ブレイズ・ブラッド

この世界のAIは、高度な自意識を備えている。

 それは……今、少女と魔獣の死闘の傍観者である少年にも、備わっている。



 ――そんな少年が今見ているのは、恐ろしい魔獣と、単身戦い続けている女の子。


 その姿に、ただ守られているだけという事実に、少年の中に焦りが生まれる。


 しかしそんな中……ついに、魔獣の爪がバランスを崩した少女の腕を掠めた。

 傷は浅いが、しかしその一撃で、少女の腕は動かなくなってしまったようだ。


 なんとか、しないと!


 少年が、抜けた腰のまま、手近な石ころを無我夢中で投げる。




 ――それは、少し気を逸らせればと思って投げた、本人にもまさか当たるとは思っていなかった一投。


 だが不幸にも、偶然、ただ本当に偶然……その石は、魔獣の目へと直撃したのだった。








 薄氷のような攻防の中。

 足元に転がっていた何かの骨を踏み砕いた靴裏が滑り、僅かにクリムが体勢を崩す。


「や……っば!?」


 慌てて転がるように距離を取るも、ヂッと魔獣の爪が、クリムの右上腕を掠めた。

 その瞬間、クリムの視界に人体を模したアイコンが現れ、その右腕が赤点滅する。同時に、ぶらんと力を失い垂れ下がる右腕。


 ――掠めただけでこれか!


