【二二三《境界線を越えた者達》】:一

【境界線を越えた者達】


 俺が退避スペースから出てホームに上がると、本蔵さんはホームに残っていた。そして、俺の無事を確認してホッと息を吐いて安心している様子だった。

 駅に警察が到着して、俺は事情を聞かれる前に経緯を説明した。それで、今は警察署で事情聴取を受けているところだ。もちろん、別室で本蔵さんも事情聴取を受けている。


「多野さん。今回、駅のホームから多野さんを突き落とした犯人に面識はありませんか?」

「いえ、会ったことがない人です。間違いなく初対面です」


 俺は男性警察官が差し出した犯人の写真を見て首を横に振って否定する。写真に写っているのは三〇代くらいの男性だが、全く知らない人だった。

 通り魔には、昔から「殺せるなら誰でも良かった」なんて自分勝手な動機を口にするやつが居る。だから、今回もそういう人間の可能性だってあった。でも、俺は今回ばかりは違うと思う。それは、本蔵さんの忠告が根拠だ。


 本蔵さんが忠告したということは、犯人が俺を突き落としたのは衝動的な犯行じゃない。計画された犯行だった。問題なのは、どうやって本蔵さんがそれを知ることが出来たかだ。しかし、それが分かるのは本蔵さんの事情聴取が終わってからだ。


「多野さんの事情聴取は終了しますが、少しお待ちいただいてもよろしいでしょうか? ストーカー被害の担当も交えて後ほどお話ししたいことがあるので」

「分かりました」


 俺は男性警察官が出て行った後、椅子の背もたれに背中を付けて息を吐く。すると、後ろからドアが開く音が聞こえた。


「本蔵さん」


 振り返った先では、ドアをゆっくり閉める本蔵さんの姿が見えた。その本蔵さんは俺の隣に座った。


「無事で良かった」

「本蔵さん、どうして俺が突き落とされるのが分かったんだ。どうして――」


 本蔵さんは俺の目の前にスマートフォンを出す。そのスマートフォンには、インターネットの匿名掲示板が表示されていた。


「多野を殺そうという書き込みがある。書き込みしている人数はトリップから判断すると六人。そのうちの一人が、実行犯として多野を殺そうとした」

「なんで俺を?」

「多野が元文部科学大臣の息子で、そのコネを使って塔成大に入学したと思っている人間や多野が税金を使って楽して生活をしてると思ってる人間が、多野に対して殺意を持ってる」

「俺は元文部科学大臣の息子でもないし、税金でも暮らしてない」

「それは事実でも、掲示板に居る人間達には関係ない。それで、多野の住んでる場所の書き込みがあった。引っ越しをしたこともバレている」

「なんでだ?」

「詳しいことは分からないけど、掲示板の住人がどこかで多野のスマートフォンのGPS情報を盗んで、それをリアルタイムで知ることが出来るアプリケーションを開発した。私はそれを使って多野が居る駅まで行った」


 掲示板の書き込みは、俺を突き落として殺すという計画の書き込みがあり、最新の書き込みは俺を殺すのを失敗したという話で止まっている。


「でも、これは最近出来た掲示板だろ? この前、俺が襲われた時も本蔵さんは近くに居た。あの時はどうやって俺の居場所を――」

「あの時は本当に偶然だった」


 動揺を見せず顔色を変えない本蔵さんの言葉を、俺は素直に信じることは出来ない。でも、それを偶然ではないと否定する証拠がないから否定出来ない。


「警察に掲示板の話はした。きっと、書き込みをした人間は逮捕される」

「ありがとう」

「お礼はいらない。私は、多野を助けたかっただけ」


 本蔵さんがそう言うと、部屋の中に俺のストーカー事件の担当をしてくれている男性警察官が入ってくる。

 部屋に入って来た男性警察官は、本蔵さんを一度退室させ、本蔵さんから聞いた掲示板の話を改めて話し、サイバー犯罪対策課の捜査員が書き込みをした人達を調査していると話してくれた。もちろん、実際に殺人未遂事件が起きたのだから、書き込みをした人間がただで済むわけがない。問題なのは、俺のスマートフォンのGPS情報を使って俺を追跡出来るアプリケーションだった。


