ゲームの外へ

 ――同日、夕刻。



「なんだか頭が重い……」

「ふふ、いつもと雰囲気が違って、大人っぽくて可愛いよ、紅ちゃん」

「……なんか矛盾してない?」


 いつもは煩わしいと思っているはずの髪の毛の感触がなく、やけにスースーする襟元や肩を気にしながら、紅が聖にツッコミを入れる。



 ――夕方。紅が女性陣皆を連れて、天理に予約されていた美容院に行ったところ……皆、髪を丹念に梳かれ、良い香りがほのかに漂う香油を擦り込まれ、花飾りや簪などで飾りつけたアップに纏められていた。



 この髪型……思い当たる節は、一つだけある。


 やっぱりこうなるんだなぁと、紅が母の行動に半ば諦めの溜息を吐いていると。


「ところで紅お姉さん。聖お姉さんと何かあったですか?」

「……ぅえ!?」

「あ、私も気になっていました。紅お姉ちゃんはなんだかずっとよそよそしいですし、聖お姉ちゃんは逆にずっと上機嫌なの」

「え、そうかなぁ?」


 深雪の言葉にそう疑問を口にする聖だったが……その表情はいつにも増してニコニコとしており、背景に花が舞っているのを幻視しそうなほどに上機嫌であった。


 一方で紅は、そんな聖を直視できず、挙動不審になっていた。だがそこに悪い感情は感じられず、ただ照れて目を合わせられずにいるだけなのは明白だった。


 ……つまり、周囲から見たら『爆発しろ』と思うような状態であり、なんらかの関係が進展したのであろうというのは想像に難くない。


「まあ、喧嘩したとかではなさそうで何よりですが」

「私、二人に何があったか気になります!」

「あー……うー……」


 ――今度、一緒にデートする約束をしたんだよ。


 と、まさか馬鹿正直に言うわけにもいかず、紅が頭を悩ませていると。



「あらぁ、帰ってきたわねぇ」

「ふむ、綺麗にセットしてもらったようじゃの。ほれ、着付けてやるからこっちに来るが良い」


 そう、逃げるようにたどり着いた満月家の玄関で待ち構えていたのは……天理と桔梗。


「着付けって……やっぱり?」

「もちろん、花火大会にみんなで行くなら浴衣に決まってるわよねぇ」

「我一人では手が足りぬからな。聞けば和服の着付けは手慣れとると言うものじゃから、桔梗にも助力を頼んだのじゃよ」


 そう言って、ふふんと胸を張る天理。どうやら内密に、全員分の浴衣を用意していたらしい。

 その様子に、「これだから母さんは……」とガックリ肩を落とす紅だった。


 とはいえ、浴衣と聞いて目を輝かせている深雪や雛菊に水を差す気もなく。



「それじゃ、雛菊ちゃんと深雪ちゃん、先に着付けさせてもらっておいで?」

「うん、私たちはその間に、準備しておくものがあるから」

「む……では?」

「うん、多分いけると思う。着替えている間に準備しておくよ。二人とも、NLDにアプリはインストール済んでるよね?」

「はいです!」

「それじゃ、お先に失礼します!」


 そう、嬉しそうに天理たちについて行く二人を見送る。


 そんな様子を見送ったのち……


「それじゃ、客間の昴のところに行こうか」

「うん、楽しみだねー!」


 そう言って、手を繋いで二人歩き出す紅と聖なのだった。





 ◇


 そうして、やってきた客間。

 ソファの一つにすでに甚平に着替えた昴が目を閉じて座っているその部屋で、聖がDUOにログインしている昴とメッセージのやり取りをして……数分後。


「昴の方、準備オーケーだって」

「よし、それじゃ……」


 紅は、緊張した様子でNLDに触れ、今朝からずっと調整していたアプリを開き……


「リンク・スタート」


 スタートボタンに触れながら、コマンドを呟く。

 すると、アプリの連動先に指定していた別のアプリ……『Destiny Unchain Online』に接続されて、そこから一つのデータへとアクセスした。


 紅の目の前で、ARにて表示されている精緻な3Dモデルが構成されていく。それは……



『……お姉、ちゃん?』

「うん、おはようルージュ」


 ゆっくりと目を開ける、紅の目の前に浮かぶキラキラ輝く半透明の翼を持った小人。それはセイファート城に居るはずの、妖精形態になったルージュだった。


 戸惑いの表情で周囲を見回しているルージュに、紅が手を差し出す。すると彼女はパッと表情を明るくして、差し出された紅の手に腰掛けた。


『それじゃ、ここがお姉ちゃん達の世界なんですね?』

