病室の外へ
――ギルド『ルアシェイア』が新たなメンバーを迎えてから、さらに二週間の時が経過した。
現実世界のほうでは、紅のリハビリは順調に進み、成長期な体はめきめきと不足していた筋肉を育て、みるみると生活に必要な体力を取り戻し始めていた。
今ではもう、リハビリテーション室に向かう際に車椅子の必要は無くなっていた。
だがその一方で、今まで介助ありで行なっていた入浴などは自分でやらなければならなくなり……健全な元男子高校生としては、柔らかいやら敏感やらな自分の新しい体を持て余し、今まで以上に苦難の連続な日々が続いている。
ゲーム内では、とりあえず二度のランク防衛戦は問題なく勝利。
その際、ついに複合スキルに手が届いたリコリスに代わってサラがスタメンとして防衛に参戦し、連携の調子もなんとなく掴むことができた。
徐々に挑戦者から対策を詰められてきているため、若干の焦りはあるが……それ以上にレイドバトルを重ねて主要メンバーの練度が向上し、新たに職人を迎え入れることができて装備面が充実し始めたため、今のところ『ルアシェイア』の地力のほうがずっと伸びている。
一方で、気掛かりな『ダアト=クリファード』の行方についてだが……こちらは北の氷河、嵐蒼龍の両ギルドと手分けして情報を集めているが、現時点ではなんの手掛かりも得られていない。
そのため今はとにかく内政をこなし、拠点の防衛力を向上させていく一方で……住民の生活環境を向上させるためにネーブル周辺で農地を増やして分配し、食糧自給率を上げていく。
併せて、同じく所有エリアである鬼鳴峠にて、同盟関係……支配しているわけではないため細かな指示はできないが、向こうにとって必要あるいは有利な話には積極的に協力してもらうことができる関係だ……にあるオーガ族とも友好を深めたり、こちらも川沿いの土地を利用して棚田を開墾し、オーガ族の食糧問題などを改善していく。
……どうやらダアト=セイファートと仲間たちの一件で、クリムたちは、彼女に連なる大地の精霊に気に入られたらしい。
ギルドのステータスに、いつのまにか現れていた『地精の加護』というギルドスキルによって、食糧生産量に1.2倍という強力なバフを受けていたことが、開墾事業に精を出す最中に発覚していた。
そんな嬉しい誤算もあり、ルアシェイアの領地運営は、順風満帆に進んでいるのだった。
――そんな日々が穏やかに過ぎていく中で、現実世界にて。
「ねえ聖、髪を乾かすくらいは一人でできるってば」
すっかり居着いてしまった病室にて、先程入浴を終え、リハビリでかいた汗を洗い流したばかりの紅は……今はベッドに座らされ、櫛とドライヤーを手にした聖に、その湿った髪を乾かされていた。
「だーめ、紅くん絶対適当に乾かすでしょ。ちゃんと手順を踏まないと、明日の朝あたりに爆発して大変なことになるよ?」
「ゔぅ……」
呻き声を上げて、黙り込む紅。
実際に数日前、聖が所用でお見舞いに来なかった日があったのだが……その時に、紅はいま聖が指摘した通り適当に髪を乾かしてしまい、翌日絡まって大変なことになってしまっていた。
なぜ髪のドライヤーの掛け方ひとつでそのような違いが出たのかいまだに理解できない紅は、そのため聖の言葉に強く反論できず、憮然としたまま、されるがままになっていた。
幼なじみの少女に髪を乾かしてもらうという事態に、恥ずかしいやらむず痒いやらで、どうにか逃げたがっている紅。
一方で、紅くんの髪は特に長いんだからねー、と上機嫌に鼻歌まで歌いながら、紅の濡れた髪をドライヤーで乾かしている聖。
「やっぱり短く……」
「だめー、これだけ長く伸ばすのに、何年かかると思ってるの」
「……実は聖が俺の髪を弄りたいから、とかじゃないよね?」
「…………違うよ?」
「今の間は何さ?」
あからさまに目を逸らした幼なじみに、食ってかかる紅なのだった。
「それにしても……本っ当に、体の洗い方から髪の洗い方、髪の乾かし方まで、女の子の体って面倒……」
