命をいただく
老いて生きるための力が衰えたとはいえ、野生の獣はそんなことでは生きることを諦めない。生きるためにその時点でできるすべてをやろうとする。これは、
それは当たり前のことだった。だから
それでもなお、老
<潔い引き際>
など、人間がでっち上げた戯言だというのがよく分かる光景だった。野生において<潔い引き際>というのも、あくまで生きるためにすることである。『戦って勝てないと悟ればさっさと逃げる』というような場合にのみ意味を持つ。
しかし、諦めればそのまま死が待っている状況では、『潔く』などしない。文字通り死力を振り絞って死に抗う。生きるために。
だがそれは常に功を奏すとは限らない。ましてやそのための力がそもそも衰えてきているとなれば、さらに確率は下がる。加えて、
残酷なようだが、これもまた<生きる>ということなのだろう。
生きるためには他の命をいただくが、それは必ずしも直接食うことを意味するものではない。このようにして、
『自分以外の誰かが死ぬことにより自分の命を繋ぐ』
というのも『命をいただく』と言えるのだ。
そして実際、老
老いて生き延びる力を失ったことにより、仲間の代わりに
残酷ではあるものの、これもまた生きるということの現実。
また、この時の
ただしこれについては、
特に体が小さい子供は、その辺りを跳ねまわっている<虫>を餌にすれば事足りるし、少し大きな子供達も、それぞれ勝手に、
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