【二五二《茨の毒》》】:一

【茨の毒】


 昨日から、ロニーが主催するパーティーに参加するため、凛恋のお父さんお母さんがこっちへ出てきた。

 当初は地元のホテルで行う予定だったパーティーは、ロニーの都合によって街の中心街にある高級ホテルの大広間に変更になった。その変更の理由は知らないが、きっと凛恋が地元を離れてこっちに居るからだろう。


 完全に俺の想像でしかないが、ロニーは補講を受けなければいけない俺が一人でこっちに戻って来て、凛恋は一人地元に残ると思っていたのだろう。だから、俺と凛恋が引き離されているうちに凛恋へ近付こうとした。でも、凛恋はそのロニーの思惑通りに動かず、俺のために地元から戻って来てくれた。


 パーティーの会場が変更になったら、お父さんの取引先のホテルとパーティーは全く関係なくなる。だから、お父さんやお母さんが無理にパーティーへ参加する理由はなくなるのだ。でも、二人とも当然大人なのだから、一度参加すると言ったパーティーを特に理由もなく不参加にする訳にはいかない。それにやっぱり、相手が一国の王子というのが精神的に影響しているのは確かだと思う。


 今、凛恋は俺と一緒に住んでいるアパートの居間で、俺の隣に座りながらまったりしている。今日はパーティーに参加するということもあって、それなりに身だしなみに気を遣わないといけない。だから、凛恋はこれから凛恋のお母さんと優愛ちゃんも一緒に美容室に行くことになる。そして、そのままパーティーの開かれるホテルへ向かう。つまり、この後家を出たら凛恋はパーティーが終わる夜遅くまで帰って来ない。


 目の前にあるテレビの画面から、俺は寝室の方を見る。凛恋のプレゼントは昨日のうちにシャンパンもフラワーボックスも、財布を入れているボストンバッグに隠している。あとは、そのプレゼント達を凛恋に渡すだけだ。

 パーティーが終わってから渡しても良い。でも、きっとパーティーが終わった後は夜遅くで凛恋も疲れてしまっているだろう。だから、渡すなら家を出るまでの間だ。


 毎年渡している誕生日プレゼントだが、今年は妙に渡すことを緊張してしまう。だから、今の今までタイミングを掴めず話を切り出せずにいた。

 緊張する必要なんてない。ただ、気持ちを込めて「誕生日おめでとう」という言葉と一緒に渡すだけで良い。それで、凛恋には俺の気持ちは全部伝わる。


「凛恋、あのさ――」


 意を決して話を切り出した瞬間、居間にインターホンの音が響く。その音に話を中断された俺は、テーブルの上に置いた自分のスマートフォンで時間を確認した。まだ、お父さん達が来るには早い。


「パパとママじゃないよね? 誰だろ?」

「俺が出る」


 立ち上がってインターホンの受話器を取る。すると、液晶画面に俺が世界で一番見たくない爽やかな笑顔が映った。


『こんにちは。八戸凛恋さんはご在宅でしょうか?』


 液晶画面に映るロニーの後ろには数人のボディーガードが見える。


「まだパーティーの時間じゃないはずですけど?」


 手に持った受話器に向かって俺が冷たい言葉を発すると、ロニーはそれに爽やかな笑顔を崩さず言葉を返した。


『凛恋さんに大切な用事があってきました。凛恋さんに会わせてください』


 今すぐ受話器を戻して、その要求を突っぱねたい。突っぱねたところでロニーが大人しく帰るとは思えないし、フォリア王国の王子に無礼を働いただの何だのと外務省の人間からぐじぐじと言うだろう。でも、それでも凛恋とロニーを会わせるよりはよっぽどマシだ。


「凛恋、ロニー王子が来てる」

「えっ……」


 俺が受話器を手で覆い隠しながら凛恋に声を掛けると、凛恋は座ったまま露骨に嫌そうな顔をして表情を曇らせた。


「嫌なら会う気がないって伝えるけど?」

「……ううん、この後のパーティーもあるし会うだけ会う。でも、凡人も一緒が良い」


 立ち上がった凛恋が俺のシャツの裾を掴んで甘えた声で言う。それを聞いて、俺は凛恋の頭を優しく撫でた。


「分かった。そう伝える」


 手に持った受話器を元に戻し、液晶画面に映るロニーに話し掛ける。


「私と一緒なら会うと言っています」

『大丈夫ですよ。そんなに時間を取らせません』

「分かりました。出ます」


 受話器を掛けて液晶画面が真っ暗になるのを見てから、小さくため息を吐いた。


「何の話か分かんないけど、適当に聞いて返事して短く済ませるから」


 指を組んで手を握った凛恋が玄関に向かって歩き出す。

 凛恋と一緒に玄関を出てアパートの外に出ると、相変わらず厳ついボディーガード達を後ろに控えさせたロニーが俺――ではなく、凛恋を見て明るい笑顔で手を振った。


「凛恋さんを怖がらせたくない。少し離れていてもらえるか?」

「はい」


 ロニーに指示を受けてボディーガード達が離れる。だが、二人のボディーガードはロニーの後ろに付いてくる。そのボディーガードの一人は大きな紙袋を提げて、もう一人は両手で真っ赤な薔薇の花束を持っていた。


