【二八一《墜ちた先には》】:一
【墜ちた先には】
栄次が来ると言ってた休日の夕方。俺は待ち合わせ場所にしてる駅前で栄次が来るのを待っていた。しかし、その待ち合わせ場所には、栄次だけじゃなくて希さんも一緒に来た。
「希さん?」
「こんばんは。栄次は二人でって言ったみたいだけど、私も同席させて」
「良いよ。でも、希さんも一緒なら凛恋も呼ぼうか」
「ダメ。今日は三人で話がしたいの」
「希さん? どうしたんだ?」
希さんの表情は全く和やかじゃなくて険しい。それに口調も重く厳しかった。
「栄次、ちょっと良いか?」
「ああ……」
少し希さんから離れて俺は栄次と向かい合う。
「希さん、何か怒ってないか?」
「いや……怒ってはないんだ。ただごめん。希にカズの相談事を話したんだ」
「勝手に話したのはどうかと思うけど、希さんに話せないような話じゃないしな。まあ、女性の意見も聞けるなら良いか」
栄次から顔を希さんに向けると、俺の顔を見た希さんは俯いた。さっきは怒っているように見えたが、今は何か落ち込んでいるように見える。
とりあえず、栄次に指定された通りのゆっくり話せて飲み代が安いという条件で選んだ店へ向かう。
座敷席の個室で飲み物と料理を頼み終える。それで軽く乾杯でもしようとグラスを持つと、正面で栄次と並んで座っていた希さんが口を開いた。
「凡人くん。凡人くんが、話せなくなった社員さんって誰?」
「ああ、希さんはモデルのバイトで顔を合わせたことあるのか。田畠さんだよ」
「凡人くんは田畠さんとどうなりたいの?」
「どうなりたい? 仕事に支障が出るといけないから、前みたいに話せるようになりたいって思――」
「それって、凡人くんは今より田畠さんと仲良くなりたいってことだよね?」
「仲良くなりたい? いや、普通に仲は良いとは思うよ。今はちょっと気まずい感じだけど」
「希、ちょっと抑えて」
質問に圧のある希さんを栄次が制するが、栄次の表情は険しい。
待ち合わせの時から二人の態度はちょっとおかしかった。でも、一番おかしいのは希さんだ。
希さんが相手の話をろくに聞かず自分ばかり話すなんてことは滅多にない。多分、今の希さんには冷静に話を聞く余裕がないのだ。その、余裕がない理由は全く分からないが。
「カズは、その田畠さんって人のことをどう思う?」
「どう思うって、良い人だと思うぞ。仕事に対して真面目だし」
「そうか……」
「そうかってなんだよ。何か二人ともおかしいぞ? まあ、田畠さんと普通に話せるようになれれば良いんだけど――」
「私は話せなくても良いと思う。今の時点で仕事に支障は出てるの?」
「いや、今は出てないけど、今度座談会をする機会があるから、その時に自然に会話出来ないと仕事に影響が出るし」
「そこは、後から編集で上手く出来ないの?」
「でも、編集長からは自然な方が良い記事になるって言われてるし」
「だからって、凛恋以外の女の人と仲良くなろうとするなんて浮気だよ」
「浮気!? いや! 俺、そんなつもりなんてないって! 普通に仕事し辛いし、やっぱり今まで仲良く出来てた人だから、こんなことで田畠さんと気まずくなったら悲しいし」
「凡人くんは凛恋と田畠さんのどっちが大事なの!? 凡人くんは――」
「希っ! ちょっと黙っててくれ!」
そう声を荒らげた栄次に、俺は目を見開いて驚く。栄次が希さんに大声を上げるところなんて見たことがない。
「約束しただろ。突っ走らないでカズの話をちゃんと聞くって。それに何を聞いても冷静にするってのも約束した。だから連れてきたんだぞ」
「だって! 凡人くんの言ってることって――」
「本人にまだ自覚がないんだよ。カズのこと見てればそれくらい分かるだろ」
「そうだけど! 私は――」
「希、ごめん。やっぱり帰ってくれ」
その栄次の強く鋭い言葉に、俺はテーブル越しに栄次の腕を掴む。
「栄次、そんな言い方しなくて良い。希さん、俺の何が希さんを怒らせてるのか分からないけど、帰らなくて良いから」
「……帰る」
「希さん! 栄次! 何で追い掛けないんだよ!」
