VRの歌姫
――どうしてこうなったんだろう。
薄暗い室内を見回しながら、紅は小さく独りごちる。
テーブルには、ポテトやピザなどの気軽に摘めるスナック類が並び、薄暗い部屋の中でひときわ明るい光源であるモニターには、曲とあまり関係なさそうな映像と共に、今流れている曲の歌詞が表示されていた。
そして……ステージ上では、最近よくスーパーマーケットなどで聞く流行りらしい曲を、最初の硬さはどこへやら、最後のサビまで来るとノリノリで歌い上げている佳澄の姿がある。
――そう、カラオケである。それも、今や珍しくもある現実世界での。
◇
「せっかく出会えたんだし、皆で遊びに行かない?」
そう曰った桜の一声によって、せっかくVRの歌姫と一緒なのだからと瞬く間にカラオケに行くことが決定したのが、約一時間前。ちなみに、朱雀は「人前で歌うのは苦手なんで」とさっくり帰ってしまったため、ここには居ない。
そうして、すっかり珍しくなったカラオケボックスに来た一行。まず最初に歌を披露したのは、ラインハルト、そして玲央の編入生組だったのだが……
これが、なかなかどうして上手いものだった。
貴族の嗜みとして詩吟を学んでいるという玲央とラインハルトは、それぞれこちらに来てから聴いたお気に入りのPOPミュージックをじつにそつなく歌い上げた。今は、こうして思い切り歌うのも気分がいいものだと上機嫌で次に歌う曲を選んでいる最中だ。
その次に曲を入れていた佳澄は、先発二人のカラオケ初心者とは思えない実力に最初こそ緊張気味だったが……しかし無事歌い終わり、次が紅の番だった。
紅が予約していたのは、元はアニメ映画の主題歌だが、大ヒットした結果街のあちこちで聞こえてくるようになった有名な曲。
女性ボーカルでしかもかなり高いキーを要求されるため、以前であればいくら好きでも諦めざるを得なかったその曲を……女の子となり、かなりの高音もいけるようになった今ならばいけるだろうと喜び勇んで入力した20分前の自分を恨んでも、今ではもう後の祭りだ。
「よ、四番、満月紅、うたいまひゅ」
――噛んだ。
この時点で穴があったら入りたいと思いながらも、えぇいなるようになれと歌い始める。
最初のうちは佳澄と同様、緊張から声も裏返りがちな紅だったが……歌も二番に入ったあたりから徐々に調子が出てくると、伸びやかな声質も相まって、素人にしてはかなり上手いと言えるくらいにはなっていた。
「……はぁっ、良かった、歌いきれた」
「あはは、紅ちゃん、お疲れ様ー」
ヘロヘロになって席に帰ってきた紅に、聖がすかさず麦茶を注いだグラスを渡してくれる。
それをすっかり乾いた喉に流し込み、ようやく人心地ついた時……話しかけてきたのは、皆が歌う様子を暖かく見守っていた桜。
「ふふ、最初はガチガチだったけど、サビあたりで緊張がほぐれてきたら、すっ……ごく上手だったよ? なんならまおーさまと私でコラボする?」
「いやっ……それは、ちょっと畏れ多いです……!」
さすがに、業界でもトップクラスの歌唱力を持つなんて評判の彼女と同じステージになど立てない。
そんな彼女は「惜しいなぁ、練習を積ませればきっと……」となにかぶつぶつ不穏なことを呟いていたが、無理なものは無理なのである。
「でも、配信でお歌のコーナーをやってみてもいいんじゃないか?」
「いや、無理、不特定多数に聞かれるなんて思ったら、緊張して声出ないから……!」
慌ててぶんぶんと手を振って、無理、と主張する。紅は、戦闘以外の分野では根本的にはあがり症の性分なのだ。
と、そんな慌ただしくしているうちに次の曲が流れ始めた。その、男性と女性のダブルボーカルによるポップな曲は……聖と昴が入れたもの。
「っと、私たちの番だね」
「続きは後でだな」
「後で言われてもやんないからね!?」
最後に置き土産を残しステージへ行く昴に、全力で拒否する紅。だが……彼の目は本気であり、嫌な予感しかしないのであった。
そうして紅が、はぁ……と深々とため息を吐いて、歌を聴く方に集中する。
「そういえばさぁ、君たちに聞きたいことがあったんだけど」
「はい?」