 警察に俺のスマートフォンは預かられ、俺は新しいスマートフォンを使った方が良いとアドバイスを受けた。もちろん、アドバイスを受けなくても俺はスマートフォンを変えるつもりではいた。好き好んで不特定多数の人間に居場所が知られている状況で過ごす人間が居るわけがない。


 男性警察官は、俺のストーカーは問題のアプリケーションを入手して俺の居場所を知っていた可能性があると話した。だから、引っ越し先がバレたのもアプリケーションのせいである可能性も高い。

 ストーカーが掲示板に書き込みをしていれば、サイバー犯罪対策課の捜査で個人が判明する可能性もある。しかし、書き込みをしておらずアプリケーションをダウンロードしただけでは個人を特定するのは難しいと言われた。

 その後、本蔵さんを入れて再び今回のホームから俺を突き落とした事件の経緯を本蔵さんから聞き、担当警察官は俺と本蔵さんに協力のお礼を言って帰って良いと言ってくれた。


「多野は何か他にも事件に巻き込まれているの?」

「いや、この前の暴行事件と今回の事件だけだ」


 警察署を出てすぐ、本蔵さんが俺に尋ねた言葉に俺は嘘を返した。本蔵さんは二度俺を助けてくれたが、それでも俺のストーカーではないと決まったわけではない。だから、ストーカー事件について話すつもりはない。


「ちゃんと私がダウンロードしたアプリケーションは消した。書き込みを見て、多野を助けるには少しでも早く多野の居場所を知る必要があった。アプリケーションの削除は私じゃなく、警察がやったから間違いない」

「本蔵さんがアプリケーションを使って俺の跡を付けてくるとは思ってないよ」


 俺はそう言いながらも、本蔵さんがストーカーではないとは断定しない。それは、数日前に俺の跡を付けていたことがあるからだ。本蔵さんの話では、アプリケーションをダウンロードしたのは俺を突き落とすという書き込みを見てからだと言っていた。でも、俺の帰り道を付けていたのはその書き込みより前だ。だから、アプリケーションをダウンロードしたのが最近という言葉は嘘の可能性が高いし、その言葉が本当だとしても俺を付けていたことは変わらない。その事実があるから、俺は本蔵さんに対する疑念を捨てきれない。


「多野は警察官と話すのが慣れている感じだった。それにこの前も警察署に行ってた。何か事件に巻き込まれているはず。私に話して」

「何もない。本蔵さんの考え過ぎだ」

「私は多野のことが心配。多野の力になりたい」

「ありがとう。本蔵さんには二度も助けてもらったし感謝してる。でも、警察に任せる以外のことは出来ないだろう。本蔵さんは警察じゃない」

「警察は多野を守れなかった。警察は、二度も多野のことを守れずに、二度も多野の命が危なかった。それなのに、まだ警察がなんとかしてくれると思っているのがおかしい」


 言いたいことは分かる。確かに警察に相談していても、俺は二度も死の危機に遭った。それに、ストーカー事件も解決の兆しすら見えない。だけど、ただの一般人の俺にはどうすることも出来ない。