「うん……ようこそ、私たちの世界へ」

「いらっしゃい、ルージュちゃん」


 紅と聖はそう言って、嬉しそうにあたりを見回すルージュにニコッと笑い掛けるのだった。




 今回使用したアプリは、VRゲームやVRペットシミュレーターのデータを現実世界にAR投影するためのものだ。

 紅たちはそれを使い、DUO内部からルージュを現実世界へと呼び寄せたのだった。




「どうやら、成功だったみたいだな」

「昴も、お疲れ様」

「ああ、リコとヒナも、あの子たちが呼び出せば来れる状態にしておいたぞ」


 フルダイブして、本来ならばこのアプリがまだサポートしていないDUOと同期を取るために中で調整していた昴が目を覚まし、ゆっくりと起き上がる。

 そんな昴に、あらかじめ用意してきていた氷がカラカラと涼しげな音を立てて浮かぶ麦茶のグラスを差し出しながら、紅が礼を述べる。


 そんな時、客間のドアが開いた。


「少々邪魔するぞ」

「あ、母さん。着付けは終わったの?」

「いや、我よりよっぽど桔梗の方が手慣れておったからな、任せてきた」


 そう苦笑しながら入室してくる天理と、さらにもう二人。


「あれ、父さん?」

「パパも?」


 こちらも甚平や浴衣で和装な二人の父親の登場に、紅も聖も、揃って首を傾げる。


 だがそんなことは気にした風もなく、天理はルージュの前に立つ。


「ほう、それが例のAIか、なるほど確かに自我らしきものに目覚めているように見えるのじゃ、実に興味深い」


 はじめは科学者らしき好奇の視線で、宙に浮くルージュの表情変化や仕草などの様子を興味深そうに観察していた天理。

 だが、ルージュがその視線に緊張し始めた頃……ふっと、表情を緩めた。


「それに、紅めの妹ならば我にとっても娘じゃな。悪いようにはせん、安心するが良い」

『えっと……お姉ちゃんの、お母さん?』

「うむ、お主も母と呼んで構わんぞ」


 天理はそう言って、若干怯えを見せるルージュの頭を指先で撫でてやりながら笑いかける。


「それで……母さん、この子について、母さんたちに相談があるんだけど」

「ああ、分かっておる。彼女のデータの保全じゃな?」


 全て見通していた天理のそんな言葉に、紅は少し驚きつつも頷く。


「偶発とはいえ、旧来のAIで高度な自我を得た者というのは実に貴重なサンプルじゃからな。人権云々を語り始めた場合はすぐには答えは出ぬじゃろうが、すぐに保護の方向で動くのはやぶさかではないな」

「それじゃあ……!」

「うむ、そんな話もあるだろうとかんがえて。ほれ、お主ら聞いておったじゃろ」


 そう言って、天理は後ろにいる宙と要に目線を送る。


「という訳じゃが、技術主任たちとしては何か意見はあるかの?」

「うん……システム構築担当として、要はどう思う?」

「そうだな……たとえば、『ルームマスター』のホームサーバーに移動し、システムに組み込むという方法はどうだろうか。それならば家の中限定ではあるが自由に行動できるし、外出は他の者のNLDを中継点にすれば可能だろう」

「なるほど……ああ、そうだ、外出に関しては思考プログラムに連動させたドローンを中継点にするのはどうだろう。それなら、ある程度の範囲なら自由な外出もできるのではありませんか?」

「なるほど……そうなると問題は、安全性とバッテリーの連続稼働時間、そして通信の際に僅かばかりではあるが発生する遅延が……」


 早速、技術者二人が興味深そうに食らいつく。そのまま放置していれば、本当に数日中に解決してしまいそうな勢いではあったが……


「もう、パパも宙おじさまも、二人が議論始めちゃったら花火大会始まっちゃうよ!」

「だな、親父達は一度話し始めたら周りのことなんか見えなくなるんだから、続きは帰ったらにしてくれない?」

「う、む……」

「あ、あはは、参ったね……」


 ジト目で睨む聖と昴に抗議され、宙と要がバツが悪そうに頭を掻く。


『えっと……お姉ちゃん、何の話です?』

「うん。この家で、ルージュも一緒に暮らせるようにするための相談かな?」

『それは……そうなったら嬉しいです、はい!』


 そんな会話をしつつ……紅とルージュは頭を寄せて、すっかり頭が上がらない様子で大人たちが聖と昴に怒られているのを、しょうがないなぁと苦笑しながら眺めるのだった――……

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