【二八七《確かな絆》】:二

「ただいま~」

「凡人、おかえりっ!」


 今日は凛恋の家に泊まる日で、俺はアルバイトから凛恋の家へ直行した。そして、インターホンを鳴らした瞬間、飛び出して来た凛恋に抱き締められる。


「凛恋、ただいま」


 凛恋の体を抱き締め返すと、凛恋に部屋の中へ引っ張り込まれ、ドアが閉じた瞬間熱いキスをしてくれた。


「朝、凡人がアルバイト行った瞬間から会いたかった」

「凛恋は寂しがり屋だな~」

「そうだよ。私、凡人が居ないと寂しくて死んじゃう!」


 靴も脱がずにしばらく凛恋と抱き合っていると、凛恋が下から俺を見上げてクスッと笑う。


「お腹空いたでしょ? 今日は豚のしょうが焼きだよ」

「やった! 一緒に準備しよう!」

「もちろん」


 いつも通り凛恋と一緒に夕飯の準備をしていると、俺のスマートフォンに電話が掛かってくる。


「あっ、お父さんからだ」


 画面には凛恋のお父さんの名前が出ていて、俺がその電話に出ようとすると、俺のスマートフォンを凛恋が引ったくって電話に出てしまった。


「凡人に言っても私の考えは変わらないから」

「凛恋?」


 何か電話の向こうのお父さんに怒っている様子の凛恋を見ていると、唇を尖らせた凛恋が俺にスマートフォンを差し出す。


「もしもし。お電話替わりました」

『凡人くん、アルバイト終わりの忙しい時間に申し訳ない』

「いえ。何かありましたか?」

『そうか。凛恋からはやっぱり何も聞いてないのか』


 電話の向こうで小さく息を吐きながらお父さんが言う言葉を聞き、俺は視線を凛恋に向ける。すると、凛恋が俺の体に手を回してしがみついて来た。


『昨日の地震で、そっちは結構な被害が出たそうだね』

「はい。電車もまだ一部の路線で止まってるところもありますし、断水停電が続いてるところもあります。でも、凛恋と俺の生活圏内は幸いにもあまり影響が出てません」

『そうなのか。でも、私としては少し心配でね。小さな余震も続いているみたいだし、また大きな地震が来てもおかしくない。それで、凛恋ももうほとんど大学には行く必要がないみたいだし、一度こっちに帰って来てほしいと思ってるんだ』


 そのお父さんの話を聞いて、凛恋の反応に納得がいった。


『ただ、凛恋はどうしても帰りたくないと言ってね。凡人くんから離れたくないそうだ』


 少し笑い混じりのお父さんの声を聞いてから凛恋を見ると、少し顔を赤くした凛恋が頬を膨らませた。


「凡人と離れるなんてヤダ」

『凡人くんからも、一度こっちに戻るように言ってくれないか?』


 凛恋とお父さんの間で板挟みにされた俺は、下から見上げる凛恋の目を見返す。


『凡人くんの側に居させるのが心配な訳じゃないんだ。単純に危険の可能性のある場所に娘を居させるのが心配なんだ』


 大きな地震の余震は大きいものが多いし、小さい余震も頻発する。実際、小さい余震は何度かあった。だから、お父さんの心配は当然だ。


「凛恋と少し話して――」

「パパ? とにかく私は帰らないから! じゃあね!」


 凛恋が勝手に俺のスマートフォンを奪い取って電話を切ると、ギュッと強く俺の体を抱きしめる。


「離れちゃダメなの。離れたら……凡人が田畠さんに盗られる」

「盗られないって」

「盗られる! だって……凡人は田畠さんのこと気になってるって……」

「凛恋、俺が好きなのは凛恋だ。凛恋が一番大好きで大切なんだ」

「凡人の気持ちを疑ってる訳じゃないの。でも、凡人と離れるのは絶対に間違いだって分かってるから。私と凡人は絶対に離れるべきじゃない。離れると私の方が不安になって、凡人のことを傷付けちゃう。それで一度失敗してる。だから……だから離れたくない……」

