の申請に対し、学生一同「試験中に余計な事は考えたくない」と一致したために、期末試験前日となった日曜日のこの日……ついにルアシェイア連王同盟国とシュヴェルトロート聖王国の領土戦が、もうじき開始されようとしていた。


 そんな、ピリピリとした緊張感に満ちる最前線、竜骨の砂漠とバルガン砦を結ぶ渓谷に設営されたルアシェイア側の前線基地、その東側にて――クリムは一人、眼前に居並ぶシュヴェルトロート聖王国所属プレイヤーの大群を、柵の上に座って上から眺めていた。




「おー……流石に三倍の兵力差は壮観じゃなあ。しかしまあ、やる気に満ち満ちた者と嫌そうな者がはっきりと分かれておるのぅ」


 呑気にそんなことを言っているが、動員できたプレイヤーの人数は、クリムたち連王国が150人、一方で向こう側の聖王国が450人と圧倒的に多い。


 しかしそんな事は特に気にした風のなさげなクリムの様子に、ゾロゾロと聖王国側から見物人が集まってきていた。


「あれが……」「生クリムちゃん……」「ちっちゃい……可愛い……」「あのプラプラしてる御御足ペロペロしたい……」などなどの騒めく声が敵陣から聞こえてくるが、それはそれ。


 すぐ眼下に居並ぶ者たちは、遠巻きに眺めている者らとは違う、決して好意的とは言い難い様子でクリムの腰掛けている柵を取り囲んでいる。

 思うに、彼らが第二サーバーからの移住者、そのリーダー格たちだろう。


「こんな場所で遊んでいて、テストのお勉強しなくていいのかな、お嬢ちゃん?」


 ニヤニヤと笑いながら意地悪くもそう揶揄してくる男の一人に、しかしクリムは何ら恥ずべき事はないと胸を張る。


「は、愚問じゃな。そもそも試験など、それまでの学習の成果を見るためのものでしか無かろう」


 脳内でなるべく殴りたくなるような生意気な笑顔をシミュレートして表情を歪め、体を逸らして男に見下すような視線を向け、その控えめな胸に手を当てて返答する。


「残念じゃが、我は普段から学業を怠ったことなどない故にな。直前になって慌てて試験勉強などせずとも問題などないわ……ああ、そうか、なるほどのぅ」


 そこまで言って、クリムはわざとらしく何かに気付いたように口に手を当てて、更ににまー、っと意地の悪い笑みを浮かべる。


「ま、そんな事もわからずに学生にとって大切な試験期間を狙ってくる恥知らずは、きっと学業を疎かにして遊び呆けて直前に慌てとったザぁコじゃろうし、分からないかもしれんがな。のう、ん?」


 そなたはどうじゃ、と話を振られ、先ほどの男がぐっと言葉に詰まる。

 残念ながら、クリムの言は至極真っ当な正論である。

 ここでムキになるとクリムの言葉を肯定する事になるため、男は顔を真っ赤にしながらも、遣り場のない怒りを抱えたまますごすごと引き下がっていった。


 なお、聖王国のみならず連王国の方でも結構な人数が……何か大きなダメージを受けたのか、胸を押さえてがっくりと俯いた者たがいたのは、見なかったことにする。


「で、じゃ。お主らの盟主は、来ては居らぬのか?」


 他の聖王国所属プレイヤーに、ずっと気になっていたそんなことを、何気なく尋ねるクリム。戦場には、聖王国盟主であるセオドライトらしき者の姿はどこにも見当たらない。


「わざわざ自分が出る必要ないってよ」

「ふむ……そうか、顔くらいは拝んでおきたかったが、残念じゃな」


 ――なるほど、担ぎ上げられた傀儡というのは、本当らしいの。


 スザクの言っていたことを思い出して、そんなことを内心で独り言ちる。

 この双方の人数差だ。おそらく自分たちだけでこの場を制し、それを理由に西側における自分たちの権限を主張する腹づもりもあるのだろう。


 ――ま、この戦力差では仕方ないが、甜められるのは実に面白くないな。


 むくむくと頭をもたげる意地悪い感情に、ふっとクリムが口の端を歪める。


「そうじゃなあ……これだけの戦力差を揃えてなお試験期間狙いなどというセコい手段まで取ったのじゃから、我なら恥ずかしくて恥ずかしくて、顔などしばらくは出せんからの」


 そう、顔を隠すジェスチャーを取りながら、嘲るように笑って曰うクリムに、周囲を囲む聖王国のプレイヤーたちから剣呑な気配が膨れ上がった。


 が、そんな皆を制し、指揮官の一人らしきエルフの青年が、まるで諌めるように口を開く。


「……戦力を揃える手腕とカリスマも、実力のうちでしょうに。そこで敗北している貴女が負け惜しみとは、実にみっともない話だとは思いませんか?」

「ほう、なかなか良いことを言う。たしかに、その通りじゃな!」


 意外にも、素直に男の言葉を認めるクリム。

 そんな様子に若干驚きつつも勝ち誇った顔をするエルフの男だったが……その顔は、すぐに引き攣る事になった。


「く、はは、よう言うた……ならばその長く出した舌、何が起きても今更引っ込めるでないぞ?」


 そう凄絶な笑みを浮かべ睨みつけるクリムに、周囲に居た者たちはまるで何かに弾かれたかのように後退り、各々が武器に手を伸ばす。



 ――まだ戦闘不可の待ち時間だというのに、殺気だけで強制的に戦闘態勢を



 その事実に愕然とする聖王国の者たちの様子に、クリムは一つ満足げに頷くと、柵の上から飛び降り踵を返して、悠々と自陣に戻るのだった。





 ◇


「……相変わらずお前、こういう場だと性格悪いね」


 自陣に戻ってきたクリムに、呆れたような声を掛けてくる者がいた。


「む、フレイ、お主に言われるのは心外じゃぞ。ほれ、お主も何か言って来るがいい」



 こういうのは我よりおまえの領分だろうが、と責めるような目で睨むクリムに、フレイは肩を竦め、首を横に振る。


「いや、やめとくよ。お前のだけで十分溜飲は下がったから、これ以上追い討ちしてまた晒しスレを賑わせるのは嫌だからね」


 やれやれとこれ見よがしな溜息をつくフレイに、お前本当に何を言う気じゃったのかと、半眼になって呆れるクリムなのだった。

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