紅の初登校
――そうして遂にやってきた、生身で初登校することとなる月曜日。
「それでは……満月さん、どうぞ入ってきてくださいな?」
そんな担任の浅井先生の、紅を呼ぶ声。
これまでの回想に耽っていた紅だったが、不意に教室内から掛けられた声に、ハッと我に返った。
よし、と意気込んで扉を開けた紅は……直後、このまま反転して帰りたい衝動に駆られていた。
――いや無理、これ恥ずかし過ぎ無理ぃ
扉をくぐった瞬間に紅へと集中する、三十対の視線。
それだけの数の注目の中で……紅はまるで女装姿を検分されているかのような、逃げだしたくなるほど激しい羞恥に晒されていた。
すっかり定着している『儚げ少女』のイメージを払拭せんと意気込んでいたはずだったが、今ではもう普通にしていることも無理だ。
スカートの裾が気になって、歩幅を小さくして鞄を下げた両手で押さえ、ちょこちょこ歩くので精一杯だ。
更には周囲から「かわいい」「綺麗」などの称賛の声が聞こえてくるものだから、もはや羞恥プレイの一環である。今、逃げたくて仕方ない衝動に駆られているのも、無理もないはずだ。
そんな中、不意に目に入ったのは……クラスの最後部の席で応援している聖と、面白がっている昴の姿。
――そうだ、堂々としなければ。
友人たちを心配させまいと、担任に促されるままにホワイトボードに自らの名前を記入し終え、振り返る。
そして、見守っている友人を安心させるように、にこりと教室内に向かって笑い掛けると――紅は自己紹介をするために、深く息を吸い込んだ。
◇
――私の名前は、
家は普通の中流家庭で、私自身は天才でも秀才でもない、ただ真面目に日々の課題をこなせるだけの普通の人間。
それでも必死の努力によって、周辺では最難関である杜乃宮に入学したは良いものの、周囲はみんな凄い人ばかり。
せめて置いていかれないように真面目に頑張っていたら……いつのまにか学級委員長に任命されていて、あだ名もすっかり委員長が定着していた。
そんな面白味のない、せいぜい村娘Aの役どころが妥当なのが、この私。
まぁ、それは良いの。
金持ち喧嘩せずって言うけども、この学校の生徒は家がお金持ちか頭が良い子かのどちらか、あるいは両方なおかげで、クラスの皆も穏やかで良い人ばかり。
だから皆が協力的で、あまり苦労らしい苦労も今のところはしていないので。
……そんなうちのクラスには、珍しい生徒がいる。
彼女の名前は、満月紅さん。可哀想なことに入院中で登校できないらしく、入学してから今までずっとオンラインで授業を受けている子だった。
性格は大人しくて引っ込み思案。
あとたぶん真面目な子で、気がそぞろになりやすいオンラインでの授業も必ず真面目に聞いている。他の生徒に比べてハンデがあるにもかかわらず、クラス上位の成績をキープしており試験結果も良い。
そんな満月さんが、今日、ついに退院して学校へ来ることになった。
クラスの皆が朝からその話題でもちきりで、HR前には教室内は膨れ上がった期待でざわついていた。
知り合いで、顔を知っているはずの古谷さん姉弟はというと……この件についてはお姉さんである聖さんが「可愛い子だよー」と言うだけなものだから、今や『満月さんはこんな子に違いない』という勝手な空想が罷り通っていた。
そんな、すっかりとクラスの期待値のハードルが上がってしまった彼女に、少し同情心を抱きつつ……なんだかんだで私も、まだ見ぬ満月さんがどのような子なのか、期待に胸を躍らせていた。
「それでは……満月さん、どうぞ入ってきてくださいな?」
そう、担任の浅井先生が、教室の外で待機しているらしい満月さんに、声を掛けた。
――静まり返る教室。誰かが、ひゅ、と息を飲んだ音が聞こえた。
私たちが高く積みすぎたと思っていたハードルは、まだまだ彼女にとっては余裕で跨げるものでしかなかったらしい。
最初に思ったのは、入ってきたのが人ではなく、
まず、予想外だったのが色彩。肌も髪も、まるで処女雪のように真っ白。
そんな中で目だけが深い真紅で、まるで吸い込まれそうな煌きを放っていた。
同年代の女の子では、たぶん一番小さいのではないかという華奢な身体。肩も腰も細くて、触れたら溶けてしまう氷細工のような風情がある。
そんな身を包む制服はスカートの端から薄いレースのシュミーズがチラチラ窺えて実にお嬢様っぽく……そもそも彼女の着ている制服自体、質感が微妙に違うように見える。あれ、一般生徒のものより良い生地使ってない?
