【二八〇《懸案》】:一

【懸案】


 久しぶり飾磨から電話があって喫茶店に呼び出されたと思ったら、テーブルの向こうに座る飾磨が俺を睨み付けた。


「多野。理緒ちゃんと何があった」

「何もない」

「ったく……全くこれっぽっちも話す気ないって顔だな」


 ソファーに背中を付けた飾磨は、足を組んでコーヒーを気取った感じで飲み。ゆっくりカップをソーサーの上に置くと両腕を組んだ。


「理緒ちゃんに電話を掛けたら無視された」

「……それの話のどこに、俺が理緒さんと何かあったって話になる要素があるんだよ。飾磨が嫌われてるだけじゃないのか?」

「ああそうとも。俺は理緒ちゃんに告って、私には凡人くんしか見えてないからって玉砕を食らったからな。それに、飾磨くんは軽薄だから私のタイプじゃないとも言われた」

「どっちかと言うと、後半の方が玉砕を食らってるだろ」

「今は俺の話はどうでも良いんだよ。でも、今まで理緒ちゃんは俺の電話を無視したことはないんだ。誘いを断るにしても、ちゃんと電話に出てくれてバッサリ断ってくれてた。だから、電話して無視するってことは何かあるってことだろ?」

「それって、いつの話だ?」

「つい今さっき」

「それを先に言え!」


 俺は慌てて席から立って喫茶店を飛び出す。そして、真っ直ぐ理緒さんの部屋に向かって走った。

 理緒さんの部屋に向かう途中、スマートフォンで理緒さんに電話を掛ける。その電話はすぐに繋がった。


「凡人……くん」

「理緒さん!? 何かあったのか? 飾磨が電話に出ないって言うから」

「電話に出る気が起きなかっただけ。でも、今の電話は凡人くんだったから」

「体調が悪いのか!?」

「少し食欲がなくて……」

「分かった。何か食べたい物とかあるか!?」

「ゼリーとかなら食べられるかな……」

「ゼリーだな。すぐに行くから」

「凛恋には言ったの?」

「今から電話する」

「そっか……ダメって言われたら来なくて良いから」

「理緒さん!? 切られた……」


 電話の向こうの理緒さんは明らかに元気がなかった。

 理緒さんとの電話が切れてすぐ、俺は凛恋に電話を掛けた。


『凡人、飾磨くんとの用事は終わった』

「凛恋、今から理緒さんのところに行ってくる」

『理緒、何かあったの?』

「飾磨の電話に出なかったらしくて。それで俺が電話したら体調が悪そうだった」

『良いよ。心配なんでしょ? 理緒との用事が終わったら連絡して。私、凡人のこと信じてるから、そんな走りながら電話しなくても大丈夫よ』

「凛恋、本当にありがとう」


 凛恋にお礼を言って、俺は途中にある洋菓子屋でゼリーを買ってから理緒さんの部屋に走る。

 理緒さんの部屋の前に立ちインターホンを鳴らすと、すぐに部屋のドアが開いた。


「凡人くん、ありがとう……」

「理緒さん、体調を崩してたなら教えてくれても良かったのに」


 玄関に出て来た理緒さんは熱っぽい顔をしていた。


「どうして教えてくれなかったんだ?」

「凡人くんに風邪をうつしちゃうでしょ。どんな手を使うって言っても、私のせいで凡人くんが風邪を引くなんて嫌。って思ってたんだけど、凡人くんの声を聞いたら甘えたくなっちゃった」