聖と昴、双子同士によるピッタリと息の合ったデュエットに聴き入っていた紅へ、隣に移動してきた桜がトントンと肩を突きながら声を掛けてきた。
なんだろう……と首を傾げる紅に、彼女は……
「もしかして君と、あのおっとりした女の子……付き合ってる?」
「……ぶふっ!?」
……そんな質問をぶつけてきた。
思わず咽せた紅に、にんまりと図星を確信し微笑む桜だったが。
「……告白はされました。私も同じ気持ちです……返事はまだですけど」
「あら、なんでまた?」
「……本当に、彼女を将来幸せにできるか心配になってしまって」
カラオケのミュージックに紛れ、紅がこっそりと、知り合いには話せなかった心情を吐露する。
「以前、私らがまだ生まれる前に同性での子供を作るのに成功したってニュースがありましたけど……その時の子供、5歳になった頃から全然情報が流れなくなりましたよね?」
「……あー」
「だから、もしかして何が問題があったのかなって思うと、やっぱり軽率に返事ができなくて……」
そこまで先を考えているというのは先走りすぎで、気持ち悪がられないだろうかとは紅も思うが……しかし、やはり将来の事まで考えると、避けては通れないのが結婚、そしてその先に待つはずの諸々の事だった。
――自分と交際して、それがずっと続いて今は認められている同性婚をしたとして……それが、本当に彼女の幸せになるのだろうか。
――ちゃんと、男の人と結婚した方が聖の将来的には良いのではないだろうか。
もし男のままであれば、悩まずに返事をしただろうけれど……今の紅は女性であると、忘れかけていた下腹の、わずかにまだキリリと痛む感触が嫌でも思い出させてくる。
そんな不安から、まだ返事をできずにいたのだったが……
「えっとねー……それ私」
「……へ?」
「だから、その国内初の同性間で出来た子供って、私なんだな、これが」
桜からあっさり帰ってきたその返事に、紅は思わず目を丸くする。
「……マジですか?」
「うん。女性同士、同性での国内初の交配の成功例って、私のことなの。ある程度成長した後は人権問題とかが発生して、秘密にしてもらうことになったから情報がシャットアウトされたけど」
「そ……そうだったんですか!?」
「うんうん、見ての通り私は健康で、お母さん
ちょっと不機嫌そうに、そんな愚痴を零す桜だったが……すぐにふっと表情を緩めて、紅の頭を撫でる。
「ごめんねー、まさか私の事情の絡みで不安にさせちゃっているなんて思わなかったわ」
「いえ、それは別に……でも、少し安心しました。教えてくれて、ありがとうございます」
「うん、どういたしまして」
本来ならば秘密だったのだろう。それを紅のためにあっさり教えてくれた彼女に、心の底から感謝して頭を下げる。
「ま、おおっぴらに顔出しするとバレちゃう可能性もあるし、それはお母さんのスキャンダルになっちゃうから、私はヴァーチャルでの活動中心にならざるを得なかったんだけどねー」
「あ……それで」
確か、彼女の母親とは芸能界に疎い紅ですら知っている歌手という噂だったのを思い出し、納得する。
「そうそう、それがVR美少女アイドルサクラちゃんの誕生秘話。ここだけの秘密ね?」
そう、しー、と口に人差し指を当てて微笑む桜。
さすがにアイドル活動している彼女の仕草は蠱惑的で、紅は思わずドキッとしながら視線を外す。
そんな紅の様子を微笑ましく見守っていた桜だったが……
「っと、双子ちゃんも歌い終わりそうだし、次は私の番ね。生歌なんてサービス滅多にしないんだから、ありがたく聴きなさい?」
そう、最後にポンポンと紅の頭を撫でて、よっと気合いを入れて立ち上がる。
やがて、聖と昴が紅の両隣に戻ると同時に流れ始める、重厚な歌詞と流れるような旋律が印象的な、彼女……『霧須サクラ』の代表曲の一つ。
普段のふんわりとした雰囲気から一転し、重くも美しい、しっとりとした詩を歌い上げるそんな彼女の歌声は……『VRの歌姫』の評判に違わぬ美しさをもって、紅たち全員を問答無用で魅了したのだった――……
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