「凛恋さん、お誕生日おめでとうございます」

「えっ?」


 ボディーガードから薔薇の花束を受け取ったロニーは、それを爽やかな笑顔で凛恋へ差し出す。しかし、凛恋はそれに戸惑って眉をひそめた。


「凛恋さんには薔薇の花束が似合うと思って。本当は九九九本か三六五本で迷ったのですが、あまり多いと凛恋さんも困ってしまうと思ったので一〇〇本にしました。ですが、凛恋さんに相応しい高級品種の薔薇です。どうか受け取ってください」


 薔薇の花言葉が色や本数で変わるのは、フラワーショップで見たカタログのコラムで知っている。一〇〇本の薔薇は『一〇〇パーセントの愛』だが、九九九本は『何度生まれ変わってもあなたを愛する』、三六五本は『あなたが毎日恋しい』だ。それに、赤い薔薇には『情熱』『熱烈な愛』以外に『美貌』と『美』そして『あなたを愛しています』という花言葉がある。


「すみません。こんなに沢山受け取れません」


 一〇〇本の薔薇の花束を差し出されている凛恋は、露骨に困った様子で両手を振りながら首を横へ振って拒否する。しかし、ロニーはそれでも花束を差し出す手を止めない。


「遠慮なさらないでください。私が凛恋さんにプレゼントしたいと思って用意したんです」


 ロニーは爽やかな笑顔で言う。でも、凛恋はきっと遠慮している訳じゃない。本気で困っているのだ。それは、一〇〇本も薔薇を受け取ってもどうしようもないから困っているわけではないと思う。単純に、彼氏以外の男から貰うプレゼントとして一〇〇本の薔薇の花束は“重たい”のだ。


 凛恋が薔薇の本数や色で花言葉が変わることを知っているかは分からない。でも、誰だって一〇〇本の薔薇の花束を差し出されたら、ただの友人に贈るプレゼントだとは解釈しない。だから、全てではないにしても薔薇の花束に込められたロニーの気持ちを察しているのだ。


「実はこれだけではないんです」


 本気で困っている凛恋をよそに、ロニーは後ろを向いて控えていた二人のボディーガードに目配せをする。すると、ボディーガードは紙袋から二つの箱を取り出した。一つは縦に長い箱で、もう一つは両手に収まりはしないが縦長の箱より小さな箱だった。


「凛恋さんがシャンパンがお好きだとお聞きして、フランスのシャンパンでも名高いワイナリーに頼んで特別に凛恋さんの生まれ年の最高級品に名入れをしてもらいました。凛恋さんの生まれ年は二一世紀でも傑出した当たり年で、このシャンパンは残り一本だったそうです。きっと、凛恋さんに飲んで頂くために残っていたと私は運命を感じました」


 シャンパンの最高級品。世界では二億を超えるシャンパンもあるらしいが、きっとロニーが用意したのはそんな高額な物ではないと思う。でも……きっと五〇万、いや一〇〇万はしただろう。


「それにもう一つ。凛恋さんに是非使ってもらいたくて、イタリア、トスカーナ地方のフィレンツェにある革細工職人に特注でレザー製の財布を作ってもらいました。その職人の品は派手な装飾はありませんが、シンプルさに高貴さがあって世界のセレブ達が愛用している物です。きっと凛恋さんに気に入って頂けると思います」


 その、ロニーの屈託ない笑顔で放たれた言葉を凛恋の後ろで聞きながら、俺は……両手の拳が裂けそうなくらい強く握り締めた。


 一〇〇本の赤い薔薇の花束、名入れの最高級シャンパン、高級革製の財布……花、シャンパン、財布……その三つは、俺が凛恋にプレゼントしようと用意した物と全く同じ物だ。


 視線をロニーに向けるが、ロニーは俺ではなく凛恋に爽やかな笑顔を向けている。だけど、そのロニーの笑顔にはらわたが煮えくり返る思いを俺は抱いた。

 どうやったかなんて考える気も起きない。でも、ロニーはどうにかして知ったのだ。俺が凛恋に誕生日プレゼントとして何を用意したか。そして、その俺が用意したプレゼントと同じ物を用意した。だけど、俺と全く同じ物ではない。俺が用意した物よりも高価で高品質な物だ。


 俺が用意したフラワーボックスは白い薔薇一輪の五〇〇〇円のものだ。でも、ロニーが用意した薔薇の花束は一〇〇本。高級品種なら一〇〇本で五万はする。

 俺が用意したシャンパンは三万。でも、ロニーが用意したシャンパンは想像で一〇〇万はすると思う。

 俺が用意した財布は一万六〇〇〇千。でも、ロニーが用意した財布はオーダーメイドで有名な革細工職人製だから、二〇万くらいはするだろう。


 全部……全てが、俺の用意した物の方が劣っている。


 プレゼントは値段ではない。そう分かっていても、ロニーは俺より質の良い高価なプレゼントを用意した。しかも、同じ種類でぶつけてきた。それを見ると、どうしても俺のプレゼントが劣って見える。いや……実際に劣っているのだ。