店を飛び出した希さんを追おうとするが、栄次に腕を掴まれて首を横に振られる。
「サシで話がしたかったんだ。座れよ」
「ダメだ。今日はなしだ。今すぐ希さんを追い掛けろ」
「座れって言ってるだろ。希なら大丈夫だ。今の希はどうしても冷静になれないだけだ。ちゃんと時間を掛ければ自分で整理が出来る。俺は希を信じてるから」
「……ったく、どうして希さんは怒ってるんだよ」
俺の話を聞いてもらうはずだったが、俺のことより希さんの方が気になって仕方がない。
「希にカズから聞いた話をしたんだ。それで、希も俺も同じ意見だった。……カズが、その田畠さんって人を好きになったって」
「…………は? 俺が田畠さんを好きになった? そんな訳ないだろ。俺には凛恋が居るんだぞ?」
「人を好きになるって、自分の状況は関係ないんだよ。カズは今まで普通に話せてた田畠さんと上手く話せなくなった。それに面と向かって話すのが恥ずかしくなった。それって、田畠さんを意識してるからだろ。だから話せなくなった」
「いや……でも、俺は凛恋が好きだ。凛恋以外を――」
「カズは今、心に好きな人が二人居る状態なんだよ」
「好きな人が二人?」
栄次に指摘されて、以前田畠さんの笑顔を見た時に感じた、時が止まる感覚を思い出していた。俺はその感覚と同じ感覚を凛恋と付き合う前に感じて、それで俺は凛恋を好きになったと気付いた。
「そんな……そんなはずない! 俺は凛恋のことが好きなんだ!」
「俺も凛恋さんに対するカズの気持ちは本物だと思う。でも、カズは確実にその田畠さんのことが気になってるんだ」
「確かに田畠さんは可愛い人だと思う。でも、ただそれだけなんだ。俺は浮気なんて……」
「カズ。俺は希と付き合ってから他の人を好きになったことはない。でも、世の中には彼女が居ても他の人が気になってしまう人も居る。それはカズが浮気性だってわけじゃない。それはもう、仕方ないことだと思うんだ。やっぱり、良い人とか魅力的な人には自然と好意が向くものだし、人を好きになることは本人にも誰にもコントロール出来ない」
「…………」
田畠さんを好きになった。でも、俺は凛恋を好きになった時、はっきりと凛恋を好きになったと分かった。あの時と今は全然感覚が違う。
「凛恋を好きになった時ははっきり凛恋を好きになったって分かった。でも、今は田畠さんのことを好きだなんて……」
「だから、気になり始めた頃なんだよ。それが分かってたから、俺はカズに話をしに来たし……希はカズの田畠さんに対する気持ちを消そうとしたんだ。希にとって凛恋さんは一番の親友だ。その凛恋さんの幸せを守るためには、カズが田畠さんに本気で好きになる前に止めないといけない」
「栄次は希さんと考えが違うのか?」
栄次の口振りは、まるで希さんと自分の考えが違うという風な口振りだ。なら、栄次は今、どういう思いで俺と話しているんだろう。
「俺は希と出会う前、中学の時に彼女が居たことがある。だから、今まで好きになった人が凛恋さんだけのカズと違って、俺は今まで好きになった人が何人も居る。もちろん、付き合えた人だけじゃなくて片思いの人も含めれば何人も居るよ。だからこそ、俺は今までで一番希を好きだって言えるし、俺に合ってる人は希だって言える。だから……俺は、カズが本気でその田畠さんを好きになれたら、凛恋さんより好きだって言えるくらい好きになれたら、それはカズのためになると思う。むしろ、俺はカズが本気で好きだって言える人と幸せになってほしい」
「俺が本気で好きなのは凛恋だけだ」
「それでこのまま何事もなければそれで良いんだ。でも、俺は希みたいに、カズの好きな気持ちを消そうとは思えない。……でも、カズには希の気持ちも分かってほしいんだ。希は本当に凛恋さんのことが大好きで、だから――」
「分かってる。それに、俺が本当に女の子として好きなのは凛恋だよ。栄次は何だかんだ言ったり、希さんは心配したりしてるけど、それは杞憂だって」
「……まあ、カズがそう言うなら俺はこれ以上言わない。俺はカズの親友だから、カズが自分で選んだ選択が一番良いって思うし」
