南の島への誘い

 ――紅が初めての月のもので寝込んだ日の、夜。




「おい紅、無理すんな、お前も座ってろって」

「う、うん……それじゃせめて、これだけ」


 心配そうに紅の動きをソワソワと見守っていた昴に、食卓へ運ぼうとしていたお煮しめの大皿をさっと奪われた紅は……ならばせめてと冷蔵庫からよく冷えた昔ながらの茶色の瓶ビールを取り出して、開栓し抱えてダイニングへと戻る。


「父さんも、茜さんも、お仕事お疲れ様です」


 そう言って、珍しく早く帰ってきた二人のグラスに、ビールを注ぐ。



 ――この日、満月家の食卓は、早めに仕事を切り上げて帰宅した宙と茜も交えての、賑やかな晩餐となっていた。




「紅ちゃん、ありがとー……ぷはぁ、やっぱり可愛い子に注いでもらうと美味しく思えるわぁ!」

「いやぁ、娘に注いでもらえるなんて夢みたいだなぁ……」

「うちの娘は、すぐ飲み過ぎは良くない、だからねぇ。心配してくれてるのは嬉しいけど」


 そんなことを語り始めた、アルコールが入った二人。滅多にアルコールは摂らない宙だったが……流石にこの時ばかりは上機嫌にグラスを傾けていた。


「紅くんも、大変だったでしょう? でも今は顔色もだいぶ良くなったわね」


 そう心配した顔で聞いてくる茜に、紅は空になった二人のグラスに二杯目を注ぎながら、苦笑して答える。

 決して万全ではないが、交換するものは先程交換したばかりで今は不快な感触も少なく、体調のほうは薬が効いてきてもうだいぶ楽になっていた。


「はい……夕方に母さんが持ってきてくれた薬を飲んで一眠りしたら、ぐっと楽になりました」

「あー、あれね。私もたまに辛い時お世話になってるのよねー」


 そう、しみじみと語る茜さん。

 彼女が言うとおり、母が持ってきてくれた薬は確かに効果覿面だったのだが……ただ、不安なのが成分も何も書いてなく、市販品ですらない古風な薬包紙に包まれた薬だったことだ。


 そんな謎のお薬を思い出して、あはは……と乾いた笑いを浮かべる紅なのだった。


「でも、お母さんの言う通りだいぶ元気になったみたいで良かったよー。今朝メッセージ来た時は本当に焦ったもん」

「うん……聖には、重ね重ね、ごめんね」

「まあ、困ったことがあったらまたお姉ちゃんに任せなさい」


 胸を張って、そう請け負う聖に苦笑しながら、お酌を終えた紅は自分の席に着く。


 今の紅は、到底完調とは言い難いが、起き上がって食事を取るくらいならば可能なくらいには復調していた。食欲も少し戻ってきている。


「……でも、油断しちゃだめだよ、明日からが本番なことが多いし、数日経ってから悪化する人もいるんだから」

「うへ……もっと酷くなるの?」

「うん、だからはい、私が常備してる薬。用法と用量はメモして入れておいたから、ちゃんと目を通してね?」


 そう言って小さな小銭入れくらいの、ポケットにしまえる大きさの小物入れを渡してくる聖。中身を確認すると、こちらはちゃんと見覚えのある市販薬だったことにホッと安堵しつつ、紅は重ね重ね、彼女に頭を下げるのだった。





「さて……まぁ、憂鬱な時は明るい話題にしといたほうがよいな?」


 皆で食事が始まってすぐあたりに、天理が突然そんなことを言い出した。


「というわけで試験の後の話になるのじゃが、紅は夏休みの予定って今はまだ何もないよな?」

「ふぇ?」


 不意に話を振られて、お赤飯の最初の一口を咀嚼していた紅が、目をパチパチと瞬かせる。


「無いけど……どうしたの?」

「ああ、天理さん、あの話?」

「うむ、紅は体質のせいで、夏はとくに遊びに行ける場所も限られているからな、ちょうど良かろう」

「……?」


 何やら話し合っている両親の様子に、首を傾げる紅。

 だが、天理が傍に置いていたバッグから何かの封筒を取り出して、紅の目の前に出してきたのは……青い海、青い空の風景が眩しい、一枚のパンフレットだった。


 促されるままに、開いて中を確かめる。



 場所は……どうやら関東の離島の一つ。

 海岸から半ばせり出す型で建造された積層構造の閉鎖された建築物。

 海に面した広大なドーム内には白い砂が眩しい広いビーチが、本館内には温泉、宿泊施設などがある、巨大レジャー施設の案内らしい。


 ……これならば確かに、紅でも日光を気にせず海で遊べそうだ。


 そして……特筆すべきは、そのドームに覆われたビーチ全体がなんと巨大なARシアターになっているらしい。

 拡張現実により、普段は通常のビーチではあるが、その設定を変更することで全国さまざまなビーチの風景を再現したり、あるいは色々な環境を疑似体験できるイベントを発生させることができるのだとか。