「凡人っ!」

「凛――」


 駆け付けた凛恋は俺の腕を引っ張って本蔵さんから距離を離させる。そして、黙って本蔵さんを睨み付けた。


「凡人くん、大丈夫?」

「ああ、怪我はしてない」


 一緒に駆け付けてくれた希さんにそう言いながら、俺は本蔵さんを睨む凛恋に視線を戻す。


「八戸は多野には相応しくない」

「いきなり何?」


 明らかに本蔵さんの言葉は凛恋の怒りを誘う言葉で、凛恋の言葉はその誘いを受けた言葉だった。


「八戸は多野を二度も守れなかった」

「何が言いたいのよ」

「八戸は多野には相応しくなくて、八戸は多野を守れない。それが言いたいだけ」


 本蔵さんは凛恋の横を通り過ぎて俺の横に差し掛かった時、俺に視線を向けて言った。


「私は多野を守れるし多野のために何でも出来る。多野はもう一度冷静に、誰のために自分を使うか考えた方がいい」


 そう言い残し、本蔵さんは歩いて去って行く。すると、凛恋が俺の手を握って引っ張った。


「…………凡人ごめん。凡人のこと心配する前に本蔵が目に入って」

「何も謝ることないだろ。来てくれてありがとう。希さんもありがとう」

「ううん。親友が大変な時だもん。駆け付けるに決まってるよ。本当にビックリした……凡人くんが線路に突き飛ばされたって聞いて」

「心配掛けてごめん。でも、犯人は捕まったから大丈夫だ」


 俺は心配してくれる希さんに詳しい話はしなかった。話をしても、ただ希さんに心配を重ねさせるだけだからだ。

 希さんは本当に優しくて人の気持ちを、心の痛みというものを過敏に感じ取ろうとする人だ。だから、俺が大したことないと思って話しても、希さんは凄く心を痛めて凄く心配してくれる。心配してくれることに嬉しさや感謝は感じるが、それ以上に希さんに心配を掛けてしまったことに申し訳なさと辛さを感じる。だから俺は、希さんに必要のない痛みを感じさせないために嘘を吐いた。




 見知らぬ人に線路へ突き落とされた次の日、掲示板に俺のことを殺すという書き込みをした二人が捕まった。たとえ冗談で書き込んだとしても、俺個人に対する殺害予告は脅迫罪になる。

 二人逮捕者が出たと言っても安心は出来ない。ストーカー事件の担当警察官の電話では、逮捕された人達はストーカーとは無関係の人間だったらしい。そうなると、俺のストーカー事件は終わらないことになる。現に、昨日も変わらず手紙が届いていた。きっと、今日も帰ったら届いているのだろう。


「多野くん、少し良い?」

「え? ああ」


 講義終わり空条さんに声を掛けられる。でも、その空条さんの表情は明るいものではなかった。

 声を掛けてから黙って歩く空条さんの後ろを、俺も黙って付いて歩く。まだ、声を掛けた理由は聞いていないが、空条さんの雰囲気からあまり良い話ではないのは分かる。

 大学から離れた場所ある喫茶店に入っていく空条さんの後をついて行く。

 店内はロイヤル調で統一されていて、一目見ただけで高級な店だということが分かる。


「すみません」


 空条さんは店員さんに声を掛けて何やらカードを見せる。すると、店員さんは驚いた様子で頭を下げた。


「い、いらっしゃいませ!」

「奥の個室を使わせて下さい」

「は、はい」


 店員さんは腰を低くして、空条さんの前へ出て店の奥の方へ案内する。


「多野くん、ついて来て」

「あ、ああ」


 状況の変化について行けず戸惑いながらも、俺は空条さんに促されて店の奥に歩いていく店員さんと空条さんについて行った。

 通された個室もロイヤル調の内装で、勧められた椅子に座るのも気が引けた。

 椅子に座って空条さんの言葉を待っていると、空条さんの言葉より先にコーヒーとケーキが俺の前に運ばれてきた。


「空条さ――」

「どうして言ってくれなかったの? ストーカーに付きまとわれてること」


 何も話さない空条さんに俺から話し掛けようとした瞬間、空条さんは鋭い視線を俺に向けてそう言葉を返す。その空条さんの表情や語調から、空条さんが怒っているのが分かる。


「……空条さんは俺とは関係ないから、変なことに巻き込むのは――」

「関係なくないッ! 多野くんは私の大切な友達だよ! ……ごめんなさい」


 立ち上がって声を荒らげた空条さんは、視線を落として椅子に座り直す。そして、自分の前に運ばれてきた紅茶を一口飲んだ。


「昨日、ニュースで多野くんが線路に突き落とされたって聞いて、心臓が止まるかと思った」

「心配掛けてごめん」

「電話して声を聞けた時にホッと出来たけど安心は出来なかった。だから……ごめんなさい。探偵に頼んで調べてもらった」

「一日も経たずに俺がストーカーに付きまとわれてるって分かったのはそのせいなのか。探偵って凄いんだな」

「勝手にプライベートを探るようなことをしてごめんなさい。でも、多野くんは絶対に自分から言わないと思ったから……」

「まあ、空条さんの言う通り、空条さんからストーカーのことをピンポイントで尋ねられなかったらはぐらかしてた。空条さんは友達だけど、変な心配を掛けたくないと思ってるのは変わらないし」

「私はそう思ってほしくない。もうすぐ大学に入って二年になるんだよ? 二年近い付き合いになるのに――……ごめんなさい。年月の長さなんて関係ないよね」


 ソーサーの上にカップを置いた空条さんは声を落としてそう呟く。しかし、軽く首を横に振って頭を上げて俺を見る。

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