【二一七《不平等》】:一

【不平等】


 凛恋は何とか普通に生活出来ている。ただ、行動の所々にストーカーに怯える様子があるから、全て元通りというわけではない。

 西が俺に接触してきたことは知らないだろうし、西達の去り際の様子を見る限り、すぐにまた凛恋へ近付くということもないだろう。だから、今すぐに凛恋へ直接的な影響があるということではないと思う。でも、西の裏に居る何者かの存在がある限り警戒しないわけにはいかない。


 おそらく宝田さんが予想した通り、西の裏に居るのは女性だ。そして、俺に毎日手紙を送る人物と関係があるかもしれない。

 俺は、俺に送られて来ている手紙は西が嫌がらせで俺に送り付けてきたものだと思っていたが、警察の事情聴取で西は、俺に手紙を送っていないと否認していたらしい。それが嘘という可能性ももちろんあるが、西の裏に居る人物の存在を感じた今、その何者かの仕業の可能性も出てきた。


 その何者かは夏美ちゃんが高校一年生ということを知っていて、西が凛恋が好きで俺と因縁があるということも知っている。だから、西に俺が夏美ちゃんといかがわしい関係だと吹き込んで、西を使って俺と凛恋を引き裂こうとした。


 ただ、西は凛恋が自分のことを好きだと思い込んでいるような言葉を発していた。ストーカーになる人物は被愛妄想を持つというからそのせいかもしれないが、一度拒絶されている過去があるのに、いきなり被愛妄想を持つ物だろうか?

 なんにしても、今俺の周りで起こっているトラブルの裏に、得体の知れない恐ろしい存在が居る。それを認識して、俺は小さく身を震わせた。


「凡人は今日何食べたい?」

「そうだな~豚のしょうが焼きがいいな~」


 手を繋いで隣を歩く凛恋に俺はそう答える。


「さっさと買い物して帰ろ。凡人とラブラブする時間が短くなる」

「急がなくてもたっぷり時間はあるだろ?」

「急いだらもっとたっぷり時間があるじゃん?」

「まあ、それはそうだけど」

「それとも何? 凡人は私とラブラブしたくな――」

「したいに決まってるだろ」

「めっちゃ食い気味に返事した! 凡人のエッチ~」


 ケタケタ笑いながら俺をからかう凛恋の表情を見て、凛恋が笑えていることに安心する。

 羽村がスーパーで待ち伏せをしなくなってから、凛恋との買い物も心から楽しめるデートになった。羽村が待ち伏せている時は三日置きくらいに行っていた買い物も、今ではほぼ毎日行っている。そして、今日は久しぶりに希さんがアルバイトしているスーパーに行こうということになった。もちろん、希さんには行くとは言っていない。


 凛恋と一緒に手を繋いで歩いていると、凛恋の優しく明るい雰囲気に包み込まれて心も体も温かくなる。本当は、外を歩いていたらどこからから誰かに見られているかもしれないという恐怖を感じるはずなのに、凛恋が隣に居ることでそんな恐怖よりも、凛恋と一緒に居られる楽しさと幸せを感じることが出来ている。


「凛恋、そろそろ寒くなってきたし、スカートの丈を長くしろよ。それか、パンツでも良いだろ?」

「え~? ミニの方が凡人がドキドキしてくれるじゃん」

「俺は凛恋のどんな格好でもドキドキするぞ? 毎年言ってるけど、寒いのにミニスカートなんて穿いてたら風邪を引くだろ」

「タイツを穿いてるから大丈夫よ」

「いや、タイツを穿いてるのも別の意味で問題なんだけどな……」


 俺はそれとなく凛恋の足に視線を向けて、ミニスカートの裾から伸びるタイツに包まれた凛恋の細くしなやかな足を見る。何度見ても大人の色っぽさを感じる魅力的な足だった。こんなにも魅力的な足があったら、世の男は必ず見てしまう。ただでも凛恋は顔も可愛いのだ、余計男の視線を集めるに決まっている。だから、俺は凛恋が男の視線を集めるような格好をしてほしくない。もちろん、似合っていないなんてことでは断じてない。むしろ、凛恋以上に可愛い女性なんて居ないというくらい似合っているし、俺の前では今のままの格好で居てほしいと思う。でも、俺の願望と欲求のせいで、凛恋が知らん男の下卑た目に晒されると思うと、心穏やかでは居られない。


