杜乃宮学園芸能科

「いらっしゃい、ようこそ芸能科校舎へ!」

「お、おじゃまします……」


 出会い頭に軽くハグしながら歓迎してくれる桜に、紅はガチガチに恐縮しながら案内されるままついていく。


「大丈夫、今日居るのは私のクラスメイトだけだし、皆いい子だから」

「は、はぁ……」


 緊張している紅を安心させようと、そんな事を話してくる桜だったが……しかし紅にとってはこの校舎を歩いているだけで、否応無く緊張してくる。


 ……おそらく杜乃宮生でもあまり入ったことのある者は居ないであろう、そのほかと比べるとまだまだ新しい校舎。


 防音室など普通の学校とは違う設備がたくさんある中で、紅はビクビクしつつも興味深そうに周囲を見回しながら案内されたのは、いくつかあるというレッスン用の部屋の一つ。

 桜が言うには、今は司会を引き受けてくれた人のうち女子たちが、この時間に司会の練習のために使っているのだという。


「お待たせ! 可愛い助っ人を連れてきたわよ!」

「お、おじゃましま……」


 何やらハイテンションで入室する桜に続き、紅がおそるおそるその陰から頭を出した――その瞬間。


「きゃーん、可愛いー!!」

「ひゃわぁ!?」


 入り口の死角から飛び込んできた人影に後ろから捕縛され、紅が思わず変な声を上げる。


「わー、ほんとに噂の普通科のお姫様だー! やーん可愛いー、お肌ぷにぷにー!!」

「え、あ、あの……っ!?」


 後ろから抱きついているのは、茶色いふわふわした巻毛を肩あたりまで伸ばした、おっとり系の美人さん。

 ぎゅうぎゅうに抱きしめられているために、背中に当たる感触から聖に負けず劣らぬ立派なスタイルをしていることまで分かってしまい、紅は真っ赤になる。


 文句なしに美少女と言っていい先輩に、抱きしめられ、頬擦りされ、わしゃわしゃと頭を撫でられ、紅がパニックになって目を白黒させていると。


「やめなさい藍華、彼女困ってるわ」

「あだっ!? もー、痛いよクロちゃーん!?」


 スパーン、といい音をさせて、紅に抱きついている少女をハリセンでしばき倒した、クロちゃんと呼ばれたもう一人の彼女……ボーイッシュなショートヘアの、女の子に『王子様』と呼ばれていそうな格好良い雰囲気の女性が、藍華と呼ばれていた女性の腕の中からさっと紅を助け出してくれる。


「君、大丈夫だった?」

「あ、ありがとうございます……」

「そう、なら良かった。私は姫崎黒乃ひめざき くろの、こっちの君に抱きついてた子は園宮藍華そのみや らんか、よろしくね」

「は……はい……」


 握手を求められ、ガチガチに緊張しながらも紅はその手を握る。


 ……二人の名前は、紅にも少し聞き覚えがあった。確か、黒乃が俳優、藍華が声優、どちらも新人ながら実際に現場で活躍している人だったはずだ。


 ――とんでもないところに来てしまったのでは?