「ごめんなさい。せっかく用意してもらったのですが、そんな高価な物は受け取れません」


 隣で、凛恋が毅然とした態度でロニーへ拒否する。その声は聞こえたが、まともに凛恋の方を見る余裕はない。


「ですが――」

「本当にすみません。でも……知人から受け取る誕生日プレゼントとしては、気軽に受け取れる物じゃないです。本当にごめんなさい」


 凛恋が頭を下げる。それを見て、ロニーは目を見開いて視線を落とした。その表情は本当に残念そうで、ショックを受けているのは分かった。でも、俺にはロニーがショックを受けて傷付いていることを嘲笑う余裕もなかった。


「すみません。私、この後に予定があるので良いですか?」

「は、はい……」


 凛恋にプレゼントを拒否されたロニーは、俯いたまま軽く頭を下げてボディーガードを連れ立ってアパートの前から去って行く。その後ろ姿を見送ると、凛恋が俺の手を引っ張ってアパートの中に戻る。


「薔薇の花束に高級シャンパンに高級財布って重過ぎ。あんなの貰える訳ないじゃん。遠慮通り越してチョー怖いし。まあ、安くてもロニー王子から何も貰う気なんてないけどさ」


 隣から凛恋のそんな辟易とした声が聞こえる。でも、今の俺にはその言葉に相づちを打つ余裕もなければ、俺のロニーよりも劣ったプレゼントを渡そうと思える勇気もなかった。




「クソッ! クソクソクソ! クソッ!」


 凛恋達を送り出して、玄関のドアを閉めた瞬間、俺は右手の拳で壁を叩いてそう叫んだ。そんな姿、絶対に凛恋には見せられない。そのくらい粗暴で惨めな姿だった。

 居間を通り抜け、寝室の押し入れの中に仕舞ったボストンバッグから、丁寧に包装されたプレゼント達を取り出しテーブルの上に置く。でも、そのプレゼント達を眺めると、より惨めさが増した。


 俺は男として、人として、ロニーから完全に馬鹿にされた。それが悔しくて堪らなかった。目の前で、お前より自分の方がより良いプレゼントを用意出来ると言われたようなものだ。

 馬鹿にされて悔しいと思ったことはない。でも、凛恋に対する想いを踏みにじられた悔しさは抑えきれなかった。


 気持ちが負けてるなんて思っていない。でも、目の前で、お前の気持ちは劣っていると馬鹿にされたのだ。男として、凛恋の彼氏としてのプライドをズタズタに傷付けられた。

 凛恋は今頃、家族四人でロニーのパーティーに参加している。プレゼントを拒否した凛恋にロニーがまた何かするとは思えない。それに、凛恋はお父さん達の側を離れないだろうし、心配はないと思う。


 凛恋のために選んだ。ロニーに負けないように少し背伸びもした。でも、俺がちょっと背伸びをしたくらいじゃ、届く訳がない高さにロニーは居た。


 ロニーが俺より高い場所に居るのは今更の話だ。

 ロニーのプレゼントを見た後でも、凛恋は喜んで俺のプレゼントを貰ってくれる。そう確信していても渡せなかった、言い出せなかった。それが情けない。

 目の前に並べられたプレゼント達を見て、渡そうという気が、渡せるという勇気が湧かなかった。でも、だからと言って捨てるなんて出来ない。


 一生懸命選んだんだ。凛恋のために、凛恋に喜んでほしくて、凛恋の最高の笑顔が見たくて。それを捨てるなんて出来る訳がない。


「うっ……」


 急に腹に締め付けるような痛さを感じる。その痛みはすぐに大きな範囲に広がり、体をくの字に曲げなければ耐えられないほどの激痛になった。

 全身から冷や汗が吹き出るのが分かる。でも、それが分かっても、腹の奥を握り潰されるような痛みに耐えることしか出来ない。


「救急車……呼ばない、と……」


 右手をスマートフォンに伸ばそうとした瞬間、それを阻むように腹の痛みが増し、俺は床に体を横にして体を丸めて痛みに耐える。

 痛い。痛くて痛くて堪らない。そして、怖かった。

 早く救急車を呼ばないといけない。でも、床に体を倒した体勢からテーブルの上にあるスマートフォンまで手を伸ばせない。ほんの数一〇センチ先なのに、その数一〇センチが遠すぎる。

 痛みに耐え続けた俺の目から涙が溢れる。


「りこ……凛恋……凛恋っ……」


 呼んでも居ないのは分かっている。でも、俺は必死に凛恋の名前を呼ぶ。そして、凛恋の名前を呼ぶに連れて意識がどんどん希薄していき、俺の意識はプツリと途切れた。

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