【二一八《ただ最愛を知っただけ》】:二

「君が神之木くんが電話で言っていた付き添いの人かね?」


 随分と疑り深い視線を向ける男性に、俺は軽く頭を下げて自己紹介をする。


「ステラの友人の多野凡人です。ステラが一人では心細いということで付き添いに来ました」

「とりあえず応接室に行こうか」


 男性はステラに笑顔を浮かべてそう言ってから歩き出す。男性の反応から、俺が歓迎されていないのは分かる。だが、音大生でもなければステラの保護者でもない、ただの友人が同席しているのだから、音大の関係者も困惑して当たり前だ。

 廊下を歩いて応接室に入ると、俺とステラはソファーを勧められて腰掛ける。すると、正面に座った男性はペチャクチャと勝手に喋り始めた。


「神之木くんが来てくれたお陰で学生には良い刺激になっているし、大学外からも是非とも神之木くんに演奏しに来て欲しいと話が来ている。他大からは神之木くんが在席していることで羨ましがられていてね。我が校主催のコンサートも例年よりも公演回数を増やそうと思っているんだ。やはりかの有名な天才マエストロ神之木亮二(かみのぎりょうじ)と、美人ヴァイオリニスト神之木ルーシーの娘というだけでもクラシック音楽ファンには堪らないのに、インターナショナルミュージックコンクールの金賞を最年少で取ってから、世界の主要なヴァイオリンコンクールで次々と金賞を――」

「すみません。ステラの話を聞いてもらえませんか?」


 まるで自分の自慢話をするようにステラの話をする男性に、俺はそう言って男性の話を遮る。


「君は神之木くんの付き添いの人間だろう。私の話を――」

「男子にデュエットを組んでほしいと、言われて……困っています」


 隣に座っていたステラは、少し詰まりながらもしっかりと目の前の男性に向かって言う。それを聞いた男性は目を見開いた、が……何もステラの気持ちを理解していない能天気で明るい笑みを浮かべた。


「良いじゃないか! ピアノ専攻学部には実力も見た目も良い学生が居てね。丁度、神之木くんとその学生のデュエットをコンサートの目玉にしようとしていたんだよ。近々ポスター用の写真撮影を――」

「ステラの話を聞いてましたか? ステラは今困っているんです。ステラは男子学生とは組みたくないそうです。それで、デュエットを誘った男子学生全員に一度断ってます。それでも相手側が諦めないから大学側で対応してほしいと言ってるんです」

「何を言ってるんだ。神之木くんは実力もあるし容姿も素晴らしい。男子学生達がデュエットをしたいと思うのは自然の流れだろう。まあ私も、並の学生では神之木くんの超絶技巧のヴァイオリンには合わないとは思うがね」


 きちんと経緯を説明しても、男性はまったく取り合う気配がない。そもそも、このおっさんは誰なんだ。ステラは知っているのだろうが、初対面の俺は自己紹介も何もないから何者なのかよく分からん。


 いくら俺が年下だとしても、初対面の相手に自己紹介もなしにぞんざいな態度を取るおっさん。その上、ステラのことよりも大学のコンサートのことしか考えていないことに腹が立つ。


「ステラはあなたの商品じゃない」

「は?」

「さっきからステラを使ってどうコンサートを良くすることしか考えてないですよね。ステラについて話してるのに、コンクールの実績だとか、ステラの両親のこととか、超絶技巧のヴァイオリンとかステラの容姿とか、ステラの持ってるもの全部使ってどう自分達が主催するコンサートをレベルの高いものにしようとしか考えてない」

「私はこの大学の学長だ。主催するコンサートを成功させようと考えて何が悪い。そもそもなんだね君は。神之木くんがどうしてもと言うから同席させてやったのに、一々横槍を入れてきて。これではコンサートの打ち合わせが進まないじゃないかッ!」

「ステラは電話で話したはずです。大学生活について相談があると」

「いいや、コンサートの打ち合わせをすると――」


 平然とした顔で嘘を吐いたおっさんに、俺は内心で怒りが沸き立つ。


「私が学生だからって甘く見ないでもらえますか? 私はステラが電話した時に側に居たんです。その時、ステラは大学で困ったことがあったって言ってました。コンサートのコの字も言ってないのを私は知っています。それで、嘘を吐いてステラの話を無視するのは、あまりに不誠実じゃありませんか?」