 そう、今更ながら思う紅なのだった。




 ◇


 ……練習開始から、十分後。


 桜と藍華が皆のドリンクを買いに行ってくれている中で、指導を買って出てくれた黒乃の元で、紅の練習は続いていた。


 続いていたのだが……


「俯かない、あなたが話しかけるべき観客の方をちゃんと見る」

「あ、はい!」


 真剣な目をした黒乃にピシャリと指摘され、ついつい目線が足元に落ちていた紅が慌てて前を向く。

 どうやら彼女はかなりスパルタらしい。声を荒げたりするわけでないため怖くはないが、ちょっとした問題でもすぐさまビシビシと指摘が入る。


「目をフラフラさせない。AR表示のカンペを見るのは構わないけど、目で追っていたらバレバレよ」

「わ、わかりました!」


「声は、観客席の一番後ろまで声を届けるつもりで。そのままでは力が足りなくて途中で消えるわよ」

「は……はい!」


「だからって、声を荒げるのは厳禁に決まっているでしょう、せっかく綺麗な声が出せる喉を痛めるわ。お腹を使って、もっと伸びやかに……」

「クロちゃん、ストップ、ストーップ!?」

「駄目だよー、その子カタギの協力者だよ!」

「え……あっ!?」


 飲み物を買ってきていた桜と藍華が、戻ってくるなり紅と黒乃の練習現場を見て慌てて止めに入った。

 すると……それまで鬼コーチといった様子だった黒乃はすぐにオロオロと慌て始める。


「ご、ごめんなさい、私、つい、いつもの調子で……!」

「だ、大丈夫です、私にとっても勉強にもなりますし……」


 真っ青になってペコペコと必死に頭を下げるその様子を見れば、彼女に悪気が無かったのは明白だ。

 ゆえに紅は気にしていないと、逆に申し訳なくなるほど恐縮している彼女を必死に宥める。


「クロちゃんは、頑張り屋さんだからねぇ」

「許してあげて、ちょっと自分にも人にも一生懸命すぎるだけなのよ」

「うぅ……悪い癖だっていうのは分かってるの……本当にごめんなさい……」


 すっかりしょげてしまった彼女に、紅が困っていると……藍華が、紅に耳打ちしてくる。


「あのねー、彼女ね、これでも可愛いもの大好きで、クリムちゃんの大ファンなのよ?」

「ちょ、藍華!?」

「あはは、いつも君らの配信を見ては、『私がこの場にいたら色々アドバイスしてあげられるのに……!』って悔しがってたもんねー」

「桜さんまで!?」


 次々と秘密を暴露され、みるみる耳まで真っ赤になっていく黒乃。


 ――あ、この先輩、可愛い人だ。


 そう、紅すらも生暖かい目で見ていると。


「も……もう知りません!」


 そう言って、彼女は自分のドリンクを掴むと離れていってしまう。

 すっかり顔を真っ赤に染め、涙目で歩いて行ってしまった彼女を見て……おろおろと心配する紅を他所に、桜と藍華は特に気にした風もなく苦笑していた。


 だが、彼女が真面目だというのは本当で……少し離れた壁紙に座り込むと、何か文字がびっしりと書き込まれた台本を手に、水分補給の合間にも真剣な目で文字を追っている。

 声には出さないものの口は動いており、セリフを口で覚え込ませているようだ。どうやらちょっとした合間も無駄にしない所存らしい。


 では、他の者たちはというと……やはり桜と藍華の二人とも、今は談笑しつつも何かしらのチェックは行っている。



 ――はー、凄いなあ。ここにいる人みんなプロの卵なんだよね……



 改めて、凄いところで貴重な体験をさせてもらっているのだと、実感していると。


「どう、満月さん、ついていけそう?」

「あ……はい、桜先輩。皆さん優しいですし、なんとか」

「うんうん、盗めそうなことがあったら存分に盗んでいきたまえよ、後輩クン」


 そう、うむうむと頷いている桜。

 実際、ここまで全て手探りで『クリム・ルアシェイア』をしてきた紅にとって、自分の立ち振る舞いについて即座に悪い箇所を指摘してもらえる今は、大変だが楽しくもある。


「あの、もしかして、桜先輩が私をここに誘ってくれたのって……」


 ふと思いついた事を口にしようとした時……桜はその紅の唇を人差し指で塞ぎ、軽くウィンクしながら語る。


「黒乃ちゃんは俳優志望だからね。『クリム・ルアシェイア』っていう演者として配信する上で、あの子はいい刺激になると思うよ」

「桜先輩……そこまで考えてくれて……」

「あはは、無理言って手伝いを頼んだからねー、せめて得るものがあったら私としては嬉しいかな?」


 そう笑っている桜に、紅は頭が下がる思いがした。



 ――そうだ……自分は今、『本物』の指導を受けているのだ。



 それは、普通であればとても得難い貴重な経験。

 そう思った時に紅は居ても立っても居られず、その足は自然と自主練中の黒乃の元へと向かっていたのだった――……

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