「朝は可愛い可愛いって何度も言ってくれたじゃん」

「そりゃ言うに決まってるだろ。こんだけ可愛くミニスカートを穿きこなせる女性は凛恋以外居ないし」

「ありがとっ! 今日は豚のしょうが焼きに決定! 世界一格好良い大好きな彼氏のために、今日もチョー愛情込めて作るねっ!」


 凛恋が俺の腕を抱き締めて体を預けながら弾んだ声で言う。腕から伝わる柔らかい感触にドキリとしながら、俺ってチョロいと思ってしまう。

 結局、凛恋に抱き付かれて大好きなんて言われれば何も言えなくなる。それは、反論を押さえ付けられるわけではなく、反論をしようという気さえ起きなくなるのだ。簡単に言えば、可愛い凛恋に言われたらしょうがないという温かな気持ちしか感じなくさせられる。それくらい凛恋は可愛くて綺麗で魅力的な女性なのだ。


 凛恋と一緒に、俺は希さんのアルバイトしているスーパーマーケットの敷地に入る。当然だが、俺がアルバイトしていた時と外観が全く変わっていない。

 俺は、アルバイトしていた時にスーパーの店長とそりが合わなかった。俺の方はそれでも仕事だと割り切ってやろうと思っていたが、店長の方がそうじゃなかった。それで、もうこれ以上続けるのは無理だと判断して俺からアルバイトを辞めた。今は、元居た店長は別の店に転勤になっていて居ないらしい。

 店内に入ると、陳列棚のレイアウトが大きく変わっていて、外観を見た時とは違い知らない店に入った気分になった。


「多野くん?」

「保谷(ほや)さん、お久しぶりです」

「久しぶり。元気にしてた?」

「はい、お陰様で」


 商品を見ている時に、アルバイト時代に一緒に働いていた保谷さんに出会った。保谷さんは、まだここで働いていたらしい。


「ここ店長変わったのよ」

「希さんから聞きました。新しい店長はどうですか?」

「前の店長よりは良いけど、まあ良くもないわよ。やっぱり、店長ってどんな人も口うるさいのは変わらないわね」

「まあ、色々口出すのが仕事みたいなものですしね」

「じゃあ、多野くんは可愛い彼女さんとゆっくりお買い物を楽しんでね」

「はい」


 クスッと笑った保谷さんを見送りながら、店長が変わったら変わったで、また色々大変なんだろうと思った。

 凛恋と一緒に夕飯の材料を買い物カゴに入れて、俺は視線を周囲に動かす。

 アルバイトの時にお世話になった正社員の小竹さんを探すが見当たらない。もしかしたら、今は事務仕事をしているのかもしれない。挨拶出来ないのは残念だが、もう部外者の俺が事務所に入って行くわけにもいかない。それに、また来る機会はあるだろうし、その時にでも挨拶すれば良い。


「あ、希だ」


 凛恋がレジの方に歩いていくと、丁寧にセルフレジの扱い方を教えている希さんが居た。相変わらず、希さんの近くには男性の列が出来ている。レジ担当の人は中年女性の主婦の人が多いから、若い希さんの方に集まるのは仕方ないのかもしれない。ただ、もし栄次が見たら酷く心配してしまうような状況だった。

 セルフレジのやり方を教えるだけだからか、希さんの列はすぐになくなり、そのタイミングで凛恋が希さんに駆け寄った。


「希~」

「凛恋! 凡人くん! どうしたの?」

「たまには希の仕事ぶりも見てみようって思って」


 俺は凛恋が希さんと話している間、セルフレジに商品を通して精算を済ませる。


「この前は凛恋と凡人くんの家でやったから、今度はうちで飲み会しよう」

「良いね! 今週末にしようよ」

「うん、分かった」


 耳だけで聞いている二人の話で、今週末の飲み会が決定した。まあ、飲み会と言っても三人で飲むのだからそんな大規模なものではない。いつも家でやっている、気楽に三人で話しながら飲む楽しい飲み会になりそうだ。


「……多野くん? ――ッ! 多野くんだ!」


 俺が丁度セルフレジで精算を終えて、マイバッグに商品を詰めていると、聞き覚えのあるその声が聞こえた。その聞き覚えのある声の聞こえた先には、俺を見て目を見開いている小竹さんが居た。