 仮にも大学の長である学長が、自分の都合の良い話しかせず、自分が都合の良い話を進めるために平気で嘘を吐く。そんな状況で、冷静に話が出来ている自分を自分で偉いと思う。


「しっ、しかし、コンサートまでは時間もなくポスターも今作らなければ間に合わない」

「もし、男子学生にしつこく誘われ続けたことで、ステラがコンサートに出られないくらい体調を崩したらどうするんですか?」

「男子学生にデュエットに誘われたくらいで――」

「二七四人の男に言い寄られる女性の怖さを想像も出来ませんか? 断っても大学に来る度にまた誘われるんですよ? それは女性にとってとても恐怖を感じることなんです」

「そ、それは……」


 流石にステラが二七四人もの男に誘われているとは思っていなかったのか、音大の学長は俺の言葉に目を見開いて驚く。

 確かに、ステラは深刻な話をする時でも表情も声の調子もほとんど変化はない。でも、ちゃんとステラの話を最初から聞いていれば気付かないはずがない。


「こちらの話は、大学側からステラにデュエットを申し込む男子学生を制してほしいということと、大学の必修としてステラがどうしてもデュエットをしなければいけないのなら、デュエットの相手を女子学生と組ませてあげてください」

「りょ、了解した。すぐに男子学生達に注意をさせよう。しかし、デュエットはこちらで想定した男子学生を――」

「ソロでやらせてください」


 ステラはソファーの上で隣に居る俺の手を握って、目の前に座る学長へはっきりと言った。


「か、神之木くん、流石にそれは――」

「私はソリストです」


 言い切ったステラの言葉は、俺からもわがままだと思った。

 優愛ちゃんが言っていた演奏会、学長の言葉で言うところのコンサートではピアノ専攻学部の学生とデュエットをやらなければいけないとなっているらしい。しかし、俺はそれを考えて今疑問に思った。


 音大のコンサート。俺はその詳細を全く知らない。でも、それを今一度自分の中で咀嚼(そしゃく)して、コンサートに出演するのは限られた人物ではないかと思った。

 音大の学生が全員で何人居るかを知らない。でも、ステラにデュエットを申し込んだ男子学生だけで二七四人も居る。もし、一曲だけだとしても音大の学生全員が演奏をしたら膨大な時間が必要になる。だから、きっと音大のコンサートに出演するのは限られた人物、もっと言えば大学側が選抜した学生だけなのかもしれない。


 ステラは名実共に世界的な天才ヴァイオリニストだ。だから、ステラはきっと大学側から音大のコンサートに出るように“求められた”可能性が高い。そう考えると、学長がステラを目玉にコンサートを企画しようとしていたことや、ステラの出演で例年より公演回数を増やすという話も納得出来る。


 俺が学長に皮肉で言った「ステラは商品じゃない」という言葉が、本当の意味で正しいのかもしれない。学長は恐らく、大学主催のコンサートでステラを使って例年より収益を上げようと目論んでいるのだ。


 大学側がコンサート出演を求めたということは、ステラの方が立場的に優位であるのは間違いない。ステラは特待生として音大に進学し、学費の一切を免除されている。その立場上、ステラはコンサート出演自体を断ることは出来ないだろう。でも、ステラがコンサートに出ないなんて言い出したら、ステラをメインにコンサートを企画したいと考えている学長を始めとした大学側は困る。


「ステラは気分屋ですからね。クラシック音楽に詳しい学長さんなら知っていると思います。ステラがインターナショナルミュージックコンクールのガラコンサートを“辞退”しようとしたことは」


 俺は向かいに座る学長の顔色を窺いながらそう話を切り出す。すると、学長は見るからに動揺した様子で、ハンカチで汗の滲んだ額を拭った。

 インターナショナルミュージックコンクールは世界的にも権威あるコンクールらしい。そのコンクールで金賞を取ったステラは、自分がメインであるはずのガラコンサートを辞退しようとした。それは、当時もかなり騒ぎになったのだ。それは、クラシック音楽に無縁の人間なら知らない話だろうが、音大の学長を務めるほどの人間が知らない訳がない。


 学長が想定しているのは、大学側が選定したピアニストとのデュエット。だから、想定外の男子学生に注意をすることは承諾した。しかし、こっちの女子学生と組ませてほしいという要望には応えなかった。だが、ステラが出演しないというのは学長にとって最悪の事態のはずだ。