「俺も嫌だよ、凛恋と離れるのは。でも、もし俺がお父さんの立場だったら心配で心配で仕方ない。凛恋だって、もし地元で大きな地震があったらお父さんお母さんのことは心配だろ?」

「それは……そうだけど……」


 凛恋は家族のことが大好きだ。そんな凛恋が心配しない訳がない。だから、凛恋はお父さんの気持ちが痛いほど分かるに決まってる。


「……一日だけ。一日だけ帰って顔見せて安心させたらすぐに戻ってくるから」

「そうだな。お父さんお母さんも、一度元気な顔を見られれば安心出来るだろう」


 凛恋の頭を撫でて言うと、凛恋は俺の胸に顔を埋める。


「でも……凡人と離れるのは寂しい。やっぱ、私は凡人が居ないとダメだもん」

「俺も凛恋が居ないとダメダメだ」


 少ししゃがんで凛恋の顔を真正面から見て、俺はそっと凛恋の唇にキスをする。そして、更にキスを続けようとすると、赤い顔の凛恋が俺の肩を押す。


「ご飯食べてお風呂に入ってから。スイッチが入っちゃったら抑えられなくなるし」

「お預け食らった~」

「私も我慢するんだから凡人も我慢してよ。ほら、さっさと食べちゃお」


 凛恋に急かされて、俺は凛恋が作ってくれた夕飯をテーブルまで運ぶ。


「ねえねえ凡人」

「ん?」

「今日は全部食べさせ合いしよ。……行儀悪いしダメ?」

「良いぞ。でも、二人だけの秘密な」

「うん! ありがとっ! じゃあ食べよっか。いただきますっ!」

「いただきます」

「はい。凡人、あーん」

「あーん」


 凛恋が箸で俺の口に豚のしょうが焼きを差し出し、俺は口を開けてそれ食べる。すると、すぐに凛恋は俺の茶碗を持って白飯を箸で食べさせてくれた。


「凡人美味しい?」

「めちゃくちゃ美味しい。凛恋の料理は本当に最高だな。それにしても、またタレを手作りしたのか?」

「だって、今日は何も予定なかったし。凡人は忙しい時に手抜きはしてって言ったから、暇な時は凡人のためにしっかり料理したかったの」

「まあ、凛恋の負担にならないなら――」

「大好きな凡人にご飯を作るのが負担になる訳ないじゃん! 私は凡人のために料理するのチョー楽しい。ほら、凡人も食べさせて」

「はい。あーん」

「あーんっ! チョー美味しい!」


 すぐ隣でニコニコ笑いながらべったり俺にくっつく凛恋を見て、俺は凛恋にキスしたい衝動に駆られる。でも、流石にそれは自重しようという理性が働いた。

 俺も凛恋と一緒に帰れれば良かったのだが、今は編集部の仕事に遅れが出ている。編集部には何度もお世話になったし、大学を卒業してもお世話になることになる。だから、急に私用で迷惑を掛けることはしたくなかった。


 凛恋と夕飯を食べ終えて、一緒に風呂に入る。

 風呂に入ると、凛恋が「洗いっこしよう」といつも通りに背中を流してくれて、俺も凛恋の体を丁寧に洗った。


「ほんと、同じ人間のはずなのに、俺と凛恋の肌って全然違うよな。凛恋はすべすべしてて柔らかいけど、俺のは硬いって言うか」

「私は凡人の肌の感触大好きだよ? 男らしくてすっごい安心する」

「そう?」

「うん。一緒に寝ててほっぺたをピタって付けると凄くホッとするの。凡人がすぐ近くに居てくれるって安心出来るし」

「俺も凛恋の感触、大好きだ」


 後ろから抱きしめながら言うと、凛恋が振り返りながらニヤッと笑う。


「凡人が言うと、なんかやらし~」

「なんでだよ」

「だって、凡人チョーエッチじゃん。家で私のパンツを見ようとするし、今だってさり気なくおっぱい触ったし、ご飯食べてる時なんか、キスしたい~って目で私をじーっと見てるし」


