【三〇三《これから先、どうなるかは誰にも分からない》】:一
【これから先、どうなるかは誰にも分からない】
アルバイトが休みになると、一気に俺の心には余裕が出来てしまう。だから、いつもは忙しさで押しやっていた気持ちが、否応なしに心に突き付けられる。
凛恋は元気にしてるだろうか。凛恋に会いたい。以前ならそれが煩う程度のものだったはずなのに、今では焦りや不安が加わっている。
凛恋の側を離れたことは間違っていた。でも、間違ったからとやり直せないのが現実だ。間違ったら間違ったなりに、これから先のことを考えないといけない。
食事も睡眠もしっかり取れていて、仕事も追い込まれるほど余裕がない訳じゃない。
少しでも休みがあれば凛恋に会いに行きたい気持ちはある。でも、まだ行くべきじゃないと思ってしまう。
まだ、ちゃんと凛恋の負担にならないように会える自信がない。
また、凛恋の体調ではなく自分の気持ちだけで動いてしまわないか、それが不安だった。
俺は凛恋のことが本当に好きなんだ。本当に好きで好きで堪らなくて……凛恋のことを想うと冷静に居られない。
事故の加害者が来た時もそうだった。目の前で凛恋が侮辱されて我慢出来なかった。それを法律や道徳に背いたとは思っていても、凛恋を好きな男として引かなかったことは正しかったと思う。でも、冷静になれなかったことには違いない。
「……もう昼飯の時間か」
休みの日だからと言ってベッドでダラダラしてた訳じゃない。でも、ローソファーに全体重を預けてはいた。その体を起こして冷蔵庫に近付く。
休みの日の昼だからと言ってカップ麺で済ませる訳にはいかない。ちゃんとした食事を――。
昼飯を考えていたらインターホンが鳴って、俺は開いていた冷蔵庫のドアを閉めて玄関を開けた。
「凡人くん、こんにちは」
「理緒さん、急にどうしたんだ?」
「今日はアルバイトお休みでしょ? だから、一緒にお昼食べようよ」
「今、何か作ろうと――」
「だったら丁度良いじゃん。それにどうせ凡人くんは、ちゃんとしなきゃって自分を追い込む人だから、無理して休みの日は三食自炊しようって思ってるんでしょ? 自炊するのは良いことだと思うけど、そんな疲れた顔で包丁を持ったら怪我するよ」
「いや……でも……」
「材料も買って来たし、今日のお昼は焼きそばにしたよ。凡人くん焼きそば嫌いじゃないでしょ?」
「好きだけど……」
「じゃあ作っちゃうから座って待ってて」
強引に入って俺の背中を押した理緒さんは、さっさと台所で料理を始めてしまう。
「理緒さん、食事の心配なんてしなくても――」
「私は、凛恋が居ないうちに凡人くんにアピールしてるだけだから気にしないで」
「……理緒さん、俺は凛恋以外の人は好きにならない」
「先のことは分からないよ? 凡人くんにも、もちろん私にも」
もう何一〇回と繰り返してきたやり取りを終えても、振り返った理緒さんは明るい笑顔を浮かべて俺の話をまともに聞いてはくれない。
「今日は一日何する予定だったの?」
「家でゆっくりしようと思ってた。どこかに行く気は起きなかったし」
「そっか」
「理緒さんは?」
「朝早くは迷惑だろうから、お昼ご飯の時に凡人くんのところに行く予定だったよ。今のところ予定通り」
「ちゃんと睡眠も食事も取ってる。もう倒れるようなことは――」
「凡人くんは凡人くん自身のことに関しては信頼が全くないの。いざという時、凡人くんは真っ先に自分を犠牲にしようとするし」
「別に俺は自己犠牲なんて――」
「してるよ。昔っから、自分が傷付けば、自分が我慢すれば、何もかもが丸く収まって上手く行くと思ってる。でも、それで上手く行ってるのは凡人くんの周りだけだよ。凡人くん本人は上手くなんて行ってない」
料理をしながらピシャリと俺の言葉を否定した理緒さんは、野菜を炒めながら振り返る。
「今日の予定がないなら、凡人くんの一日を私にくれない?」
「どこか行きたいところでもあるの?」
「ううん。ただ凡人くんと一緒に居たいだけ。多分、外に行く気分じゃないと思ったから、行き掛けにDVDを借りてきたの。一緒に観ようよ」
「……まあ、DVDを観るくらいなら」
「残念だけど、エッチなやつじゃないよ?」
「そんなの観ないよ」
「凛恋に禁止されてるんだっけ? 私と付き合ったら全然観ても良いよ。むしろ、凡人くんと一緒に観て、凡人くんの好みとか知りたいかも。凡人くんがエッチの時にどんなことしてほしいとか」
