【三〇七《浅瀬に仇波》】:二
「こら!」
「うわっ!」
ベンチに座ってボーッとしていた俺に横から凛恋が声を掛ける。そして、ジーッと俺を見て目を細めた。
「今、嫌なこと考えてたでしょ」
「嫌なことなんて――」
「嘘を吐いてもダメだからね。凡人くんの顔を見てたらすぐ分かった。嫌なこと考えて悩んでる顔だって」
隣でスポーツドリンクを飲んで水分補給する凛恋は、俺から少し離れた位置で座っている。
「凛恋、なんで離れて座ってるんだ?」
「だ、だって……汗の臭いするし」
「俺は気にしないって何度も言ってるだろ?」
離れて座っている凛恋に近付くために、俺は凛恋のすぐ近くに座り直した。
「裁判のこと考えてたんだよね。弁護士さんとかお父さんお母さんから聞いたけど、危険運転致死傷罪は無理そうだって」
「ああ。……それに、初犯だから普通に過失運転致死傷罪を適用されるより軽くなる」
「それが嫌なの?」
「嫌って言うか……許せないって気持ちがある」
「私ね。お父さんやお母さん、優愛ちゃん、それから凡人くんには申し訳ないって思うんだけど……私を撥ねた犯人のことどうでも良いの」
スポーツドリンクのペットボトルを両手で握る凛恋は、俺ではなく、正面にある平行棒の方へ視線を向けた。
「私、気が付いたら病院のベッドで寝てて、知らないうちに体中が重くて痛かった。それで、今はキツくて辛いリハビリをしてる。それって私を撥ねた人のせいなんだけど、その人を怨むって言う気持ちが湧かないんだ。本当にどうでも良いの。その人が危険運転致死傷罪になるか過失運転致死傷罪になるか、もっと言えば有罪になるか無罪になるかもどうでも良い」
「それは、記憶がないから?」
「う~ん、それもあるのかな~? でも、多分そうじゃないと思う。今の私にとって、事故を起こした人達の未来に興味がないからだと思う。今の私にとって大切なのは、早く歩けるようになって、凡人くんと恋人らしいデートをすることだから」
ニコッと笑った凛恋の手を握ると、凛恋が真っ赤な顔をして俯く。
「か、凡人くん……先生とか見てるよ?」
「別にキスしてる訳じゃないから大丈夫だろ」
「そうだけど……。凡人くんって、本当に積極的だよね」
「凛恋だって積極的だろ? 昨日、病室で――」
「ああっ! それ言っちゃダメ!」
両手で口を塞がれて言葉を止められて、真っ赤な顔して俯いた凛恋がチラッと俺を見る。
「凡人くんが格好良過ぎるのがいけないんだよ」
「俺のせい?」
「そう!」
真っ赤な顔で可愛く責任転嫁をされたら、仕方ないと許してしまう。まあ、全く怒る気なんてなかったが。
「今からシャワーだろ?」
「うん。ちょっと行ってくるね」
女性の看護師さんが来てくれて、凛恋は車椅子に乗ってシャワーを浴びに行く。
凛恋を見送りながらリハビリ施設から、一足先に凛恋の病室へ向かう。
今日言わなければいけない。そう思うと、胸の奥がキリキリと痛んだ。
大学はもう卒業が決まっていて、新年度から社会人になる。その準備のために、俺は地元を離れなければいけない。そして、そのまま新入社員研修を経て仕事が始まるから、地元には頻繁に帰って来られなくなる。
新幹線の定期を買って一週間に一度帰っては来る。でも、今までのように毎日会えなくなる。それを今日言わなければいけない。
もっと早くに言えたことだった。就職したら地元を離れるのは分かっていたんだから。でも……凛恋の悲しむ表情を想像してしまって、今日まで言えずにいた。
一緒に居たい。でも、思うだけじゃ一緒に居られない。凛恋を無理矢理連れて行くことは出来ない。それに、就職しないという選択肢もない。
俺は凛恋を一生守っていく。そのためには凛恋の生活を守れる収入が必要だ。だから、就職を辞めるなんて選択肢はそもそもない。
凛恋がまた歩けるようになって、凛恋の気持ちが結婚を決意出来るくらい成長するまで、俺は凛恋と遠距離になる。
「凡人くん、また嫌なこと考えてる」
「凛恋……」
後ろを振り返ると、車椅子を漕いで中へ入ってくる凛恋が居た。そして、車椅子の上から俺に両手を差し出して笑う。
「ベッドに座らせて」
「ああ」