 内心で舌打ちする。すでに自己再生スキルによる治癒は始まっているが、傷は浅いとはいえ数十秒は動かせまい。


 それでもまだ、冷静に事は運べている。


 向こうは硬く、攻撃力が高く、動きが速いと単純に強敵ではあるが、動物ベースなためか厄介な特殊攻撃みたいなものは今のところ無い。


 慌てず距離を保ち、コンディションが回復するまでの時間を稼ぐ余裕はある。今はまだ、優位に進められてはいる。

 だが、ほんの僅かな均衡が崩れるだけで、あっという間に敗北に傾いてしまうだろう。


 そんな予感に、嫌な汗が頬を伝った……その時だった。


『グルァァァアアアッッ!!?』


 突然、咆哮を上げ暴れ出す魔獣。

 どうやら目に石が当たったらしく、その痛みに我を失い凶暴化していた。


 そんな魔獣が憎々しげに睨み付けた先には……何かを投げた姿勢のまま、驚愕と恐怖に固まっているジョージの姿があった。


「この馬鹿、逃げろ……ッ!?」


 固まっているジョージと、苛立たしげに腕を振り上げた魔獣の間へと咄嗟に割り込んで、影の短剣を両手で構え、必死に魔獣の爪を受け流す。


 ――ばきんっ


 辛うじて爪を受け流し切ったものの……耐久力の限界を迎え、クリムの手の内から砕け散る影剣。

 得物を失い丸腰となったクリムを、少年もろとも引き裂かんと、再度振り上げられる魔獣の巨腕。


 スローモーションで流れていく風景の中、魔獣の顔は……何故かクリムには、己が勝利を確信し、喜悦に歪んでいるように見えた。


「ああ……駄目か。ごめんね、ジョージ」


 これは無理だと諦めに体が支配されかけて、力が抜けた四肢が崩れ落ちそうになった。





 ――何を必死になってるんだ。


 ――どうせ、死んでもチェックポイントに死に戻りするだけだろ。


 ――俺は頑張ったけど、相手はボスだ。普通に考えて勝てるわけないだろうが。


 ――諦めてしまえ、お前は充分頑張った。


 ――ただ…………NPCが一人、いやだ。





「……俺のほうこそ、ごめん」


 背後から聞こえてきた返答に、ハッと顔を上げる。

 瞬間――クリムの目に、力が蘇った。


「――『ブレイズ……ブラッド』……ッ!!」


 極々短い詠唱を完了させ、その魔法を発動させる。


 直後、振り下ろされた魔獣の巨腕を、交差させた両腕で受け止める。


 ズンッ、と、全身に掛かる凄まじい衝撃。


「ぐ、ぅううぅぅ……ッッ!!」


 標準で50%機能している痛覚軽減機能越しでも、凄まじい重圧と、骨が砕ける鈍い痛みがクリムの両腕を襲う。

 全身が軋みを上げ、背骨が砕けるのではないかというほどの圧力が、クリムを苛んだ。


 だが……歯を食いしばって、耐えた。

 魔獣の巨腕の一撃を、小さな少女の身体が耐え切ったのだ。



 真っ赤に染まる視界。

 真っ赤に染まった残り僅かなHPバー。


 だが……それでもクリムは耐え切ったのだ。




 心臓が激しく脈打ち、大量の血液が高速で体内を巡る感覚。


 蓄えていた血が燃えて、全身に力を満たしていく。


 真っ白だった肌には、血による真っ赤な模様が浮き上がる。

 真っ白だった髪は一瞬で真紅に染まり、燃焼した血が霧となって体の周囲に漂う。

 その小さな手が不気味に蠢動したかと思うと、禍々しい爪を備えた物へと肥大化した。




 ――ノーブルレッド固有魔法『血魔法』の、最初級魔法『灼血ブレイズ・ブラッド




 溜め込んだ血を全消費して、短時間だけ熟練度に応じて身体能力と治癒力を超強化する、最初に覚える最初級魔法にして最後の切り札。


 効果時間は三十秒。

 それを経過してしまうと、血を失ったこの体は著しく弱体化してしまう。




 ――速攻で決める!!




 強化された膂力が、なおも二匹の小さな生き物を圧し潰さんとしていた魔獣の巨腕を跳ね上げる。

 その瞬間、クリムは絡みつくように魔獣の背中へと駆け上がり、再度魔獣の背中へと組み付く。

 そうして首の後ろ、先程付けた傷跡へ、辛うじて動かせる程度まで再生を終えたばかりの腕を振り上げて――その魔物じみた、禍々しい爪が伸びた手を突き立てた。


「おおおぉぉおおッッ!!」


 喉も裂けよと上げた咆哮と共に、突き立てた両手が肉を割り、指先に触れたのは硬い骨の感触。それを渾身の力でねじって、えぐる。


 バキッとした感触、ビクンと跳ねる魔獣の巨体。


 だが、これでもまだ死亡判定は出ていないらしく、こちらを振り落とそうとしている。



「……まっ……だ、だあアアァああッッ!!」


 今にも弾き飛ばされそうなのを必死に脚に力を込めて堪え、クリムは再度、手刀の形にした手を振りかぶった。


 一度離れてしまったら、もう終わりだ。自分も……ようやく逃げようと立ち上がったジョージも、今病気で危機にあるジュナも、


 ――そんなこと、させない!


 自身でも驚くほど激しい衝動が、クリムの腕に力を満たす。


「ああアァあああアアア!!!」


 だから、突き刺し、抉り、引き千切る。


 力任せの行為を、執拗に、何度も、何度も、何度も、何度も……



 ……


 …………


 ……………………



 やがて……何分にも思えるほどの三十秒が経過して、真っ赤に染まっていた髪が元の白色へと戻った頃。



【エリア『シュヴァルツヴァルト』のボス『最強の魔獣』が、初めて討伐されました】

【称号:『最強の魔獣の首を狩りし者』を取得しました】



 そんなシステムメッセージが、クリムの視界の端に流れた。


「はぁっ、はあっ……げほっ……終わっ……た?」


 荒い呼吸、掠れた声で、呆然と呟く。


 体の下で、もはやぴくりとも動かなくなっていた魔獣の巨体が、無数の細かな光の破片となって消えていく。


 それを見届けたところでクリムの意識は限界を迎え、真っ暗に暗転するのだった。




 ――おい、お前! 大丈夫か、おい!?


 薄れていく意識の中で、そんな少年の声が、最後に聞こえた気がした――……


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