「一緒に観ることはないよ。それに、理緒さんと俺は付き合わない」
「さっきも言ったでしょ? 先のことは誰にも分からないって」
俺は立ち上がってからかうように笑った理緒さんの隣に立つ。そして、理緒さんの邪魔にならないように皿やお茶の準備を始めた。
「萌夏、来週帰って来られそうだって」
「昨日インターネット電話で聞いた。でも、俺は帰れないから、俺の分まで凛恋に会ってきてくれって言っといた」
「そっか。萌夏、残念だっただろうな~、凡人くんに会えなくて」
「萌夏さんは凛恋のことを心配して帰ってくるんだ。別に俺に会えなくても――」
「好きな人には会いたいものだよ。特に、萌夏みたいにフランスに居てなかなか会えないなら尚更」
「俺は――」
「凡人くんが気持ちに応えられないことなんて関係ないの。好きなのはどうしようもないの。相手に彼女が居るから諦めるってことが出来る人ももちろん居る。でも、私も萌夏もそれが出来ないの。だけど、萌夏には常識と良心があるから凛恋から奪おうとしたり、好きな気持ちを凡人くんに押し付けたりしない」
「その言い方だと、理緒さんには常識と良心がないみたいだぞ」
「ないよ。いじめの仕返しのためにいじめてきた女子の彼氏取ってストレス解消してた女だよ? 常識と良心なんて持ってる訳ない」
「それは過去のことだろ。今の理緒さんはそういうことはしない」
「してるよ。今だって、親友だった人が事故で大怪我して記憶まで失って大変な時に、それを利用して親友だった人の彼氏を取ろうとしてる」
「理緒さんは俺に自分を責めるなって言うけど、理緒さんだって自分のことを責めてるだろ」
「私は自分のことを責めてないよ。確かに、過去に他人の彼氏を取って喜んでたのは人としてどうかと思う。それに、今は好きでもない人と付き合うことに楽しさなんて感じないし。だけど、彼氏を取る――彼女よりも私のことを好きになってもらおうとすることには何も悪いと思わない。略奪愛を嫌う人は居るけど、誰だって自分が幸せになりたいって思う。それに略奪愛になっちゃうから止めようって思う時点で、その人の好きは本気の好きじゃない。多分、こんなこと言ったら、沢山の人から『好きな人の幸せを願えないなんて』って言われるんだと思う。でも、今の私は好きな人を絶対に幸せにするつもりで好きな気持ちを貫いてる」
「そこまで思ってもらえるのは嬉しいよ。でも、俺の答えは変わらない」
コップにお茶を注ぎながら言うと、出来た焼きそばを皿に盛る理緒さんがクスッと笑う。
「分からないよ。これから先のことは誰にも」
昼飯を食べた後、理緒さんは借りてきたDVDをローソファーに座って見始め、俺も特にやることがなくてベッドの上に座って見る。そのDVDを二本見終えた頃に、外から大きな雷の音が聞こえた。
「雷?」
「あれ? 今日って雨とか降る予報だったっけ?」
窓際に行って外を見ると、まだ雨は降っていないが空にはいつの間にか真っ黒な雲が覆っていた。
「早めに帰った方が良いんじゃない? 傘は貸すから」
「そうだね。降られちゃったら面倒だし――ッ! キャッ!」
「危ないっ!」
DVDを止めて理緒さんが帰り支度を始めようとした時、外が眩しく瞬いて大きな雷鳴が鳴り響く。その音に驚いて、立ち上がり掛けていた理緒さんがバランスを崩し、とっさに理緒さんの肩に手を置いて支えた。
「あ、ありがとう」
「いや、結構大きかったから仕方ない」
理緒さんの体を支えていた手を離して窓の近くに戻ると、さっきまで全く降っていなかったのに、隣の家が霞んで見えるほどの大雨が降っていた。
「気付くのが遅かったか。ごめん」
「ううん。凡人くんが謝ることじゃないよ。天気予報ではこんな大雨になるって言ってなかったと思ったけど……」
「せめて駅まで送るよ」
「ありがとう」
理緒さんの支度が済んでから、俺と理緒さんは傘を差して外に出る。
頭の上から大きな雨粒が激しく傘を打つ音と、まだ遠くから鳴り響いている雷鳴が響く。
「さっきの雷、結構近かったよね。音も大きかったし、光ってから音が来るまで短かったし」
「ほとんど光と音の間がなかったから近くに落ちたかもしれないな」
「特別雷が怖いって訳じゃないんだけど、大きな音だからびっくりしちゃった」
「俺もビックリしたけど、理緒さんが転びそうだったから驚いてる余裕はなかったよ」