諦めて髪を梳かれるに任せ、なんとなしに紅が愚痴る。
白く小さな、見るからに繊細そうなこの体の日々のメンテナンスは、とにかく手順や工程が多い。おなじく、厳禁だと言われているタブーも。
面倒だからと男だった時のように雑に扱うと、途端に赤くなったりして酷い目に遭う……というか、自分で入浴するようになった最初のほうで、少女の裸体を見まいと目を瞑ったまま、男だった時のようにガシガシと乱暴に洗い、酷い目に遭った。
以後、痛いのはもう嫌なので、恥ずかしいのは諦めた紅だった。
「あはは……私も時々、昴が羨ましくなるからねー。双子なのに、あっちだけずいぶん適当に済ませてさぁ」
これまでと比べて体の手入れにはるかに手間が増え、お風呂の時間が何倍にも延びたと愚痴る紅に、苦笑しながらそんなことを曰う聖。
やれちゃんと体を洗わない、髪のトリートメントをしない、と愚痴る聖の言葉は、相手が双子の弟の話だからか、なかなかに遠慮が無い。
……と、そんな話に盛り上がっていた時だった。
「……おや、二人とも。ずいぶんと仲良くやっているみたいだね?」
「あ、父さん!?」
すっかり長くなった夏の陽も、とうに西の空に消えたであろう頃……入り口をノックして新たに病室へと入室してきたのは、手に何やら大荷物を携えた父、宙だった。
「やあ紅さん。リハビリは順調だってね。それと聖君も、紅の面倒を見てくれて感謝してるよ」
「いいえー、私も好きでやっていることですから!」
「そうだろうねぇ……」
今は乾かし終えた紅の長い髪をゆる三つ編みに編んでいる最中である、実に楽しそうな幼なじみの少女に、諦めたようにガックリと寝台に身を委ねる紅なのだった。
そうしてバタバタと騒がしい室内が、静けさを取り戻した頃。
「……外出? えっと……街に?」
「紅くん、外に出て大丈夫なんですか?」
宙の「明日、昴君も誘って皆で買い物に行こう」という言葉に、紅と聖は揃って首を傾げていた。
「うん。リハビリの経過も順調で、もうだいぶ距離を歩いて問題ないって聞いたからね。許可も取ってきたし、明日、日曜日は少し外に出る練習をしよう」
それはまあ、紅はずっと光の入らない病室に居たのだから、いい加減病院外に出たい気持ちもある。だが……
「……この姿で?」
「そ、退院して学校に行くまでに、もう一週間しかないからね、見られることにも慣れないと」
「あー、紅くんは多分、いっぱい見られるだろうからねー」
うげ、とうめく紅。確かに、この真っ白な少女は街中でひどく目立つに違いない。
「でも、出かけるための服なんて……」
「もちろん、用意してきたとも。紅さん用の対紫外線グッズも母さんから預かってきているよ」
理由を付けては渋る紅にそう言って、鞄から何本かの何故かラベルが無い……おそらく市販品ではないのだろう……
「一応、天理さんの見立てだから大丈夫だとは思うけど……聖くん、良かったらコーディネートを考えてあげてくれない?」
「わかりました、宙おじさま。任せてください!」
「ちょ、父さん!?」
まるで猛獣の巣に投げ込むかのような父の所業に、おもわず抗議する紅だったが……その時にはすでに、聖は「何がいいかなー、可愛いかなー」と目を輝かせて紅に着せる服の物色に入っていた。長年の付き合いの経験上、ああなった聖は紅には止められない。
しょうがないか……そう諦めて、なんとなしに服を物色する。そして、ふと気付いた。
「というか服、下がスカートしか無くない……?」
積まれた服の中にパンツは見当たらない。全てワンピースかスカートだ。
「もちろん。学校の制服もスカートだからね、練習だと思って頑張れってさ」
「うぇえ……」
無情な宙の申し付けに、紅は顔を顰め、心底嫌そうな声を漏らすのだった――……
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