「多野くん、どうしたの!?」

「小竹さん、お久しぶりです。夕飯の買い物に来たんですよ。小竹さんも元気そうですね」

「そう? 多野くんが辞めちゃってから凄く大変で困ってるんだよ? 今はどこかでバイトしてるの?」

「いえ、今は何もやってませんよ?」

「そうなの!? じゃあ、またうちでバイトしない? 店長には私が話をするから!」

「すみません。せっかくですけど、遠慮しておきます」


 俺は申し訳なく思いながらも、小竹さんの申し出を断った。

 今は、俺のストーカー問題もあるし西の問題もある。そんな状況でアルバイトを始めて凛恋を一人にしたくない。


「そう。でも気が変わったらすぐに言ってね。多野くんが戻って来てくれるならみんな大歓迎だから」

「ありがとうございます。じゃあ、俺達はこれで失礼します。希さんも仕事頑張り過ぎないようにね」

「うん、ありがとう」


 あまり長居をして希さんと小竹さんの仕事を邪魔してしまうわけにもいかず、俺はすぐに凛恋と一緒にスーパーを出た。


「凡人、バイトの話良かったの?」

「別にアルバイトしてないと生活出来ないってわけじゃないし、今は出来るだけ凛恋の側に居たいんだ」

「凡人、ありが――」


 微笑んだ凛恋が視線をチラリと前に向けた瞬間、言葉を途切れさせて立ち止まる。そして、手を小刻みに振るわせながら俺の手を握り返した。


「俺は諦めが悪いのが取り柄なんだ」

「凛恋、後ろに下がってろ」


 俺は凛恋を背後に隠しながら、爽やかな笑顔を向けて俺と凛恋に視線を向けている羽村正一(はむらしょういち)に視線を返す。

 羽村は警察から凛恋に対するストーカー行為に関して警告を受けている。それで、事態は収まったと思っていた。しかし、今、羽村は目の前に居る。俺は諦めが悪いのが取り柄だという言葉から、羽村が偶然スーパーの前に居たというわけではないのは明らかだ。

 羽村は、俺達を――いや……凛恋を付けてきたのだ。


「もしもし、以前八戸凛恋に対するストーカー行為で警告を出してもらった羽村正一が付きまとい行為をしています。すぐに来て下さい。場所は……」


 俺はスマートフォンで警察に通報しながら、視線の先に居る羽村の動きに注視する。一度警告を受けてももう一度来たということは、それなりの覚悟で来ているということだ。だから、何をしでかすか分からない。


「女子高校生やレディーナリーの編集者と浮気してるみたいだね。色々と聞いてるよ」

「……そんな話、誰に聞いたんだ?」

「親しい友人さ。その友人は君が彼女と交際していることを良く思っていない。君は毎日彼女を傷付け続けているとね」

「今まさに凛恋を傷付けてるお前が吐いていい台詞じゃない。聞いてた通り、もう警察に通報した。お前はもう終わりだ」

「終わり? 俺は彼女を助けるために来たんだ。彼は女子高校生とラブホテルにも行くし、年上の編集者と二人で飲みに行って家まで送って数時間出て来ない。その事実が何を意味してるかくらい分かるだろ?」


 羽村は凛恋にそう言葉を投げる。しかし、その羽村が事実と称して語るのは嘘だ。俺は夏美ちゃんとホテル街には居たが、説得してラブホテルになんて入らなかった。それに、帆仮さんと飲んだのも帆仮さんから俺のインターン終了について話があっただけだし、家まで送ったけど部屋には一歩も入らなかった。羽村が語っているのは、事実からねじ曲げたただの妄想だ。そんな嘘、凛恋が信じる訳がない。


「消えて……」

「酷いな。俺は君のことを考えてるのに」


 凛恋の震えて消え入りそうな声にも、羽村は微塵も気にした様子を見せずに笑った。

 どうしてこの状況で笑えるのか分からない。どうして、目の前で凛恋が怖がって悲しんでいるのに、なんでその凛恋を……歪んだ形でも好きという感情を持ってる羽村が笑えるのか、一ミリも何一つ……一欠片さえも分からない。


「多野さ――……羽村正一さん。あなたには八戸凛恋さんに対するストーカー行為に関して警告を出しているはずです」

「彼が彼女を悲しませている。だから、彼女を助けにきた」

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