「ステラに渡した文書には、ヴァイオリン専攻でもピアノ専攻の人と一曲はデュエットしないといけないと書いていたそうですね。それって、ステラに対してあまりにも礼を失していると思いますが? コンサートの参加依頼をまるで強制で参加する必要があるような文書を出すなんて。もしかして、ステラがコンサートを辞退するかもしれないから、必修なんて嘘を吐いたわけじゃありませんよね?」


 確かな証拠があるわけではない。俺は問題の文書を見ていないし、そもそもコンサートが強制ではなく大学側からの要請で任意で参加不参加を決められるものだという話も知らない。ただ、俺が今まで聞いてきた断片的な情報を繋ぎ合わせて作った仮定での話だ。


 そもそもコンサートへの出演は強制ではない。そして、もし出演するとしたら、デュエットの相手は出演する側が決めて良い。そのことは、男子学生二七四人からデュエットを誘われているということから判断したことだ。もし、デュエットの相手を大学側が決める慣例になっていたとしたら、男子学生が二七四人もステラに声を掛けるわけがない。


 俺の想像上での話を聞いた学長は、ハンカチで額を拭う頻度が多くなる。流石に、ここまで分かり易いと、こんな分かり易い人で大学の学長が務まるものなのかと思ってしまう。ただ、十中八九俺の想像は当たっていたようだ。


「分かった。神之木くんはソロで演奏してもらおう。ただ、楽曲についてはこちらの選曲した楽曲を弾いてもらいたい」


 学長の言葉を聞いて俺が視線をステラに向けると、ステラは俺の方を見て小さく頷いた。




 音大を出た瞬間に、俺は小さくため息を吐いて後ろにある音大の校門を振り返る。

 昔から、学校の先生という存在を俺は好んでいない。真弥さんは学校の先生ではあるが、例外中の例外だった。俺は今、その学校の先生という存在に対する嫌悪を改めて抱いた。そして、もう二〇歳になってはいるが、大人って汚い存在だと思った。


 学長はコンサートの目に見える収益という成功のためにステラを利用しようとした。もちろん、ステラを目玉にするという選択は正しいと思う。でも、そのためにステラの話をまともに聞こうとしなかったり、そもそもステラに嘘の文書を渡して強制的に参加させようとしたりしていた。そんなことをしてまで、金を得ようとしていることに汚さを感じる。


 もちろん、綺麗事だけで利益を得られるとは俺も思わない。でも、学長の持っている汚さは使わなくてもいい汚さだ。

 ステラを目玉にして金を稼ごうと目論んでいたとしても、きちんとステラにコンサートに出てほしいと依頼すれば良かったのだ。それを、騙して出させようとしていたことが汚い。


 きっと俺が思った通り、学長はステラがインターナショナルミュージックコンクールのガラコンサートを辞退しようとしたことを知っていたのだ。だから、任意参加のコンサートは辞退されると思った。それで、ステラが辞退出来ないような依頼の仕方をやったのだろう。それが本当に腹立たしかった。


 ステラは大学の奨学金で学んでいる特待生だが大学の道具じゃない。客寄せパンダに使うとしても、ステラに対して敬意を持つことは最低限必要なことだ。それをやらなかった学長を、俺は自分より何一〇年も長生きしているとしても、同じ人として恥ずかしいと思った。


「凡人は凄く頼りになる。凡人に出逢えて良かった」

「大げさだな」


 隣を歩くステラが真顔で言う言葉に、俺は笑顔を返しながら言う。すると、ステラは首を横に振って俺の言葉を否定した。


「大げさではない。凡人が居なかったら、今の私は居ない。凡人に出逢わなければ、私は人を愛する喜びと哀しみを知らなかった。それに、今日も凡人が居なかったら私は何も出来なかった」

「ステラはちゃんとソロでやりたいって言えただろ?」

「でも、ソロで出来るようになったのは凡人が学長を脅したから」

「脅したってのは語弊があるだろ? 俺は学長に交渉しただけだ」


 俺はステラにニヤッと笑いながら答える。自分でも交渉の皮を被った脅しになったとは思っていたが、学長側がそもそも詐欺のようなだまし討ちを仕掛けていたのだ。だから、俺と学長のお相子だと思う。