いかにも良いところのお嬢さんという感じに楚々とした小さな歩幅で歩くたびに、サラサラと揺れる、絹糸の束のような腰下まである長い髪は、まるで光の粒子を放つかのように輝いていた。
――そして……私は、その姿を見たことがある。
「かわいい……」
「ちっちゃい、本当に高校生?」
「お人形みたい……」
「アルビノってやつ? 真っ白で綺麗……」
彼女のあまりにも予想以上であったハイレベルな容姿、予想外のインパクトを放つ姿に、騒然となる教室。
そんな彼女はというと……おそらくは聞こえてくる称賛の言葉のせいだろう、真っ赤になっていた。
やはりこれまでの印象通り、恥ずかしがり屋さんの子みたいだった。
そんな満月さんは、ホワイトボード(っぽいAR表示のディスプレイだけど)に、少しでも私たちに見えやすくするためか体を一生懸命に伸ばして自分の名前を書いている。動きがいちいちかわいいんだけどなんなのだろう。
やがてクラス皆がハラハラと見守る中、彼女が名前を書き終えて私たちのほうへと向き直り、振り返って微笑んだ。
――男子の大半と、女子の何割かが、その笑みを直視できず真っ赤になって目を逸らした。たぶん皆墜ちたんだと思う。
だがそれは……間違いなく、私がクラスの皆に内緒にしている隠れた趣味であるネットゲームの、超有名な女の子そのままの姿なのだ。
――そう、赤の
――え、嘘、まおーさまってまさか現実世界の姿をそのままキャラ外観に利用した、リアルモジュールだったの?
「えぇと……今までは音声だけでしたが、今日から一緒に学校に通うことになりました。満月紅と――」
「――ぇぇえええええっ!?」
ようやくフリーズが解けた私は……よりによって彼女の自己紹介を遮るように、驚愕の叫びを上げてしまったのだった。
――驚いた彼女の、若干涙目な表情が可愛かったというのは秘密です。
◇
――予想外なトラブルはあったものの、自己紹介は滞りなく進んでいた。
「満月さんは見ての通り、先天性白子症を患っていて、太陽光があまり得意ではありません。必然的に屋外での活動には制限が入りますし、日傘なども手放せませんが……同じ杜乃宮生として、困っていたら助けてあげてくださいね?」
「そんなわけで、色々とご迷惑をお掛けしますが、どうかよろしくお願いします」
担任の先生の注意事項説明が終わり、紅は後を継いでそう挨拶し、深く頭を下げる。
「分かりました!」
「これからもよろしくね!」
「そのうち、一緒に遊びに行こうね!」
「満月ちゃん、困ったことがあったら言ってね!」
温かい言葉と拍手が、教室内の随所から掛けられる。
そんな様子を見て、無事挨拶も済んだことに、ふぅ、と安堵のため息をついた。
最初に突然叫び声を上げた委員長の奇行には面食らったが……よくよく考えたら、彼女が率先して奇行に走ったおかげで皆が冷静になり、それ以上に過剰に騒がれることもなかった。
――つまり、委員長はこちらのためにわざと道化役を買って出てくれたのだ。
なんて良い人なんだろう……そう、現在は自分の席で何故か頭を抱えている委員長に対して、紅の中ではその評価がうなぎ登りなのだった。
我慢できず、こっそりNLDのメッセンジャーを開いてクラスメイトのアドレスから『委員長』と題されているものを開き、簡潔なメッセージを送る。
『委員長、さっきはありがとうございます』
『……え、なんのこと!?』
こうして――紅の中で委員長の評価は、鯉から龍に進化せんばかりに高まっていくのであった。
【後書き】
カスタム制服とシュミーズは日光対策仕様です。決して作者の趣味ではなく(目逸らし
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