凛恋を車椅子から抱き上げてベッドに座らせると、凛恋が細く長いため息を吐いた。
「疲れた~」
「お疲れ。今日も頑張ったな」
「ご褒美にキスしてくれる?」
「ご褒美じゃなくてもする」
凛恋に軽くキスして唇を離そうとすると、凛恋が俺の首に手を回して唇を離させなかった。
凛恋に無言で求められるまま、長く静かなキスをした。そして、唇を離して凛恋と見詰め合う。
「私は大丈夫だよ。凡人くんが就職しても、毎日リハビリ頑張るから」
「凛恋……」
「当たり?」
「ああ。でも、凛恋のことが心配な訳じゃなくて、俺が凛恋と離れるのが嫌だ」
「毎日電話する」
「電話だけで寂しくならないかが――」
「私、早く歩けるようになる。歩けるようになったら、私が凡人くんに会いに行く。凡人くんが仕事で忙しくても、私が会いにいけば大丈夫」
「凛恋っ……俺も毎週会いに来るから。新幹線の定期買って、毎週凛恋に会いに来る」
凛恋に抱き付くと、凛恋が優しく笑って頭を撫でてくれた。
「凡人くんが甘えてくれて嬉しい。いつも私が凡人くんに甘えてるから、今日は凡人くんがいっぱい甘えて」
「御園先生がまた凛恋にちょっかいを掛けてくるかもしれない。それに凛恋は病院内でも可愛いって評判だし、他の男が――」
「もー、凡人くんネガティブ過ぎ。こんなに格好良い人は他に居ないよ。一目惚れした時のこと今でも思い出す。凡人くんの顔見た瞬間、時が止まったみたいな感覚がして、すぐに胸がドキドキして全身が熱くなって。もう凡人くん以外のことを考えられなくなったの」
うっとりした表情で俺の頬に手を添えて、凛恋は軽くキスした。
「凡人くん……ベッド入る?」
「良いのか?」
「大丈夫。今日はもう先生も看護師さんも来ないし」
凛恋に誘われるまま、ベッドに入って凛恋の隣に座る。
ベッドに入って凛恋に寄り添うと、凛恋が嬉しそうに笑った。
「甘える凡人くん可愛いっ!」
ベッドの中で手を繋いでくれた凛恋は、俺の肩に頭を置いて寄り掛かる。
「浮気しちゃダメだからね」
「しないって」
「凡人くんは私が男の人に好かれないか心配って言ってたけど、私はもっと心配なんだよ? 凡人くんは格好良いから絶対にモテるし」
「モテないよ」
「絶対に嘘。切山さんが来てくれた時に全部聞いたから。切山さんに筑摩さんに、神之木さんに露木さん、お見舞いに来てくれただけでも四人に好かれてる」
「萌夏さん、余計なことを……」
「凡人くんはモテるから、ライバル多くて大変だよって教えてくれたもん。だから、凡人くんを絶対に離さないようにするの」
指を組んで握った凛恋は、俺の頬に細かくキスをして下から上目遣いで見る。そして、何も言わずに熱いキスをした。
凛恋の首に手を回して引き付けながら、寂しさを掻き消すために凛恋とのキスに没頭する。
「凛恋……ヤバいって……」
「ダメっ……もっと……」
唇を離した途端、凛恋ががっつくようにキスをする。
俺に覆い被さりながら、凛恋がリクライニングのボタンを押してベッドを倒す。
「どうしよう。私、凄く大胆になってる」
「リハビリで動いたばかりなんだから」
「ちょっといちゃいちゃするくらいなら大丈夫だよ」
上から俺にしがみつく凛恋を下から抱きしめると、凛恋が真っ赤な顔をして俺を見た。
「凡人くんのエッチ」
「し、仕方ないだろ……。自分でもどうしようもないんだから」
「もうっ……でも、凡人くんが私のことをそういう風に思ってくれるのは嬉しい。…………一人でする時は、エッチなビデオじゃなくて私のこと考えてね」
「…………凛恋。俺を落ち着かせたいのか興奮させたいのかどっちなんだよ」
「だって……凡人くんが私以外の女の人の裸を見てドキドキするなんて嫌だもん」
「分かった。そういうやつは高校の時、凛恋と付き合い始めてから一度も見てないから大丈夫だ」
「そうなの!? 良かったぁ~。凡人くんがそういうの見てたらどうしようって思ってたの」
さっきまでしんみりとした雰囲気だったのに、凛恋のお陰で何だか気の抜けた雰囲気になっていた。
「私、凄く独占欲強いみたい。凡人くんが他の女の人の考えるのも嫌って思っちゃう……」