 凛恋に色々指摘されて、若干凹みかけた時、凛恋が軽くキスをする。そして、可愛らしくはにかんだ。


「そんな凡人がチョー可愛くて大好き」

「凛恋もエロいしな」

「たとえば?」

「キスが長い」

「それは凡人のキスが上手いから凡人のせいだし」

「他には俺にわざとパンツを見せてくる」

「だって凡人が見たそうな顔をしてるし」


「あと昨日の夜は――」

「あーッ! 昨日の夜はちょっとどうかしてた! 希が居るのに、凡人のベッドに入り込むなんて……」

「入り込むだけだったっけ?」

「……ごめんなさい」

「希さん、気付いてなかったか?」

「うん。それは大丈夫だった」


 形勢を上手く逆転出来て、俺は凛恋の手を引いて湯船に浸かる。


「でも、凛恋がエッチな女の子で良かった。俺は凛恋とだから上手く付き合えてると思うよ。女の子ってエッチとか好きじゃないイメージがあるし」

「女の子がエッチじゃないって話は違うと思うけど、凡人と相性バッチリなのが私だけなのは絶対」


 湯船の中で俺に甘えるように寄り添う。


「早く卒業したい。そしたら、すぐにでも凡人と結婚出来るのに」

「俺も凛恋と早く結婚したい。そしたら、今よりも凛恋を守れる」


 凛恋の左手の薬指に触れると、凛恋も俺の左手の薬指に右手で触れる。


「今でも十分凡人は私を守ってくれてる。それに、焦ってるのは私の方。田畠さんも居るし、巽って子のこともあるし。理緒も萌夏も露木先生もステラも。沢山、凡人のことを狙ってる人は居る。その人達に凡人を盗られないようにって私が焦ってる」

「不安にさせてしまってごめん。でも、俺が好きなのは凛恋だ」


 凛恋の寂しそうな声に俺は胸の奥をギュッと締め付けられる。

 俺には凛恋しか居ない。今まで、沢山の試練を寄り添って一緒に乗り越えてくれた凛恋しか俺には居ないんだ。だから、これからも俺は誰よりも凛恋を大切にしていかないといけない。そう、心から思って、強い誓いを持った。




 凛恋が地元に戻った日も、俺は相変わらずレディーナリー編集部での仕事に追われた。

 地震から数日経って、編集部内はすっかり元通り綺麗になり、仕事もほとんど元通りという進行スピードに戻っていた。ただ、滞っていた分の仕事もあり、俺は毎日いつも以上に残業が長くなっている。


「田畠、多野」

「はい」

「家基さん、何かありましたか?」


 今日も遅くなりそうだと思っていると、家基さんが俺の後ろから両肩を掴んで俺と美優さんに声を掛ける。


「二人とも今日は定時で上がりなさい。地震の後からみんないつも以上に泊まり込みが増えてるし、少し順番に早く帰らせないと色々まずいのよ。だから、今日は田畠と多野は定時ね」

「良いんですか?」

「何言ってるのよ。今回の片付けで多野には人一倍力仕事を頑張ってもらったし、仕事の遅れもほとんど多野のお陰で取り戻せたんだから、今日は彼女ちゃんとゆっくりしなさい」