「とりあえずゼリーを持って来たから」

「ありがとう。……入って」


 手を引かれて部屋の中に入ると、理緒さんは俺を見上げてクスッと笑った。


「部屋、慌てて換気したんだけど臭わない?」

「大丈夫」

「お風呂はちゃんと入ってるけど、汗掻いちゃって。凡人くんが来る前に可愛いパジャマに着替えたの」

「理緒さん、無理に元気な振りしなくて良いから」

「ありがとう。でも、凡人くんが来てくれたから元気になれたの」


 部屋の奥に入ってテーブルの上に買って来たゼリーを置くと、理緒さんが俺の腕を掴む。


「凛恋はダメって言わなかったんだ」

「凛恋は俺のことを信じてくれてる」

「そうなんだ。まあ、私は自由にさせてもらうけど」


 俺の腕を掴んでいた理緒さんの手が俺の手を握る。


「風邪薬を飲んだんだけど、結構長引いちゃって。でも、単位取り切ってて良かっ――」

「理緒さん!」


 ふらっと倒れそうになった理緒さんの体を支えると、理緒さんは目を閉じて息を荒くする。余裕がある風に装っているが、かなり体調が悪いのが分かる。

 理緒さんをベッドに寝かせてから、ゼリーを冷蔵庫に仕舞う。

 ベッドで横になる理緒さんの額に途中で買ったきた冷却シートを貼る。


「ごめんね……」

「俺は理緒さんの友達だからな。友達が苦しんでる時には駆け付けるのが友達だ」

「良いの? 私は凛恋と友達を辞めたんだよ? それなのに……私に構うなんて」

「俺は理緒さんを友達だと思ってる。凛恋は、体調の悪い友達を見捨てるやつなんて好きで居てくれない」

「凛恋なら……どんな凡人くんでも好きで居ると思うけど?」

「理緒さん。俺は凛恋が好きなんだ」

「病人に追い討ち掛けに来たの?」

「ちゃんとはっきりさせておこうと思って」

「でも、それももう何度も凡人くんから聞いたけど」


 ベッドに横になりながら、理緒さんは乾いた笑いを浮かべた。


「萌夏と電話で話す時、よく冗談で話すんだ。なんで日本は一夫多妻じゃないんだろうって」

「俺は理緒さんも萌夏さんも友達だと思ってる」

「一夫多妻だったら、争わなくて良いでしょ? みんなが凡人くんと結ばれても悪く言われないし、お互いに罪悪感も持たない」


 額に貼られた冷却シートを手で撫でた理緒さんは天井を見上げる。


「私は凡人くんのこと諦めてないよ。昨日だって凡人くんのことをずっと考えてた。それに病気で寝てると色々考えて悶々ともしちゃう」

「俺は理緒さんを友達だと思ってる」


 理緒さんと俺の会話は噛み合わない。でも、理緒さんはわざと会話を噛み合わないようにしている。そんな気がした。


「萌夏は口では諦めてるけど、気持ちは全然諦めてない。萌夏は略奪される辛さを知ってるし、萌夏はフランスと日本で距離が離れてることもあって凡人くんに積極的になれない。でも、私は略奪される辛さも知らないし、距離もいつだって会いに行ける距離。この距離に来たのは、私からだけど」

「理緒さん、俺が居ると安静になれないから……」

「それに、凡人くんはもう人を見捨てられない。凡人くんは人を見捨てることで傷付いて、人を見捨てる怖さを知った。だから、未だに私のことを友達って言葉で見捨てずに居てくれてる」

「…………」

「私はまだ、凡人くんにそんな心の傷を作った凛恋のことを心から許せてない。たとえ、凡人くん本人が凛恋のことを受け止めたとしても」

「理緒さん……理緒さんは俺に嫌われようとしてないか?」

「……どうしてそう思うの?」


 初めて噛み合った言葉を発した理緒さんは、ベッドの上で俺に背中を向けた。


「理緒さん、全部言うだろ。心の中に隠すはずのことを全部俺に言ってる。凛恋がダメなところとか、理緒さんがどういう打算で動いたとか。そういうのって、多分そこまで仲良くない女の人から聞いたら嫌だって思う。だから、理緒さんがあえて俺に嫌われようと――」

「私が凡人くんに嫌われようとするわけないでしょ?」


 また寝返りを打って振り向いた理緒さんは、俺を真っ直ぐ見て笑った。


「さっきも言ったけど、風邪引いて毎日悶々としてるの。だから、毎日凡人くんのこと考えてるよ? そんな私が凡人くんに嫌われようとするわけないよ。今だって、体が元気なら凡人くんを襲えるのにって思って悔しいし」


 そんな言葉を発する理緒さんの顔色は良くない。その顔を見て、俺がお見舞いに来るべきじゃなかったと後悔した。


「俺、帰るよ。理緒さんが安静に出来ない」


 立ち上がって理緒さんの部屋から出ると、大きなため息が自然と出た。

 俺は来るべきじゃなかったんだ。俺が来たせいで、理緒さんは余計なことを考えさせられて安静に出来なかった。

 少しも上手くいかない。

 高校の頃はこんなことにならなかった。理緒さんが好意を持ってくれていると分かってても、俺達はちゃんと友達で居られた。でも、今は凛恋と理緒さんは……いや、理緒さんは希さんとも疎遠になってしまっている。

 高校の頃、みんなで遊んだ時のみんなの笑顔が浮かんだ。あの時の……あの時、みんなで笑い合えていた時間に戻りたい。


「多野くん?」

「えっ……田畠さん? どうして?」


 駅に向かう途中、正面から一人で歩いてくる田畠さんと出くわした。

 俺のアパートの部屋と田畠さんの部屋は隣同士。だから、アパート周辺で出会うことはある。でも、アパート周辺と月ノ輪出版周辺以外で偶然会うことなんてなかった。


「多野くん、何かあった?」

「いや……ちょっと……」

「ちょっと話さない?」

「いや……帰って凛恋に話さないといけないことなんで」


 田畠さんの優しさを無下にするのは心苦しかった。でも、俺の心には色んな感情が浮かんでる。そういう感情を正しく……いや、全て受け止めてくれるのは凛恋だ。だけど、それとは別に違う理由もあった。