「ごめんごめん。でも、凡人くんに抱き寄せてもらって嬉しかった」
「抱き寄せた訳じゃないんだけど……」
「そういう妄想くらいさせてよ。でも、ありがとう。転ぶ前に支えてくれて」
理緒さんにからかわれながら駅まで行くと、駅の様子が少し騒がしかった。
少し困った様子で駅員と話していた男性が離れていくのを見て、俺は駅員に近付いて声を掛けた。
「何かあったんですか?」
「先ほどの落雷で設備が故障してしまって……」
「遅延ですか?」
「いえ……保全の方から復旧の目処が立たないので運休だと」
「運休ですか……」
さっきの雷はどうやら電車の設備に落ちたらしい。それで、電車が止まってしまった。
「凡人くん? どうしたって?」
「さっきの落雷で設備が故障して運休らしい。復旧はまだどうなるか分からないって」
「そっか……」
理緒さんは俯いてそう声を漏らす。でも、電車は使えなくてもバスがある。それに、たとえバスがなくったって最悪タクシーがある。
「バスの時間を見に行こう。まだバスがなくなる時間でもない、し……理緒、さん?」
歩き出そうとした俺の手を理緒さんが掴む。その理緒さんを振り向いて顔を覗き込むと、ゆっくりと理緒さんが顔を上げた。
「……今日、泊めてくれない?」
「えっ!? それは流石に……」
「でも、地震の時は泊めてくれたよね?」
地震の時は異常事態だった。それに、あの時は電車もバスもタクシーも全部止まっていたし、理緒さんを一人にするのは危ないと思った。でも、今は帰ろうと思えばいくらでも帰る方法はあるし、大きな地震があった訳じゃなく大雨と雷くらいだ。
「お願い……」
「理緒さん、俺は凛恋と付き合ってる。もう凛恋を不安にさせることはしたくないんだ。今、凛恋に記憶がなくて俺と付き合ってると思っていないとしても、凛恋が不安に思うようなことはさせたくな――」
俺の手を掴んだ理緒さんの手から感じる力は全く緩む気配がなかった。ただ、震えては居ないし怖がっている訳ではない。ただ、理緒さんは俺ではなく、俺の後ろを見ていた。
「理緒さん?」
理緒さんの様子がおかしいことに気が付いて、俺は理緒さんが視線を向けていた方向を見る。すると、そこには俺と理緒さんを見て立っている人が居た。
「筑摩さんだよね? 俺だよ俺。同じ放送部に内定してる」
「この前断ったはずです。私には好きな人が居るから付き合えないって。それに、貴方とは一度会っただけなのに」
「そんな堅いこと言わないでよ。俺、君が高校の頃に付き合ってたやつと同じ大学なんだ。だから君のことは――」
「あんた、誰?」
近付いて来た男に視線を向けると、その男は俺を見てニヤッと笑った。
理緒さんが俺の部屋に泊まると言い出したのは、目の前に居る男の姿を見たからだろう。それに、今までの会話を考えると、理緒さんは一度会っただけの男に告白されている。そして、その男は高校時代に理緒さんが付き合っていた誰かと知り合いらしい。きっとその高校時代に付き合っていた男は、理緒さんをいじめていた女子の彼氏だったうちの誰かだろう。
「俺? 俺は筑摩さんと同じテレビ局の放送部に就職するんだよ」
「それで? その同じ就職先に就職するあんたが理緒さんに何の用だ?」
「電車が止まって困ってるのかなって。同じ就職先のよしみだし、送っていってあげようかと――」
「私、彼の部屋に今日泊まるんで」
男と話していると、理緒さんがいきなり俺の腕を抱いて目の前の男に言い放つ。
理緒さんがそれを面倒な男を諦めさせるために言ってるのは分かる。だから、理緒さんのために否定したい気持ちを抑えた。
「でも、明らかに今から帰る――」
「本当は帰ろうと思ってたけど、電車も動かなくなってるし、あなたみたいな"変な男の人"に絡まれたら嫌だから」
鋭く男を睨み返した理緒さんに言われて、男は困惑したように少し身を仰け反らせた。
「凡人、行こ。泊まりになっちゃったからコンビニ寄って良い? 下着も買いたいし"アレ"も買っとかないと、さっき切らしちゃったし」
「…………」
「ね?」
「そ、そうだな……」
きっと、さっき切らしたと言っているのは、調味料か何かのことを言ってるんだろう。かなり勘違いをさせる言い方だが、俺はそうだと思った。
来たばっかりの駅から出て、理緒さんは差した傘の下に俺も入れる。
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