「そうしたいんですけど、彼女は地元に帰ってて居ないんですよ」

「そうなの?」

「彼女の両親が地震で心配してるから一度帰って来てほしいって言われて」

「まあ、それでも一人をまったりしなさい。ちゃんと休むのも大切よ。田畠もそう言うことだから帰りなさい」

「ありがとうございます。お言葉に甘えて、上がらせてもらいます」


 美優さんもそう答えて、俺にニコッと笑って片付けを始める。

 全ての片付けを終えてからタイムカードを押して編集部の外に出ると、廊下で立っている百合亞さんが見えた。そして、目が合った百合亞さんは俺に駆け寄って来て微笑む。


「凡人さんも定時上がりだって聞いて待ってました。同じ方向ですし、一緒に帰りませんか?」

「良いよ」


 駅まで一緒に行って百合亞さんが降りる駅まで一緒に電車に乗るだけ。それを都合良く断る言い訳を思い付かなかった。


「凡人くん、良かったまだ居――……」


 俺の後ろから廊下に出て来た美優さんが百合亞さんを見て言葉を止めた。


「田畠さん、すみません。凡人さんには私が先に声を掛けたんで」

「凡人くんは迷惑してるんじゃないかな。会社でいきなりキスするような子に声を掛けられて」

「そんなことありませんよ。凡人さんは優しく良いよって言ってくれましたよ?」


 淡々とした口調で話す美優さんと、ニコニコと笑って話す百合亞さん。その二人の雰囲気は悪い。

 百合亞さんが俺にキスをした日から、二人の雰囲気は良くない。俺からは特に、美優さんが百合亞さんを嫌っているように見えた。


「凡人くん、住んでるアパートが同じだし一緒に帰ろうか。どうせ、巽さんと一緒なのも巽さんが降りる駅までなんだよね?」

「そうですよ」

「じゃあ、私も一緒に帰って良い?」

「もちろん良いですよ」


 希さんから、凛恋を不安にさせるようなことはしないように言われた。でも、百合亞さんだけ一緒に帰って良くて、美優さんはダメと言うのもおかしい。それに、美優さんと一緒なら百合亞さんと二人きりにされなくて済む。


「凡人さんが良いなら私は良いですよ」


 百合亞さんは変わらぬ笑顔で答えて俺の隣に並んだ。


「凡人さん、今日は彼女さんが居ないんですか?」

「ああ。地元に帰ってるんだ」

「そうなんですか。じゃあ、今日は一人でご飯を食べるんですか?」

「そうだね。適当に済ませるつもりだよ」

「じゃあ、一緒に食べて帰りませんか?」

「ごめんね。彼女を心配させたくなくて」

「ご飯食べるくらい良くないですか? それに彼女さんがこっちに居ないならバレないですよ」

「巽さん、凡人くんに迷惑掛けないで」


 エレベーターに乗り込んだところで、美優さんが冷たい目を百合亞さんに向ける。


「私は凡人さんとゆっくりお話したいだけですよ。いつも仕事のことしか話す時間がないですし」

「俺は面白い話は何も出来ないよ」

「そんなことありませんよ。私は凡人さんのこと、もっと知りたいんです」


 隣から顔を覗き込む百合亞さんは、俺越しに美優さんの方を見てクスッと笑った。

 エレベーターを下りてビルを出て駅まで行く間、隣で百合亞さんがずっと話をしていた。内容は俺が休みの日に何をしてるかとか、美味しいご飯のお店を教えてほしいとか、そういう話だった。


「やっぱりこの時間は混んでますね」

「そうだね。今丁度帰宅ラッシュの時間だし。二人は女性専用車両に――」

「凡人さんと一緒が良いです」「私は凡人くんと一緒に乗るよ」

「分かりました。丁度来ましたし乗りましょう」


 二人とも一緒に乗るということで、俺は帰宅ラッシュで大混雑している一般車両に乗り込む。


「美優さんと百合亞さんは壁際に立って」

「ありがとう」

「ありがとうございます。凡人さん、いつも電車で守ってくれますよね」

「女性が辛い思いをするのを見るのが嫌なんだ」

「凡人さん、優し~」


 人混みの中で百合亞さんが俺の手を掴む。その手から逃れようとしたが、人混みで上手く腕を動かせない。


「凡人さん? どうかしました?」


 指を組んで手を握る百合亞さんが素知らぬ顔で首を傾げる。そして、クスッと笑いながら指を絡めた。


「いや、なんでもないよ」


 電車を下りるまでこのままのつもりなんだろう。でも、手を繋がれただけで特に何も感じない。いや、感じることはある。大切な凛恋という彼女が居るのに、手を繋いでくるなんて迷惑だという感情だ。


「凡人く――」


 百合亞さんの隣に立っていた美優さんが話し掛けてきた瞬間、電車内の明かりが突然消えて激しい揺れと急ブレーキの音を聞いた。そしてすぐに、俺は後ろから伸し掛かってきた人混みに押し潰された。

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