栄次はそう言ってやっと料理に手を付け始めた。でも、俺は料理にも飲み物にも口を付ける気になれなかった。
栄次と別れて俺の部屋に戻ると、テーブルに両腕を置いて座っている凛恋の姿が見えた。その凛恋は、俺を見てふらっと立ち上がり……俺の体に両手を回した。
「…………いつか、こんな日が来ちゃうんじゃないかって怖かった」
「凛恋……」
「凡人に好きって言う人が増える度に、ずっと不安だった……」
「凛恋……希さんから聞いたのか?」
「うん……栄次くんにも凡人にも黙っててって言われたけど……まだ気になるってだけだからって言われたけど……凡人が帰って来たら、笑っていつも通り出迎えて、いっぱいラブラブして、それで凡人の気持ちを私に向け続ければ良いって思ってたけど……ごめんっ、凡人の顔を見たら……ダメになったっ……」
胸に顔を埋めた凛恋を抱きしめ返す。
「凡人……田畠さんのこと……好きにならないで……お願い……私、凡人が居なくなったら……」
「俺が好きなのは凛恋だよ。栄次と希さんはちょっと想像が飛躍してるんだ。色々気まずいことが立て続けにあって、田畠さんと話しづらくなってるだけなんだ」
「……うん」
「全く……希さんも凛恋をこんなに不安にさせて」
「希は悪くないの。希は、早く知らせないと手遅れになるって思ってくれただけだから」
俺にしがみつく凛恋の顔を見ると、凛恋の潤んだ目にすっと心を引き込まれる。それで、自然と凛恋の背中とお尻に手を回していた。
「凛恋……俺、そこそこ酔ってるからヤバい」
「うん。一緒にお風呂入ろっか。お湯湧かして――」
「今日はシャワーで良いよ。……お湯が沸くまで待てない」
お湯を沸かしに行こうとした凛恋の腕を引っ張って引き戻し、凛恋のシャツを捲り上げて脱がす。その後、その場にしゃがみながら凛恋が穿いていた部屋着のズボンも下ろした。
上下揃いの白い下着。俺は一度立ち上がって凛恋のブラのホックを外しながらキスをした。
「あっ……凡人、くすぐったい」
ホックを外した後に指先で凛恋の背中の上に指をスーッと滑らせる。すると、凛恋が恥ずかしそうに可愛い声を出した。それで、心の奥がゾクッと震える。
凛恋に確認することなく、俺はまたしゃがんで今度は凛恋のパンツに手を掛ける。そして、ゆっくりパンツを下ろしながら上を見上げると、真っ赤な顔をして両手で胸を隠す凛恋が見えた。
「凡人? 今日、ちょっとエロくない?」
「凛恋が恥ずかしがってるところが見たくなって」
「もうっ……」
「凛恋は脱がしてくれないのか?」
「ううん。私が脱がす」
凛恋が俺の服を優しく脱がしてくれて、俺は凛恋の手を引いて浴室に入った。そして、浴室に入った瞬間、室内に充満した湿気たっぷりの熱気に、僅かに残っていた理性をより薄められた。
「んんっ……んっ……」
凛恋と指を組んで手を握り、浴室の壁に凛恋を追い込みながら、俺はがっついて凛恋の唇を塞ぐ。そして、深く熱いキスで凛恋を求めた。
帰ってきた瞬間の、不安な顔をした凛恋を見てもうダメだった。そんな不安そうな凛恋を見ただけで、もう俺の理性はほとんど吹き飛んでた。
栄次は俺が凛恋以外の、田畠さんを好きになった、気になってるなんて言った。でも、俺の持っている好きは全て凛恋にしか向けられていない。それが俺には確信出来る。
俺が付き合いたいと思うのは凛恋で、俺が将来結婚したいと思うのも凛恋。服を下着まで脱がして恥ずかしがる顔を見たいのも凛恋で、浴室で強引にキスをしたいと思うのも凛恋だ。それで、風呂から上がったら早く一つになりたいと気持ちが急くのも凛恋だ。
「凡人っ……ヤバいっ、もうのぼせちゃいそう」
「じゃあ、シャワー温めにするか?」
「うん……」
シャワーヘッドから出るお湯を温めに調節して凛恋の体に掛ける。すると、凛恋は俺の手からシャワーヘッドを奪い取って俺の体に掛け、俺の首筋に強く吸い付いた。そして、首以外にも鎖骨の近くに強く吸い付く。
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