 なんとなく、田畠さんと二人で話すのが気まずいと思った。その理由は凛恋に話したいという理由に比べれば、本当に些細で小さな理由だった。


「……そっか。八戸さんの方がきっと話しやすいよね。ごめんね」

「いえ、こちらこそ気を遣ってもらったのにすみません」

「ううん。でも、私に何か話せることがあったら何でも話して」


 田畠さんと別れて、俺はすぐに凛恋へ電話を掛ける。そして、凛恋のアパートに向かって歩き始めた。




 凛恋の部屋に行くと、出迎えてくれた凛恋が俺の手を引いて部屋の奥に入る。


「隣同士で座って話す? それとも膝の上で向かい合って? それとも――」

「キスしてから、布団の中で凛恋に抱きしめられながら話したい」

「じゃあ、まずチューね」


 凛恋が優しく頭を撫でてくれるのに合わせて、腰を曲げてキスをする。そのキスが終わると凛恋は俺の手を引いて布団の中に俺を入れてくれた。


「理緒となんかあった?」

「理緒さんは俺に嫌われようとしてるんじゃないかって思って。それでそれを聞いたら、そんなことしないって。でも、そうじゃなかったら、何で凛恋や希さんと喧嘩するようなことを……」

「そんなの決まってるでしょ。凡人が好きだからよ。多分ね、理緒も自分が何したいか分かんないのよ。凡人のことが好きだけど、凡人には私って彼女が居て、でもその彼女は凡人を傷付けてた。それで、傷付いてる凡人を助けたい気持ちとか、私に対する怒りとか、あとは私達を友達と思ってくれてる気持ちとか、そんな色んな気持ちで頭の中がぐっちゃぐちゃで訳が分かんなくなってんのよ」

「良かった。凛恋はちゃんと理緒さんのことを友達だと思ってくれてるんだな。……高校の時と俺達の関係性が大きく悪い方向に変わってる気がして不安だった。でも、凛恋は理緒さんを友達だと思ってくれてて良かった」


 とりあえず安心して凛恋を抱きしめると、凛恋は俺の頭を丁寧に撫でてくれた。


「恋に苦しんだことがある人なら、自分がどんどん悪いやつになってるって苦しさは分かるよ。特に、ライバルの多いモテ男を好きになると」

「それって……俺と出会う前に好きだった入江か」

「はぁ? 何でそこであんな軽薄男の名前が出て来るのよ。いくら今の凡人がチョーネガティブモードだとしても、今の発言はペケ三つね。凡人のことに決まってるでしょ?」


 眉間を指先で弾かれて顔をしかめると、すぐに凛恋が自分で弾いた俺の眉間にキスをしてくれた。


「私だって何度も経験あるもん。ライバルがいっぱい現れて、悩んで苦しくなって、そういう時に限って考えてることは悪いことばっかり。それで悪い自分に自己嫌悪してまた悩んで。理緒は普通の人よりメンタル強いと思う。でも、どんな強い人でも、恋の悩みは女の子にとって弱点なの」

「俺……今日理緒さんに会うべきじゃなかった」

「まあ、凡人にとっては会うべきじゃなかったね。会ったせいで、今こうして悩んでるし。でも、理緒にとってはこれ以上ない最高のお見舞いだったと思う。だって、好きな人が自分のためにわざわざお見舞いに来てくれるんだよ? テンション上がんない訳ないじゃん。凡人はさ、凡人と付き合う前に宇治田と街で会った時のこと覚えてる?」

「覚えてるけど、凛恋が言ってるのって宇治田じゃなくて宇治屋だぞ」

「そうだっけ? もう名前とか忘れちゃった」


 ペロッと舌を出しておどけた凛恋の腰に俺は手を回して引き寄せる。

 俺と凛恋は、俺が凛恋の友達になれていると認識する前、凛恋の知り合いで俺の小学校の同級生だった宇治屋に街で話し掛けられた。

 凛恋を遊びに誘いたかった宇治屋は、俺が小学校の頃にどんだけ情けない男か凛恋や宇治屋の友人に話した。そして、そこで初めて凛恋は俺が親に捨てられたことを知った。

 そのことに凛恋が責任を感じて落ち込んでしまい。俺は次の日、栄次や希さんの助けを借りて、凛恋と話をして晴れて友達になった。


「あの時は、かなりどん底だった。大好きな凡人を私のせいで傷付けたって思ったら、もう自分の行動全部を後悔して。それで、凡人に嫌われたって思って、泣いて塞ぎ込んでたら体調まで悪くなってさ。本当に最悪の状態だったの。でも、凡人が来てくれて、初めての女の子の家で緊張する凡人を見て、それがもう可愛くて可愛くてテンション上がっちゃって。私の場合は仲直りも出来たし、ちゃんと友達になれたしで良いことばっかりだったけど、理緒も同じだったと思うよ」

「そうかな」


 凛恋が話してくれたことに、俺はホッと安心しながら凛恋の体を更に引き寄せる。すると、凛恋が目を細めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る