「俺も独占欲強いから大丈夫だって」
「私はちゃんと凡人くんのことだけ考えてるよ。私は凡人くんに一目惚れしてから、ずっと凡人くんのことしか考えてない」
俺にしがみつく凛恋は、俺の頭を荒く撫でて強く体を抱き寄せる。
「私も本当は寂しいし、凡人くんに毎日会えないのは辛い。でも……凡人くんは私が側に居てって言ったら、本当に居てくれちゃいそうな気がする。だけど、私は凡人くんにそういうことをさせる存在にはなりたくないの。お互いに支え合って助け合える関係になりたい。私は凡人くんの負担に――」
「凛恋が居たから俺はここまで来られた。だから、凛恋は負担なんかじゃない。俺の心の支えだよ」
「本当に?」
「本当だって」
「私、凡人くんに甘えてばかりだから、ちゃんと凡人くんを支えられる彼女になりたくて。でも、その前に体を治さないとって――」
「凛恋は今のままで十分俺のことを支えてくれてる。凛恋が俺に笑ってくれて、好きだって言ってくれることが凄く嬉しいし、毎日を生きる元気になる。だから、凛恋は今のままで良いんだ」
下から凛恋の頭を撫でて、凛恋の腰とお尻に手を回す。
「もー、凡人くんはエッチなんだから~」
「こんな可愛い彼女からベッドの中に連れ込まれたらそういう気分にもなる」
「だって……凡人くんとこうしたかったんだもん」
「なあ、凛恋」
「ん~?」
「凛恋が退院して一人で歩けるようになったら、エッチしたい」
「え?」
素直に自分の気持ちを伝えると、真っ赤な顔をした凛恋が微笑む。
「うん……私も凡人くんとなら。そ、その……私達、記憶を失くす前にもしてたんだよね?」
「ああ」
「私、自信がないから……上手く出来るか分からないけど……」
「大丈夫。優しくする」
「凡人くんのことは安心してるの。絶対に優しくしてくれるって分かるから。でも、ちゃんと凡人くんを満足させられるのかなって……」
「大丈夫。凛恋と一つになれるだけでめちゃくちゃ満たされるから」
「……な、なんかエッチする約束って恥ずかしいね」
「そうか? 付き合ってる頃は、よく話してたぞ。まあ、同棲してからはいつしようとかは言わなくなったな。エッチしようって誘うくらいで」
「私からも誘ってた?」
「誘ってくれてたぞ。誘う時のちょっと甘えた感じが可愛くて可愛くて」
「そうなんだ。その……私達って結構エッチしてたの?」
「毎日してた」
「ま、毎日!?」
「俺も凛恋も性欲強いからな」
「だ、だからなんだ」
「ん?」
恥ずかしがりながらも、何か腑に落ちた様子の凛恋を見ると、凛恋は恥ずかしそうにはにかむ。
「私……ずっと凡人くんとエッチしたいなって思ってたから。それに、凡人くんに触りたくて触りたくていっつもドキドキして……」
「俺もずっと凛恋に触りたかったし、今だってエッチしたい」
「ごめんね。まだ、体が上手く動かないから」
「分かってる。それくらい凛恋が大好きなんだ」
「私も凡人くんのこと大好き」
凛恋と抱き合うだけで心が満ちていくのが分かる。凛恋の想いが全身から伝わって幸せしか心が感じない。
「寝ちゃったか」
しばらく抱き合っていると、リハビリの疲れが出たのか凛恋が俺の上で可愛い寝息を立て眠り始めていた。
凛恋をゆっくりベッドに寝かせ、ベッドから出てしっかり布団を掛ける。
「凛恋……本当に良かった」
凛恋が事故に遭って危篤状態だと聞いた時、本当に目の前が真っ白になり、どうすれば良いのか分からなかった。でも、今凛恋は俺の目の前に居てくれて、俺のことを好きで居てくれる。
凛恋の頭を撫でながら凛恋を見ていると、いきなり凛恋が目を開けて焦った表情をした。
「ね、寝ちゃうところだった……」
「寝て良いんだぞ。今日もリハビリで疲れたろ」
「ダメだよ。せっかく凡人くんと居るのに寝ちゃうなんてもったいない。少しでも凡人くんと一緒の時間を過ごしたい」
「全く……めちゃくちゃ可愛い」
笑って凛恋のおでこにキスをして手を握る。
凛恋と離れるのは辛い。でもきっと、いつか絶対、俺は凛恋と一生離れない契りを交わす。
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