 それに、ぐるりと島の風景を楽しめるウォーキングコースや、家族でゆっくり過ごせる個別風呂などもある、さまざまな温泉が楽しめるスパリゾートも。


「……何、これ?」

「これは我ら『NTEC』が、主に管理システムと拡張現実の分野で共同開発に参加していたレジャー施設なのじゃが……今年八月のオープン前に合わせて限定の招待券が配布されているのじゃ。それが、我のもとにも届いてな」


 そうして新たに天理が差し出した小さめな封筒に入っていたのは、三泊四日の宿泊券。


 あくまで来月のオープン前に先行体験できるというもので、関係者への贈呈分のほか、少数が販売されたらしい。チケットそのものは有料だが……その競争率は高く、あっという間に完売したのだそうだ。


 それが……なんと、三人用が四枚、十二人分も。


「我らの知人はだいたい招待を受けておるからの、紅がここに居る我以外の五人の外(ほか)、残る半分のメンバーを誘うがよい」

「……いいの?」

「うむ。我はホスト側じゃから、流石に出ねばならんが、お主らは気にせんで大丈夫じゃろ。好きに友人を招くが良い」

「あ……ありがとう、母さん!」


 母親の気遣いに満面の笑みで礼を告げると、紅はさっそく、ざっと誘いたい人を頭に浮かべる。


 まず、別枠な天理を除くと……満月家と古谷家は確定。視線を送ると、聖も昴も興味津々にパンフレットを眺めながら、頷いた。

 ちなみに古谷家のお父さんは天理と同じく客ではなくホスト側らしい。現地でのシステム担当主任として調整の仕事らしいからこれも別枠でよく、これで紅、宙、聖、昴、そして茜さんの五人。


 あと……紅が誘うとすればギルド『ルアシェイア』のメンバーであるリュウノスケ一家三人と、雛菊……あの子は小学生だから、保護者一人くらいは考えておきたいので、これで仮に十人。


 あとは……ギルドメンバーである委員長や、翡翠さんは呼んでみたいし……これで全員参加なら、ちょうど十二人かな、と指折り確認する。


 思わぬオフラインミーティングの予感に、紅は憂鬱な体調も何処へやら、ウキウキと予定を立て始めていた。




、ねえ……天理さん、は言わなくて良かったのかな? あのこっそり仕立て屋を呼んでいた……」

「良い良い……黙っとったほうが、いざに面白いじゃろ?」

「……多分そういうところだと思うよ、紅さんに嫌われるの」



 何やらそんな不穏な話をしていた両親だったが……残念ながら、旅行に浮かれていた紅の耳に届くことはなかったのだった。





 ……というわけで、ひとまずギルドメッセージ機能であらかたの知り合いにそんなお誘いを飛ばした後、そんなこんなで進む紅の初潮祝いも兼ねた晩餐会。


 世の中のお赤飯には甘い味付けがしてあるものもあるが……満月家の、餅米と小豆で炊かれたお赤飯は甘くはなく、各自が適当に胡麻塩を振って食べる。


 人参や牛蒡に椎茸、昆布とお麩のお煮締めは、出汁の利いた、野菜の旨味が溶け出した優しく甘辛い汁をしっかりと吸っており、噛むとジュワッと口内に広がる。



 ――やっぱり、美味しいんだよな、母さんの料理。



 どこで学んできたのやら、手の込んだ和食も軽々とこしらえてしまう母の手料理は、まるで何十年も基礎を積んだかのように、紅の手料理とはステージが違う美味しさなのだ。


 ……ちょっとだけ悔しい。


 ならば、と紅は一大決心し、正面に座る天理に声を掛ける。


「……ねえ母さん、今後は俺にも料理をちゃんと教えてくれない?」


 母親にこんな頼み事をしたのは、初めてだった。紅も料理はするが、たいていはネット経由でレシピを調べたものだ。


 そういえば、母の味というものはほとんど知らなかったな……と今更ながら思い出し、おそるおそる頼んでみる、が。


「む? お、おお!? 全然構わぬぞ、時間がある時に色々教えてやろう、何か希望はあるか!?」

「えっと……じゃあ、煮物がいいな。それに、顆粒か濃縮出汁以外のお出汁の使い方わかんなくて」


 紅の葛藤などただの取り越し苦労であり、そう尻尾があれば振っていそうなほど嬉しそうに、紅に告げる天理。


 そんな母の様子を見て、距離を縮めにいって良かったと思った紅なのだった――……

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