「ステラ。俺と凛恋はステラのことを邪魔だと思ったことなんてないからな」


 歩きながら、俺は昨日ステラの話を聞いて気になっていた話を切り出した。

 ステラは昨日俺と凛恋の部屋から帰る時に、俺と凛恋の邪魔になるから帰ると言っていた。ステラはかなり性格が素直な子だ。優愛ちゃんのように、俺と凛恋をからかうための冗談を言うような性格じゃない。つまり、昨日ステラが言った言葉はステラの本心から出た言葉だったのだ。


「いいえ、私は凡人と凛恋の邪魔になっている。私が凡人を愛していることは、凡人と凛恋にとって邪魔のはず」


 俺が切り出した話に、ステラはさっきよりもしっかり首を横に振ってはっきりと否定する。でも、俺はそれに首を横に振ってステラの言葉よりもはっきりと否定する。


「俺はステラの気持ちには応えられない。でも、だからってステラが邪魔だって思ったり疎ましく思ったりしたことなんてない。もしそうだったら、俺はステラと一緒に音大に来てない。それに、凛恋だってそうだぞ。もし本気で凛恋がステラのことを邪魔だなんて思ってたら、凛恋は一切ステラを俺に近付けないようにしてるはずだ」

「でも、凛恋は凡人を愛している私を許さない。凡人も、私の愛には応えられない」

「応えられないからって切り捨てたり気持ち自体を否定したりすることはしない。俺は、ステラが俺のことを好きだって言ってくれることは嬉しいんだ。ステラみたいに可愛くてヴァイオリンっていう誰にも負けない長所を持ってて、それに誰よりも優しい女の子に好かれるって凄いことだと思う」

「私は優しくない」

「優しいさ。だって、俺と凛恋のことを考えて、自分が俺と凛恋の邪魔になってるんじゃないかって悩んでくれてる。そういう悩みって、人として優しくないと持たない悩みだ。だから、ステラは優しい子だよ」


 俺は素直に、自分の思いを言葉にしてステラに伝える。

 昨日、俺はステラが言った「凡人と凛恋の邪魔になる」という言葉が気になっていた。

 それまで、ステラは俺や凛恋と接する時に自分が邪魔者であるなんて話はしたことがない。だけど昨日、ステラは自分が俺達の邪魔になっているのではないかと気にし始めた。


 どうしてステラが、自分が邪魔者かもしれないと気にし始めたのかは分からない。でも、それは俺にとっても凛恋にとっても良くないことだった。

 配慮をすることは大事だ。でも、俺も凛恋も知っている。ステラがそこまで器用な感情表現が出来る子ではないことは。ステラはびっくりするほど、羨ましいと思えるほど純粋でストレートな感情を持って周りに発信出来る。好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。その素直な感情は、人が誰しも使うであろう含みがない。それがステラの良いところなのだ。


 もちろん、含みを持たない人間は今の世の中は生き辛い。感情を素直に表現し続けていれば、絶対に寄ってくるよりも離れていく人の方が多くなる。だけど、ステラは幸運にも周囲にステラが含みを持たなくても一緒に居てくれる人々に恵まれている。俺と凛恋、それに優愛ちゃんもその含みを持たないステラの側に居る人間だ。


 ただ、含みを持つことが悪だとは思わない。含みを持つということはより感情が人間らしくなるということだ。でも、ステラは不器用だから含みを持ったまま人付き合いが上手く出来ない。そうなると、自分が邪魔者だと思ったステラは、俺達から距離を取らざるを得なくなる。


「俺達に気を遣ってくれるのは嬉しいぞ。でも、気を遣いすぎて距離が離れるのは俺が嫌なんだ。ステラは大切な友達だし、優愛ちゃんと同じで妹みたいだし」

「妹は困る。私は、凡人の恋人になりたい」

「ごめんごめん。それと……ごめんな」


 明るく笑うごめんと、本当に申し訳ない気持ちのごめんを重ねた俺に、ステラは小さく微笑んで優しく首を横に振った。


「凡人は謝る必要はない。ただ私が、凡人を愛しているだけ。ただ、私が最愛を知っただけ」


 俺はその、ステラが呟いた詩的な言葉に一瞬だけ目を見開く。でも、真っ直ぐ前を向いて歩いているステラの無表情な横顔を見て、ステラが見えている前を向きながら小さく笑った。

 相変わらず、ステラはステラだと。

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